駒澤大学「情報言語学研究室」

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ほくら【寳倉】

2022-12-11 00:45:56 | 古辞書研究

2022/12/09~10 更新
 ほくら【寳倉】
                                                                          萩原義雄識

 廿卷本『倭名類聚抄』注文
 寳倉  漢語鈔云寳倉[保久良]一云神殿  〔卷十三調度具上・祭祀具〕
 十巻本『和名類聚抄』注文
  寳倉  漢語抄云寳倉[保久良云神殿]  〔巻第五調度具上・祭祀具〕

 伊勢廣本『倭名類聚抄』第四冊〔東京都立中央図書館河田文庫蔵『倭名類聚抄』183KW3〕
    寳倉  漢語鈔云寳倉[保久良上上上云神殿] 〔卷十三調度具上・祭礼具一七二・七ウ3〕
※伊勢廣本〔河田文庫蔵〕は、部類数を廿卷本に整えているのだが、その語と語註記は十巻本に从う。標記字「ホウ」は「寳」字に作く。
    寳倉  漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良上上上云神殿]  〔卷五調度具上・祭祀具七ウ1〕
※神宮文庫蔵の書写では「寳倉」にカナ付訓がなされ、「寳」字のウ冠、「抄」字の旁「少」字、真名体漢字表記「久」字に複写とは思えない相異が見えていて、註記「寳倉」を略符号「ーー」字で記載する。写し手の違いが観察できる部分でもある。
    此れに敢えて廿卷本『倭名類聚抄』系の大東急記念文庫蔵天正三年本〔菅為名写〕と比較しておくと、
    寳倉 漢語鈔云寳倉[保久良一云神殿] 〔卷十三調度具上・祭祀具〕
とし、伊勢廣本河田本が註記が略符号「ーー」を用いずに、「寳倉」と記載する点とカナ付訓をしない点を以て古写系資料に近い原本を以て各々書写していることが見てとれよう。

 昌平本『倭名類聚抄』〔東京国立博物館蔵、卷五祭祀具七十〕
    寳倉(ホクラ)  漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良]云神殿 〔卷五調度具上・祭祀具七十ウ7〕
    
 下總本『倭名類聚抄』〔内閣文庫蔵第三冊〕

    寳倉 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良一云神殿] 〔卷五調度具上・祭祀具七十・ウ7〕
    
 松井本『和名類聚抄』 
    ○寳倉 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良一云神殿] 〔坤冊卷五・調度具上・祭祀具七十・八オ6〕
とあって、下總本そして松井本のように、十巻本でも「一云」と記載することが見えている。
    
  京本『和名類聚抄』〔国会図書館藏、中冊巻五、調度具上・祭祀具七十〕
    
      寳倉(ホクラ)  漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良上上上云神殿] 〔卷五調度具上・祭祀具七十ウ7〕
    
  狩谷棭齋『和名類聚抄訂本』巻五〔内閣文庫蔵〕

 寳倉 漢語鈔云寳倉[保久良一云神殿] 〔卷五調度部十四祭祀具七十、六ウ6〕
     『和名抄』は、廿卷本・十巻本共に大きな差異は見えない。「一云」と「云」の記載のところに差異が見えるように思われがちだが、実際は十巻本写本類のなかには「一云」と廿巻本の註記記載に見える註記が見えていることに留意すべきだろう。棭齋は『倭名類聚鈔箋注』に「一云」の本文を優先採録する編纂姿勢が見えている。次に示す。
  此の標記語だけが、くら【倉廩】の標記語とは、同じ部類門に置かれずに、調度具上・祭祀具に排列したことに着目して見ておくことが当該語における焦点となる。

『倭名類聚抄箋註』渋江抽斎筆写本・四冊〔183KW9〕
 
    【本文翻刻】
    1寳倉(ほくら) 『漢語抄(カンゴシヤウ)』に云(いは)く、[保久良(ほくら)、一(ある)は神殿(かみどの)と云(い)ふ]
    2○『紀(キ)』に「神庫(かみくら)」の本注(ホンチユウ)に云(いは)く、「神庫(かみくら)」を此(こ)れ「保玖羅(ほくら)」と云(い)ふ。
    3『天武紀(テンムキ)』の「神府(シンフ)」に同(おな)じく訓(よ)む。
    4蓋(けだ)し、「神寳(シンホウ)」は、「藏(くら)」にて之(こ)れ「府庫(フコ)」なり〈也〉。
    5其(そ)の制(セイ)は高峻(カウシユン)たり、尋常(よのつね)に〈於〉秀(ひい)でて「府庫(フコ)」、
    6故(かるがゆへ)に「保久良(ほくら)」と云(い)ふ。
    7『神武紀(ジンムキ)』に、「浪秀(なみほ)」を與(とも)に「奈三保(なみほ)」と訓(よ)む。
    8又(また)「頴穗(たほ)」を「保(ほ)」と訓(よ)み、之(こ)れ「保(ほ)」に同(おな)じ。
9『漢語抄(カンゴシヤウ)』に、「寶倉(ほくら)」の字(ジ)を用(もち)いるは〈者〉、「寶(ホウ)」を以(もつ)て「保久良之保(ほくらのほ)」に爲(つく)るに似(に)たり、恐(おそ)るるに非(あら)じ。」
    10又(また)按(アン)ずるに、「保久良(ほくら)」後世(コウセイ)轉(テン)じて「叢祠(ほこら)」の〈之〉名(な)に爲(つく)る。
    11『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)に、「稲荷(いなり)乃(の)保久良(ほくら)」、
    12『續詞花集(ゾクシカシユウ)』に、「大鳥王子(おほとりのみこ)乃(の)保久良(ほくら)」、是(こ)れなり〈也〉。
    13故(かるがゆへ)に、一(ある)は「神殿」と云(い)ふなり〈也〉。
    14又(また)轉譌(テンギ)し、「保古良(ほこら)」と云(い)ふ。
    15『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』に見(み)える。]

 【文献資料
    『紀(キ)』『天武紀(テンムキ)』『神武紀(ジンムキ)』『漢語抄(カンゴシヤウ)』『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)
    『續詞花集(ゾクシカシユウ)』『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』

【語解】

  1寳倉(ほくら) 『漢語抄(カンゴシヤウ)』に云(いは)く、[保久良(ほくら)、一(ある)は神殿(かみどの)と云(い)ふ]
    
    2○『紀(キ)』に「神庫(ほくら)」の本注(ホンチユウ)に云(いは)く、「神庫(ほくら)」を此(こ)れ「保玖羅(ほくら)」と云(い)ふ。
    ※『日本書紀』卷六
○何(なに)ぞ能(よ)く天神庫(あめのほくら)に登(のぼ)らむ」とまうす。神庫、此をば保玖羅(ほくら)と云ふ。五十瓊敷命の曰(い)はく、「神庫高(たか)しと雖(いへど)も、我(われ)能く神庫の爲(ため)に梯(はし)を造(た)てむ。豈(あに)庫(ほくら)に登るに煩(わづら)はむや」といふ。故(かれ)、諺(ことわざ)に曰(い)はく、「天(あめ)の神庫(ほくら)も樹梯(はしだて)の隨(まにま)に」といふは、此(これ)其の縁(ことのもと)なり。
    
    3『天武紀(テンムキ)』の「神府(シンフ)」に同(おな)じく訓(よ)む。
    ※『日本書紀』卷六
    ○皆(みな)神府(みくら)に藏(おさ)めたまふ。
    
    4蓋(けだ)し、「神寳(シンホウ)」は、「藏(くら)」にて之(こ)れ「府庫(フコ)」なり〈也〉。
    
    5其(そ)の制(セイ)は高峻(カウシユン)たり、尋常(よのつね)に〈於〉秀(ひい)でて「府庫(フコ)」、
    
    6故(かるがゆへ)に「保久良(ほくら)」と云(い)ふ。
    
    7『神武紀(ジンムキ)』に、「浪秀(なみほ)」を與(とも)に「奈三保(なみほ)」と訓(よ)む。
    ※『日本書紀』卷二
○天孫、又(また)問ひて曰(のたま)はく、「其(か)の秀起(さきた)つる浪穗(なみほ)の上(うへ)に、八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉(ただま)も玲瓏(もゆら)に、織經(はたを)る少女(をとめ)は、是(これ)誰(た)が子女(むすめ)ぞ」とのたまふ。〔〕
    
    8又(また)、「頴穗(たほ)」を「保(ほ)」と訓(よ)み、之(こ)れ「保(ほ)」に同(おな)じ。
    
 9『漢語抄(カンゴシヤウ)』に、「寶倉(ほくら)」の字(ジ)を用(もち)いるは〈者〉、「寶(ホウ)」を以(もつ)て「保久良之保(ほくらのほ)」に爲(つく)るに似(に)たり、恐(おそ)るるに非(あら)じ。」
    
    10又(また)按(アン)ずるに、「保久良(ほくら)」後世(コウセイ)轉(テン)じて「叢祠(ほこら)」の〈之〉名(な)に爲(つく)る。
   
    11『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)に、「稲荷(いなり)乃(の)保久良(ほくら)」、
    『拾遺集』卷十九・01268
    [詞書] 稲荷のほくらに女のてにてかきつけて侍りける
                                                      読人不知 よみ人しらす (000)
    滝の水かへりてすまはいなり山なぬかのほれるしるしとおもはん
    たきのみつ-かへりてすまは-いなりやま-なぬかのほれる-しるしとおもはむ
    ※天福寺本『拾遺和歌集』〔京都大学図書館藏〕
    
    12『續詞花集(ゾクシカシユウ)』に、「大鳥王子(おほとりのワウジ)乃(の)保久良(ほくら)」、是(こ)れなり〈也〉。
    卷二十・戲咲
    くまのゝ大鳥のほくらにかきつけたりし歌
     おゝとりのはくゝみ給ふかひこにてかへらんまゝにとはさらめやは」
          此哥ある人慈覚法師か哥とも申
        太神宮にまいりけるによめる
       
    13故(かるがゆへ)に、一(ある)は「神殿(かんどの)」と云(い)ふなり〈也〉。
    
    14又(また)轉譌(テンカ)し、「保古良(ほこら)」と云(い)ふ。
    ※「転譌」=「転訛」。
    15『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』に見(み)える。]
※『丹後守為忠百首』〔一一三四(長承三)年頃か〕雑部「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ほーくら【神庫・宝倉】〔名〕(「ほ」は「秀」、「くら」は物を置くための場所の意。高い建築構造を持つものをいう)(1)神宝を納めて置く庫(くら)。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕垂仁八七年二月「吾 手弱女人(たをやめ)なり。何ぞ天の神庫に登らむや。〈神庫、此を保玖羅(ホクラ)と云ふ〉」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「神庫 ホクラ」*日輪〔一九二三(大正一二)〕〈横光利一〉三「彼の父は不彌の神庫(ホクラ)に火を放った」(2)小さな神社。やしろ。ほこら。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕五「寳倉 漢語抄云寳倉〈保久良一云神殿〉」*観智院本三宝絵〔九八四(永観二)〕下「八幡の御前にして法華経を講ずるに、ほくらの中より紫のけさをほどこして、法をききつる恩をむくひたり」*拾遺和歌集〔一〇〇五(寛弘二)~〇七頃か〕雑恋・一二六八・詞書「稲荷のほくらに、女の手にて書きつけて侍ける」*北野天神縁起〔鎌倉初〕「宮こへ帰らんこといつとしらねども、ひそかにかの馬場へ向ふおりのみぞ、むねのほのほ少しやすらぐ事有。ほくらをかまへてたちよるたよりを得せしめよ」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「秀倉 ホクラ 一云神殿」【方言】洞穴。《ほくら》長崎県南高来郡905【語源説】(1)「ホクラ(秀庫)」の義。その構造の高いところから〔箋注和名抄・百草露・国語の語根とその分類=大島正健・大言海〕。(2)「ホクラ(穂蔵)」から意味の転じたものか〔東雅〕。【発音】〈ア史〉平安・鎌倉●●●〈京ア〉[0]【辞書】和名・色葉・名義・書言・言海【表記】【寳倉】和名・色葉【神庫】名義・言海【宝倉】書言・言海【秀倉】名義
ほこら【祠・叢祠】〔名〕(「ほくら(神庫)」の変化した語)神をまつる社殿。神社。多くは、小さなやしろをいう。*丹後守為忠百首〔一一三四(長承三)頃か〕雑「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」*太平記〔一四C後〕九・高氏被籠願書於篠村八幡宮事「甲を脱て叢祠(ホコラ)の前に跪き」*蔭凉軒日録‐長享二年〔一四八八(長享二)〕二月二六日「相公問厳中和尚曰、ほこらと云字如何。厳中云不知。大梁在傍云、ほこらとは叢祠是也」*運歩色葉集〔一五四八(天文一七)〕「宝倉 ホコラ。禿倉 同」【方言】(1)洞穴。《ほこら》大分県大分郡941《ほこ》大分市941(2)谷。《ほこら》兵庫県家島662【語源説】(1)「ホクラ(神庫)」の転。〔箋注和名抄・筆の御霊・国語学通論=金沢庄三郎・大言海・綜合日本民俗語彙〕。またホは秀の義〔類聚名物考・和訓栞〕。(2)「ホソクラ(細座)」の義〔日本釈名・紫門和語類集〕。(3)「ホキクラ(祝坐)」の約〔菊池俗言考〕。ホギクラ(祝庫)の義〔国語学通論=金沢庄三郎〕。(4)「フルコハレミヤ(古壊宮)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】〈なまり〉オコクラ〔壱岐〕ホクラ〔岩手〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】天正・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【叢祠】書言・言海【寳舎】天正【神庫・宝倉・禿倉】書言【祠】ヘボン
てんーか[‥クヮ]【転訛】〔名〕(1)文字の写し間違い。*和字正濫鈔〔一六九三〕五「木欒子 むくれにしのき〈略〉和名を思へばわらはへの愛するむくろしといふ物はむくれんしの転訛歟」*童子問〔一七〇七(宝永四)〕跋「此書未印流一、謄写転訛、学者憾焉。仍請先生令嗣長胤点校一、遂鋟梓以公于世一」*随筆・秉燭譚〔一七二九(享保一四)〕一「又直支に作る。梁書百済の伝には名映に作る。いづれも文字の転訛にて一人なり」(2)ことばの本来の発音がなまってかわること。また、その音や語。*舎密開宗〔一八三七(天保八)~四七〕内・五・一一〇「此塩は昔人独乙蘭土(ドイランド)にて貎老涅(ブラロウネ)と名る咽喉病。及び伝染疫に称用す故に此なあり布律涅爾剌は蓋し貎老涅の転訛なり」*日本開化小史〔一八七七(明治一〇)~八二〕〈田口卯吉〉一・一「口より口に伝へて、益々転訛したる言伝なれば」*比較言語学に於ける統計的研究法の可能性に就て〔一九二八(昭和三)〕〈寺田寅彦〉「子音転訛や同化や、字位転換や、最終子音消失やで」【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉(0)
かんーどの【神殿】〔名〕(「かむとの」とも表記)しんでん。また、神社。かみどの。*延喜式〔九二七(延長五)〕一・神祇・四時祭「園并韓神三座祭〈略〉斎服料〈略〉守神殿(かんとの)一人」*狭衣物語〔一〇六九(延久元)~七七頃か〕四「かん殿に入らせ給ひて、いよいよも、かかる心思ひなほるべきさまに、申させ給へ」*大唐西域記長寛元年点〔一一六三(長寛元)〕七「層台、祠宇(カムドノ)石を彫り木を文(もとろ)けたり」
ほこら【祠・叢祠】〔名〕(「ほくら(神庫)」の変化した語)神をまつる社殿。神社。多くは、小さなやしろをいう。*丹後守為忠百首〔一一三四(長承三)頃か〕雑「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」*太平記〔一四C後〕九・高氏被籠願書於篠村八幡宮事「甲を脱て叢祠(ホコラ)の前に跪き」*蔭凉軒日録‐長享二年〔一四八八(長享二)〕二月二六日「相公問二厳中和尚一曰、ほこらと云字如何。厳中云不レ知。大梁在傍云、ほこらとは叢祠是也」*運歩色葉集〔一五四八(天文一七)〕「宝倉 ホコラ。禿倉 同」【方言】(1)洞穴。《ほこら》大分県大分郡941《ほこ》大分市941(2)谷。《ほこら》兵庫県家島662【語源説】(1)「ホクラ(神庫)」の転。〔箋注和名抄・筆の御霊・国語学通論=金沢庄三郎・大言海・綜合日本民俗語彙〕。またホは秀の義〔類聚名物考・和訓栞〕。(2)「ホソクラ(細座)」の義〔日本釈名・紫門和語類集〕。(3)「ホキクラ(祝坐)」の約〔菊池俗言考〕。ホギクラ(祝庫)の義〔国語学通論=金沢庄三郎〕。(4)「フルコハレミヤ(古壊宮)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】〈なまり〉オコクラ〔壱岐〕ホクラ〔岩手〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】天正・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【叢祠】書言・言海【寳舎】天正【神庫・宝倉・禿倉】書言【祠】ヘボン



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