いや、突然と言うこともない。半年間の猶予期間はある。
それは2018年10月1日12:53のメールである。『Yahoo!ジオシティーズ サービス終了のご案内』というもので、2019年3月末日でジオシティーズが終了し、我が家で作っているホームページが見られなくなるのである。
でも主要なところは既にブログに移っていて、ホームページには表紙、サムネイル画像目次、古い記事などが残されているだけで、それらをブログに移す作業に取り掛かっているところだ。
大体が自分ではアナログ人間であると思っている。元来が機械に弱く、故障などは直すよりも壊してしまうのが落ちである。だから最初から触らない。
触らないに越したことはない。パソコンも機械である。
パソコンをようやく始めたのはポルトガルに来て10年経った頃であったと思う。
ポルトガルに来る前でも友人の中にはパソコンなどをやっている人は複数いた。でも絵を描く仲間には居なかった。絵を描く人間は元々アナログ人間が多い様な気もする。グラフィックデザイナーの友人も多い。グラフィックデザイナーにとってパソコンは必需品であった筈なのだが、それでもパソコンを触ろうとしなかった友人も居た。
ポルトガルに来てからも暫くはパソコンなどのことは考えも及ばなかった。
宮崎に住んでいた頃から毎月、紙のプリントでミニコミ新聞の様なもの『山あいVOICE』というのを作っていた。手書きした紙をコピー屋さんに持って行って100枚ほどコピーしてもらうものであった。それは朝日新聞地方版でも紹介されたこともある。
その続きでポルトガルに来てからも『ポルトガルのえんとつ』という名前で手書きしてコピーのプリントを作り始めた。友人知人に手紙の返事替わりに、生活の報告代わりに郵送していた。そのプリントが10年は続いたのだったと思う。
10年くらい経った頃に知り合った隣町に住んでおられた日本人で絵を描かれる10歳ほど先輩の方からパソコンを勧められたのがきっかけだった。「面白いわよ、始めなさいよ」と、女性である。
一気にパソコンでは自信がなかったので、先ずはワープロから始めた。ワープロも当時としては便利な機械に感じられた。いや、コピーでさえも便利な物だった。
昔は鉄筆で方眼の蝋紙に書き、謄写版で印刷をしたものである。それも手書き文字である。自分の文章が活字になるなどとは夢にも考えられない時代であったのだ。
パソコンを始めたのはポルトガルに来て10年目、2000年だったと思う。ノートパソコン『ウインドウズME』を一時帰国した日本で買って持ってきた。個展のための一時帰国で、僕は毎日、展覧会場に詰めなければならなかったが、その個展の期間中にMUZが宮崎市で1週間のパソコン教室に通った。
ポルトガルに持って帰って、苦労の末インターネットに繋ぐことが出来た。僕はMUZが使うのを後ろから眺めていた。
次の年の一時帰国で『ホームページビルダー』のソフトを買って来た。何も判らないまま、試行錯誤の末ホームページを立ち上げた。YAHOOジオシティーズに作った。そうしてそれまでは紙のプリントで作っていたミニコミ誌をホームページ上に掲載したのは更に1年後の2002年6月22日であった。最初の文章は2002年7月1日となっている。毎月1回1日掲載で帰国時以外にはずっと続けてきた。それは2012年9月までとなっているからホームページ上での掲載は10年間ということになる。
この程、連番を打ってみて判ったことだが、ホームページ上に100もの文章を書いたことになる。その後、2012年10月号からはgooブログに移った。ホームページは重さなどの制限があるので、制限のないブログの方が良いのかな、と思ったまでである。写真は大きなサイズを掲載することが出来た。そしてサイトよりブログに移ってからの方が遥かにアクセスは多い。
ブログに移ってからも6年が過ぎた、そして6年間に58の文章を書いた。合計、実に158個の文章である。その中には1万字を超える長文なども含まれている。旅日記などは挿入写真も多い。我ながらよく書いてきたものだと思う。
サイトからブログに転載するにあたって、形式が違うのでそのままコピーとはならない。ひととおりは読んでゆく必要がある。これには膨大な時間がかかる。旅日記などはその当時が思い出されてしみじみ良かったな。などと感慨に耽りながら読み進むことになる。
そう言った意味ではちょうどよい機会を与えられたものだな、などと思う。
勿論、文章以外にも油彩のページ、画歴のページ、展覧会(個展)のスナップ写真のページなど取り留めもなく広がっている。
MUZは別にホームページを立ち上げ同じだけのエッセイのページ、それ以外に『ポルトガルの野の花』『コレクション』『セトゥーバル探検』『ポルトガルのキノコ』『ポルトガルの鉄道駅』と膨大に広がっている。
例えば『ポルトガルの野の花』だけを取ってみても800ページを超えていて1ページに10枚ずつの写真を挿入しているので、単純に計算しても8000枚の写真が掲載されている。
Yahoo!ジオシティーズに作ったサイトは
2002年6月22日『武本比登志ポルトガルの仕ゴト場』
2003年12月18日『武本睦子ポルトガルのえんとつ』
2004年1月08日『NACK』
2004年8月1日『武本比登志ポルトガルの画帖』
2010年8月15日『ポルトガルの野の花』これは『ポルトガルのえんとつ』の中に作っていたものを独立させたサイトであった。
この間、膨大なページを作ってきたことになる。
そして順次ブログに移って行って、野の花などは既に100%ブログに移っている。
ブログは掲載したのがどんどん奥へ奥へ仕舞われて行って再び見ることが難しくなってくる。それでサムネイル目次のページをホームページに残し、そこからリンクで繋ぐようにしていた。そのサムネイル目次がなくなるのは惜しい。
そのサムネイル目次をブログに作られないものかと試行錯誤を重ねている。元々、ブログには自然に目次なるものが備わっている。だから必要はないのかも知れないが、自分自身の便宜上ということもある。
取り敢えずは『エッセイ』の目次。これは文字だけなので簡単であるが、サイトに掲載した100もの文章を移動するのはやはり大変な作業である。毎日ひとつを転載するとしても3か月以上がかかってしまう。
来年の帰国は2月19日だからぎりぎりだ。戻って来るのは5月15日。その時にはジオシティーズは終わってしまっていて、サイトは見られない。
それまでには『ポルトガルの野の花』のサムネイル目次は作ってしまいたいと思っている。約800ページ分のサムネイル目次である。
パソコンも今、主として使っている『ウインドウズ10』で4台目である。それにスマホが加わる。最初の『ウインドウズME』も写真の補正などで毎日の様に未だに使っている。
インターネットも時代とともに変化をみせている。企業ではなく、個人でのホームページの時代は終わったのかも知れない。ブログよりも既にフェイスブックなどを利用している人の方が多いのだろうか?ブログの時代がいつまで続くのか判らないが、僕にとっては今のやり方が気に入っている。
数年前からブログに1日1景『ポルトガル淡彩スケッチ』を始めて2018年11月30日現在、1640景。下手くそながら楽しんでいる。そしてこの文章が159話目ということになる。VIT
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