あわゆき【沫雪】と『和名抄』について
狩谷棭齋『倭名類聚抄訂本』〔内閣文庫蔵〕
雪 陸詞曰雪[音切字亦作䨮和名由歧日夲紀/私記云沫雪阿和由岐其弱如水/沫故謂沫雪也]冬雨也五経通義云陽則散為雨水/寒則凝為霜雪皆従地而昇者也
※廿巻本古写本、天正三年菅為名書写本及び伊勢廣本(東京都立中央図書館河田文庫蔵・神宮文庫蔵)共に、標記語「沫雪」の語は未収載としていることから、廿巻本の組み入れは、後世の那波道圓本(温故堂本系統)に依拠することになる経過記載と見てよかろう。此れに対し、十巻本は、此語を標記語「雪」の語注記に汲み入れていることから、源順自身、乃至別人による程遠くない時期に追加した改增編なのか、逆に、編者自身による語句削除とみるのかと考察していくとき、その形跡すら廿巻本からは得られないことに充分考慮しておきたい。推断を重ねていくことにもなるが、「あわゆき」の語は、『日国』第二当該語の初出例として、『万葉集』卷第八・一四二〇に見えている。
沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛
あわゆきか はだれにふると みるまでに ながらへちるは なにのはなそも
(図表は、校本データベースを参照)
茲で、「沫雪」のかな表記は、「あわゆき」であって、「あはゆき」とする写本類は『堀川百首』〔一一〇五(長治二)年〕の以降の書写本となる。
其上で、平安末以降になる『色葉字類抄』や観智院本『名義抄』に、「沫雪」の語が孰れも語注記のない語として収載をみるので、全く編集から外れていた語とは云えないことも考慮しておきたい。このように考えたとき、「ゆき【雪】」を細分する他熟語「粉雪(こなゆき)」「霙雪」「斑雪」などとの聯関性を見定める必要も当然考えておかねばなるまい。孰れにせよ後考とすることにしたい。
※棭齋は、「沫雪」の仮名表記「阿和由歧」について、注記のなかで「阿波」の仮名は誤りとして説く。「沫は阿和と訓む、淡は阿波と訓む、其の訓み相ひ近きを以て、後人、會せ「阿和由歧」と誤り、淡雪に爲る、遂に、春の雪より〈於〉消え易き者に名づく、其の實は古へ淡雪の〈之〉名は無きに有るなり〈也〉」と「沫(あわ)雪(ゆき)」と「淡雪(あはゆき)」との接合に由来することを説く。
三巻本『色葉字類抄』〔一一八〇(治承四)年、前田本〕
沫雪 アハユキ〔下卷阿部天象門二四ウ(二九四頁)1〕
観智院本『類聚名義抄』
沫雪 アハユキ〔法下六九/雨部六十八、三九オ7〕
※標記語「沫雪」で、『和名抄』の標記語を継承し、語注記は未記載とする。但し、カタ仮名で「アワユキ」とせず、「アハユキ」と記載していることから『日国』第二版の語誌の「分岐点は『堀河百首』〔一一〇五(長治二)年〕のころで、「沫雪」から「淡雪」への語義内容を膨らませながら季も変化を遂げたらしい。」混用が始まっていたことを検証できる。
慶安元年板『倭名類聚抄』〔棭齋書込宮内庁書陵部蔵〕
雪(ユキ) 個文ニ云雪ハ冬雨也(ナリ)五經通義云陽(アタヽカ)ナル則(寸)ハ散(ー)シテ爲二雨-水ト一寒ナル則(寸)ハ凝(コツテ)爲(ナル)二雪-霜ト一皆從シテ而昇(ノホル)者( ノ)也(ナリ)又作(ツクル)レ䨮(せツ)ニ音切[和名由木]
沫雪(アハユキ) 日-本-紀ニ云沫(マツ)-雪[阿和由岐]其ノ弱キヿ如シ二水ノ沫(アハ)ノ一
【『倭名類聚鈔箋注』の「雪」翻刻】〔曙出版上冊三〇頁〕
【囲い箇所の訓読】
『日夲紀私記』云、「沫雪」は「阿和由岐」、其れ弱く水の沫の如く、故に、沫雪と云ふなり〈也〉。
○『玉篇』に、「䨮」と「雪」同じ上(は正字なり)。」
新井氏、君美して曰く、由は之れ言に爲り齋なり〈也〉。
雪の〈之〉狀(かたち)に爲り、潔清皎然たるを謂ふなり〈也〉。」
沫雪は『神代紀』の上(つ卷)に見える。
按ふるに、『釋日本紀』は『私記』を引いて曰く、問ふに沫雪を謂ひ、其の意は如何、答へて師説に「沫雪」、是れ雪の〈之〉〓〔月+色〕く弱き者なり〈也〉。
其れ弱く「水沫」の如し。
故に、「沫雪」を云ひ、此れ引く所即ち是れなり。」
曲直瀬本・下總本は、「阿和」を「阿波」に誤る。
新井氏の曰く、雪の〈之〉狀(かたち)に爲り、水に「泡沫」を起こすに似たり。
故に、或は之れ「沫雪」と謂ひ、別に一種に「沫雪」の名とする者有るに非ず。
『萬葉集』に、「沫雪の賦」の歌多く、皆、〓〔月+色〕弱の雪には非ず。
『私記』に「泡沫」を以って、雪の〓〔月+色〕弱なる者と爲し誤るなり〈也〉。
是の説、從ふべく〈可〉、又、「沫」を「阿和」と訓み、「淡」を「阿波」と訓み、其の訓み相ひ近く以って、後人、會はせ「阿和由歧」を誤り「淡雪」と爲る。
遂に、「春雪」は消え易き者により〈於〉名づけ、其の實は古へ淡雪の〈之〉名有りや無きやなり〈也〉。」
尾張本は、『日本紀』以下の十八字を脱す。
伊勢廣本は同じく、那波本は、『日本紀』以下を分ち、別に「沫雪」の一條を立する。
蓋し、那波氏に據る所の(温故堂本系統の)本は、亦、『日本紀』以下の字無し。
別本に依り之れを増し、遂に別條と爲(つく)るなり〈也〉。]
※棭齋は、「雪」の語のなかで、此の「あわゆき【沫雪】」の語例について注記説明を大幅に使っていることに氣付く。江戸時代の流布本版本、廿卷本の掲載は、「雪」と別仕立てにして「沫雪」の語をなすように那波道圓が編纂したこと、此れは同じ廿巻本でも古写本廿巻本とは一線を画して置くことを後世の読み手となる吾人達に、注意深く読むことを求めていることになる。
とは言え、流布本刷り本は、棭齋の説明「別本に依り、之れを増し、遂に別條と爲(つく)るなり〈也〉」であって、此れを検証することなく、読み進めていてはその編纂作業の過程や書写内容を知ることにはならないことを意味している。そこには、「沫雪」と「淡雪」の「わ」と「は」の語音が近いことにも多大な影響となって後世に受け継がれていることを理会しておかねばなるまい。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あわ-ゆき【泡雪・沫雪】〔名〕(1)泡のように溶けやすいやわらかな雪。→泡雪の。*万葉集〔八C後〕八・一四二〇「沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何の花そも〈駿河采女〉」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕一「雪 陸詞曰雪〈音切 和名由岐 日本紀私記云沫雪也 阿和由岐 其弱如水沫故云沫雪也〉冬雨也」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕行幸「堅きいはほもあはゆきになし給うつべき御気色なれば」(2)梨の品種の一つ。みずみずしく、雪をかむのに似るところからいう。*雑俳・柳多留-一二三〔一八三三(天保四)〕「淡雪を不二形(なり)に積む水くゎしや」(3)「あわゆきどうふ(泡雪豆腐)」の略。また、その料理を出す店。*談義本・教訓続下手談義〔一七五三(宝暦三)〕一・八王子の臍翁手代への説法「両国の無縁寺へ這入角に淡雪(アハユキ)の見世がある」*談義本・根無草〔一七六三(宝暦一三)~六九〕前・四「沫雪(アワユキ)の塩からく、幾世餠の甘たるく」*雑俳・柳多留-八五〔一八二五(文政八)〕「泡雪できへも入たい人に逢」(4)「あわゆきかん(泡雪羹)」「あわゆきそば(泡雪蕎麦)」などの略。*改正増補和英語林集成〔一八八六(明治一九)〕「Awayuki アワユキ〈訳〉菓子の一種。米粉でつくる」*風俗画報-九七号〔一八九五(明治二八)〕漫録「あわ雪と申吸物は先だし水すましげにして玉子の白みを茶わんへ入茶せんにて茶をにる様にあわをたて」【語誌】(1)『万葉集』では、巻八と巻十に集中し、表記は「沫雪」。「はだれに降る」「ほどろほどろに降りしけば」などから降ったばかりで積もったり固まったりしない新しい雪と思われる。それが消えやすく柔らかいところから泡に見立てられたか。(2)その後、しだいに単に雪をいう歌語のようになり、平安時代以降は「淡雪(あはゆき)」と表記も語義も混用混同されるようになった。→あわゆき(淡雪)。(3)『万葉集』から『後拾遺集』までは多く冬の景物であったのが、『源氏物語』若菜・上では女三宮が「はかなくて上の空にぞ消えぬべき風にただよふ春のあは雪」と、不安定な我身を今にも消えそうなはかない春の淡雪にたとえており、『新古今集』では春の景物に変わっている。その分岐点は『堀河百首』〔一一〇五(長治二)年〕のころで、「沫雪」から「淡雪」への語義内容を膨らませながら季も変化を遂げたらしい。(4)(1)の『源氏物語』行幸の例は、記紀を踏まえた表現なので「沫雪」と解したが、(2)以下の意には「泡」「淡」が混用されており、便宜的に本項にまとめた。【方言】(1)乾いた雪。《あわゆき》兵庫県美方郡012鳥取県八頭郡012(2)新雪。《あわゆき》富山県中新川郡012(3)植物、しょうま(升麻)。《あわゆき》防州†122【発音】〈標ア〉[ワ]〈京ア〉[ア]【辞書】和名・色葉・名義・易林・書言・言海【表記】【沫雪】和名・色葉・名義・易林・書言【泡雪】易林・言海
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