駒澤大学「情報言語学研究室」

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いちじく【無花果】

2023-11-05 13:03:25 | 日記
2002/07/15から~2023/11/05 更新
いちじく【無花果】
                              萩原義雄識

 平安時代の『和名類聚抄』には、標記語「無花果」の語例は当然見えていない。とはいえ、突然表出した果樹ではなく、太古から「いちじく」は大陸アジアに存在し、以前にも記述したことだが、大陸渡来系の外来語(ペルシャ語「Ajjir」)の中国翻訳「映日果」を音で、「インヂィオ」(『日国第二版参照』)を耳で聞き取り、本邦で「いちぢく」「いちじく」と表記したという。ここで「ヂィ」の音を和語「じ」乃至「ぢ」と聞き取ったかでその表記となったことになる。中央の京都で濁音を避け、「し」と記載することが最も定着したと見れば、「いちじく」を優先することになる。

 李時珍『本草綱目』〔東京都立中央図書館諸橋文庫蔵〕
無花果」食物トウガキ釈名の永日果[便民圖纂]優曇鉢〈下略〉頭注書込み
師説 無花果 今ノイチシク 天仙果 古イチシクト呼モノ即今今ノイヌビハ也和訓ニテヨノハント云 勢州ノチヽタツホト呼フモノモ同科ナラン可考
という書込み内容に留意して見ておくと、本邦書記者は「イチシク」と訓み、第三拍を古形「し」清音表記する。博物学研究者としての有識文字意識と見て良かろう。その上で、国ことばという伊勢地方での「ちちたつほ」の語が注目語訓とも言える。江戸時代の越谷吾山『諸国方言物類称呼』〔一七七五(安永四)年刊〕巻之三に、
無花果『本艸釈名』にうとんげと有又芭蕉の花をもいふ也又天仙花[未詳]〔一六オ〕
と云うだけで、「勢州」の語も見えず、当然此の「チヽタツホ」の語を検証できていない。特異な語訓の記述と見て良い。現在の「いちじく」と古の「いちしく」=「イヌビハ」では、小学館『日国』第二版の図絵を見ても葉が異なっていることに気づかれよう。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
いちじく【無花果・映日果】〔名〕(1)クワ科の落葉小高木。小アジア原産で江戸初期に渡来し、各地で栽植される。高さ二〜五メートル。樹皮は褐色。多く分枝し、幹、枝は湾曲する。葉は掌状に三〜五裂し、裏面に細毛をもつ。春から夏に倒卵形で肉厚の花嚢をつける。花嚢は中に無数の白い小さな花をもち、暗紫色か白緑色に熟し、食用となる。乾した茎、葉、実は駆虫、緩下剤、下痢止めになり、液汁は疣(いぼ)、うおのめなどに効くという。とうがき。ほろろいし。学名はFicus carica《季・秋》*俳諧・続猿蓑〔一六九八(元禄一一)〕夏「無菓花や広葉にむかふ夕涼〈惟然〉」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「無花菓 イチヂク 一名映日菓。時珍云五月内不花而実出枝間者」*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一〇「無花果(イチヂク)(〈注〉タウカキ)寛永年中 西南洋の種を得て、長崎にうう。今諸国に有之。葉は桐に似たり。花なくして実あり。異物なり。実は龍眼の大にて殻なし。皆肉なり。味甘し。可食。〈略〉又日本にもとよりいちぢくと云物別にあり。後にあらはすいちぢくに似たる故に、無花果をもいちぢくと云」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「イチジク 無花果」(2)植物「いぬびわ(犬枇杷)」の異名。*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一二「いちぢく(和品)無花果をもいちぢくと云。それには非ず。葉は木犀に似てうすく、冬おつ。其実、無花果より小なれども能似たり」【語源説】(1)映日菓の上下略、転音〔古今要覧稿〕。ペルシア語anjir を音訳して、シナで映日果といichijikuい、その近世音インヂクヲがイチヂクとなったものか〔外来語の話=新村出〕。(2)イチジュク(一熟)の義〔古今要覧稿・和訓栞後編・大言海〕。(3)イタメチチコボル(傷乳覆)の約転〔名言通〕。【発音】〈なまり〉イソズキ・イッヅク〔福岡〕イチジッ〔鹿児島方言〕イチジュク〔島原方言・NHK(長崎)〕イツズク・エジジク〔千葉〕イッヅキ〔熊本分布相〕イツヅク〔鳥取〕〈標ア〉[チ]〈京ア〉[ジ]【辞書】書言・ヘボン・言海【表記】【無花菓】書言【無花果】ヘボン【図版】無花果(1)

えいじつ-か[‥クヮ]【映日果】〔名〕植物「いちじく(無花果)(1)」の異名。*本草綱目-果部「無花果 釈名、映日果、優曇鉢、阿〓〔馬+旦〕、時珍曰、無花果凡数種、此乃映日果也」【発音】エィジツカ〈標ア〉[ツ][ジ]
いぬ-びわ[‥ビハ]【犬枇杷・天仙果】〔名〕クワ科の落葉低木。本州中部以西の暖地で池や海岸付近の林中に生える。高さ二~四メートル。樹皮はなめらかで灰白色、傷つけると乳白色の液汁が出る。葉は倒卵形か倒卵状長楕円形で先がとがる。雌雄異株で、春、小さな白い斑点が散らばったイチジクに似た花嚢を付ける。花嚢は径一五ミリメートルほどで、夏から秋にかけ紫黒色に熟し、食べられる。いたぶ。いたび。こいちじく。ちちのみ。やまびわ。学名はFicus erecta《季・夏》*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕八八「天仙果(いぬひわ)〈略〉六七月無花結一実一柎二三顆状似枇杷而小初青熟赤紫色内満白細子小児喜食俗名犬枇杷」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「イヌビハ コイチジク 天仙果」【発音】〈標ア〉[ヌ][ビ]【辞書】言海【表記】【犬枇杷】言海【図版】犬枇杷
とう-がき[タウ‥]【唐柿】〔名〕(1)植物「いちじく(無花果)」の別名。*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一〇「無花果(いちぢく タウカキ)」*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕八八「無花果 いちじゅく たうかき〈略〉俗云一熟 又云唐柿」(2)植物「トマト」の異名。【方言】(1)植物、いちじく(無花果)。《とうがき》長州†122筑前†039久留米†127新潟県一部030佐渡357山梨県一部030滋賀県一部030京都府030054大阪府一部030兵庫県047660664奈良県679鳥取県一部030島根県715724730岡山県753岡山市762広島県054776782山口県792玖珂郡791厚狭郡799香川県827小豆島829愛媛県030福岡県030築上郡873長崎県898熊本県030919大分県030939941《とがき》大阪府一部030兵庫県家島030《とんがき》愛知県一部030兵庫県030赤穂郡660《とうがい》山口県大島801《たあがき》大分県大分郡941(2)「無花果(いちじく)」の果実。《とうがき》山梨県南巨摩郡465(3)植物、「トマト」。《とうがき》岐阜県一部030(4)植物、「とうごま(唐胡麻)」。《どうがき》島根県美濃郡964【発音】〈なまり〉ターガキ〔豊後〕【辞書】言海【表記】【唐柹】言海

《コラム》「お茶菓子」に「西來果」と云う特別な菓子がつくられたそうだ。この茶の湯菓子は、「いちじく【無花果】」の実をベースにして、餡で包みこんだ特殊なもののようであったそうな。(私もまだ見ていない)製造元は鶴屋八幡か?これも定かでない。どなたか探求していただければと思う次第である。(2005,10,18萩原義雄記)
 「いちじく【無花果】」という果実樹木は、いつ頃どのように日本に渡来したものか?江戸時代も初期の寛永年間に、その名称が見受けられ、それ以前はこの果樹も本邦に伝来をみない植物であったのか?その疑問について探ってみたい。
 そして、この果樹を「いちじく」乃至は、「いちぢく」と表記呼称するに至ったその名称由来も考えてみることにする。
 現在、この果樹を「いちじく」と四音で表記し、第三音を濁音「じ」と表記する。語構成からみるとき、「いち」+「しく」と二音二音の語が膠着して成ったものであれば、漢字表記にして見るに「一如く」などと思えないではない。しかし、此の「いちじく」は渡来系のこともあって、和語ではなさそうだ。実は、外来語(ペルシャ語「Ajjir」)の中国翻訳「映日果」を音で、「インヂィオ」を耳で聞き取り、「いちぢく」「いちじく」と表記したことにある。茲で「第三拍」の「じ」と「ぢ」の表記の揺れが早くも生じていたことに注目しておきたい。この表記統一がなされるのは、明治時代を待たねば成るまい。そして、現代仮名遣いでは、「いちじるしい【著】」とならんで、「じ」表記をもってこの語を示している。この「じ」表記に統一されるまでの「ぢ」表記が長く表出している要因は何かを考えておく必要があろう。
 一時期、「いちじく浣腸」という「ぢ【痔】」の薬が知られ、病名の「【痔】」は、「ち」に濁点の「ぢ」であり、また、海の哺乳動物「鯨」が「くぢら」と「くじら」のいずれかの決着がつかない表記であることも助力となっていてか、この「イチジク」も「いちぢく」がひょっこり、どうしても顔をのぞかせてきていると推察する。
 現に、明治時代のへボン編纂の『和英語林集成』第三版にも、「いちぢく」と表記される所以であり、かつは八百屋の店先に「いちぢく」と書かれた品書きが見られるのもその表れと見ておきたい。(萩原義雄記2002,07,30)


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