2022/11/09 更新
きたきす【牛蒡】
萩原義雄識
植物菜蔬根菜の食材「牛蒡」の古名を「きたきす」と称し、その根菜は日本の食文化にあって、今も変わらず調理され「金平牛蒡」や「煮染牛蒡」などと呼称される逸品を作り上げてきている。では、此の「牛蒡」をどのように古辞書では記載してきたのかを探ってみることにする。
源順編『倭名類聚抄』に、
きたきす【牛蒡】廿・巻十七菜蔬部第二十七野菜類第二二九、十・菜蔬野菜
【原文】巻十七と巻九菜蔬部第二十七・野菜類第二二九
7808牛蒡 本草云悪實一名牛蒡[愽郎反和名岐太岐須一云宇末不々岐今案俗作房者非也]
2385牛蒡 本草云𢙣實一名牛蒡[愽郎反 岐太岐湏一云宇末不〻岐今案俗作房者非也]
【訓読】
牛蒡 『本草』に云はく、「悪実」は一名に「牛蒡〈博郎反、岐太岐須(きたきす)」、一に「宇末不〻岐(うまふふき)」と云ふ。今案ふるに俗に「房」に作(か)くは非さるなり〉といふ。
【語解】
典拠書名の『本草』とは、本邦の深江輔仁編『本草和名』〔延喜十八(九一八)年成る、江戸時代末多紀氏にて古書再見し転写され、その一本が棭齋所持本で森立之から大槻文彦の蔵した此の書であり、近年、別写本の西尾岩瀬文庫藏が影印され、武倩、丸山裕美子共著『本草和名の研究』汲古書院刊が公刊されている。〕で、
『本草和名』上巻〔三十五オ3〕に、
悪實一名牛蒡[仁詣音博郞切]一名鼠粘草[已上二名出/蘇敬注]
和名歧多伊(歧爪)湏一名宇末、布〻歧
※和名「歧多伊( 歧爪)湏」は、見せ消ちで「歧多歧湏」に改められ、『和名抄』の記述と符合する和名となって今日受け継がれてきた。
【訓み解き】
「悪実(アクジツ)、一名を「牛蒡([ゴバウ])」、一名を「鼠粘草([ソネンサウ])」、和名を「岐多岐須(キタキス)」(イ音便化して「キタイス」とも呼称歟)、一名を「宇末布々岐(ウマフフキ)」」と云う。「悪実」は「果実」に対する漢名。「馬蕗(ウマフキ)」を意味する。その葉が「蕗(ふき)」に似ていること、この葉を馬が好んで食べることから呼称する。
とあって、「悪實」、「牛蒡」「鼠粘草」の漢語標記字に和名「歧多伊(歧爪)湏」と「宇末布〻歧」の両語を所載し、順和名には、右内容から此の箇所から編述したと見て良かろう。此の時に、『蘇敬注』に見える標記語「牛蒡」のみを採り上げ、標記語「鼠粘草」については未採録とした点が重要であろう。
原産地は、欧州北部からシベリア、中国東北部。薬効があり、漢方薬として中国、朝鮮半島を経て渡来した。古くは、縄文時代の頃から、その根を食していたという。食用としたものは栽培種で、現代でも、此の「牛蒡」を食用にしているのは日本人だけとか、「キタキス(岐多岐須)」、「ウマフフキ(馬蕗、旨蕗)、アクジツ(悪実)、ソネンサウ(鼠粘草)、此のほか「ゴボウ」の根が牛の尾に似ていたところから、「牛房(牛の尾の意味)」とも記した。
【牛房】の表記
前田本『色葉字類抄』〔下卷古部二ウ5〕
牛蒡(ゴバウ)[上濁上濁]北朗反/又キタキス/又ウマフヽキ〔下卷古部植物門二ウ5〕
黒川本『色葉字類抄』〔中卷宇部五十七オ8~五十八ウ1〕
牛蒡(ゴハウ) ウマフヽキ/俗作房
※右訓「コハウ」に差声点[去・上濁・上]を記載する。
『字類抄』には、宇部と古部の食物門の両部に所載していて、取り分け宇部の註記に「俗ニ「房」に作く」とあって、「牛房」という『和名抄』とは異なる標記字の後付けがなされていることになる。実際、此の表記で示された資料だが、鎌倉時代の『名語記』に、
牛房トイヘル精進ノ菜アリ。《『名語記』三の条》
とある。 次に南北朝時代の『庭訓往来』〔至徳三(一三八六)年古写本〕に、
古写本『庭訓徃來』十月日の返状に、
菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗莇蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔至徳三年本〕※文明十四年写「煮染(ニシメ)ノ牛房(コハウ)」と記載。
此れを承けて、室町時代の『庭訓往来註』にも、
691 煮染(ニシメ)ノ牛房 似ル二牛之閉ニ一間云尓也。〔謙堂文庫蔵五八左8〕
とあって、その語註記に「牛の閉に似る間に尓(し)云ふ」と茲では「尾」とせず「閉」として語解する。さらに、頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』と『庭訓徃來講釈』の語註記には、
▲牛房ハ本字(ほんじ)牛蒡(きうほう)と書。和名(わめう)キタキス又ムマブキといふ。〔六六ウ7、一二〇オ2・3〕
として古名を所載する。
また、江戸時代の市場通笑作『蟹牛房挟多』 三巻〔一七八一(天明元)年〕に見る。現在では、姓名として「牛房」が知られる。
因みに、『日葡辞書』(一六〇三(慶長八)-〇四年成立)に、
Gobǒ.ゴバゥ(牛蒡) 薊(あざみ)の根のようなある種の根で,食用になるもの.→Acujit.〔邦訳三〇四l〕
とあって、標記語「牛房」の語の意味は「薊(あざみ)の根のようなある種の根で、食用になるもの」と記載する。
明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
ご-ばう〔名〕【牛蒡】〔ゴは、牛(ギウ)の呉音〕古名、きたきす。うまふぶき。蔬菜(あをもの)の名、春、又は秋、種を下す、莖、高さ二三尺、根の上、紫色なり、葉は、芋に似て、長く厚く、皺あり、夏の初、淡紫の小花、簇り開く。根、長大なるは、長さ、二三尺、圍、六七寸にも至るものあり、皮黑くして、肉、白し、畠に作りて、專ら、食用とす。音便に、ごんばう。實(み)の殻(から)に、棘(いが)あり、中に、數十子あり、葡萄の核に似て、赤黑し、藥用とす。惡實。康頼本草、上14「惡實、支太支須、ゴバウ」〔七一一頁2〕
とあって、標記語「ご-ばう〔名〕【牛蒡】」の語を収載する。茲で大槻文彦は、『本草和名』を以て引用するのでなく、『康頼本草』の用例を付記したのか、少しく疑解しているのだが、此の編纂時に手許に所持出来ていなかったのかとも思わずにはいられない。実際、国立公文書館写本『康頼本草』〔写本江戸初、請求番号196ー0060〕を以て検証しておくと、
○悪實 味辛平无毒。和支太支乃須口
己波宇[去濁・去濁]・所々有之臨時取之
となる。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
きたきす〔名〕植物「ごぼう(牛蒡)」の古名。*享和本新撰字鏡〔八九八(昌泰元)~九〇一頃〕「牛髈 根食者也 支太支須」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕九「牛蒡 本草云悪実 一名牛蒡〈博郎反 歧太歧須 一云宇末不々歧 今案俗作房者非也〉」【語源説】イキタケス(勢猛為)の義〔言元梯〕【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・書言・言海【表記】【牛蒡】和名・色葉・名義・書言【牛髈】字鏡
うま-ふふき【牛蒡】〔名〕(「うまぶふき」とも)植物「ごぼう(牛蒡)」の異名。*本草和名〔九一八(延喜一八)頃〕「悪実 一名牛蒡、一名鼠粘草、和名岐多岐須、一名宇末布々岐」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「牛蒡 ゴバウ 又キタキス又ウマフフキ」【語源説】(1)「ウマ」は大の意〔東雅〕。(2)「ウマフキ(美蕗)」の意。葉が蕗に似ているから〔和字正濫鈔〕。【発音】〈ア史〉平安○○○●○と○○○○○の両様ウ×マフフキ[フ]〈1〉【辞書】和名・色葉・名義・書言・言海【表記】【牛蒡】和名・色葉・名義・書言【牛房】色葉【馬蕗】言海
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