マサゴ画廊の直さんからDMハガキが届いた。
「印刷が出来上がったら70円切手を貼って1枚だけポルトガルまで送って下さい。」とお願いしていたものだ。それが昨日、印刷が出来上がって8日間で届いたことになる。
8日間は早いと見るか遅いと見るかは人それぞれだろうが、自分の中では素晴らしく早いと思う。
現在ではインターネットのメールなどを使えば一瞬で着くことができる。それから比べれば遅い。でもデジタルではなく、電波ではなく、現物が海を渡って、幾多の人の手をバトンされ、はるばるやって来るのだ。
昨日午前中にセトゥーバルの郵便配達夫が『我らが聖母カルモ通り』(ルア・ノッサ・セニューラ・ダ・カルモ)の長い名前の長い上り坂を、多くの郵便物と一緒に革鞄に入れ、てくてくと喘ぎ喘ぎ上ってくる。郵便物を各家の郵便受けに入れながら、番犬に吠えられながら、頂上のイレーネ・リスボア通りに到着し、マンションのベルを押した。そして階下玄関ホールにある我が家の郵便受けに1枚のハガキを入れ、再び我が家のベルを押す。
その前夜にはアヌンシアーダ郵便局で一晩を過ごしたのだろう。セトゥーバルに来る前には恐らくリスボンの中央郵便局か配送センターの様なところに立ち寄ったのだろうか。更にリスボンに来る前は、何処を経由して来たのだろう。東京からリスボン直行はありえないからヨーロッパの何処かを経由している筈である。ロンドン、パリ、ミラノ或いはフランクフルト、ヘルシンキ、又或いはモスクワやドバイなどと言うこともあるのかも知れない。ハガキに聞いてみることも出来ない。それに関してハガキはだんまりを決めぷいとあらぬ方向を見つめ、意地を張りすねている様にも見える。
日本の美しい70円切手に消印が押されている。消印は 2020-01-16、18-24、OSAKA-KITA となっている。その他にオレンジ色の郵便局独特のバーコードの様なものが記されていて、専門家が解読すれば解るのかもしれないが、僕には知る由もない。
『BY AIR MAIL』のシールが貼られているから飛行機に乗って来たのは間違いがない。
大阪から恐らくは羽田に一旦行ったのだろうか?羽田には行かないで関空からかもしれない。或いは成田。
羽田だとして、羽田までは新幹線、飛行機、それとも深夜トラック。
いや、羽田の前に何処か東京の集荷センターの様なところで仕分けされたのだろう。それからどのようなルートを通ったのかは想像でしかない。
地球を半周、ユーラシア大陸の東の端から西の端まで、人間なら24時間ほどで着くことができるが、この小さな1枚のハガキは8日間をかけている。その8日間をどのように過ごしたのだろうか?1人寂しく、暗い倉庫の中で寒くはなかっただろうか。他の封筒の下敷きになって重くはなかっただろうか。言葉は通じたのだろうか。たった70円しか貼られていないので(70円は正規料金で、直さんが払ってくれているので『たった』と言っては申し訳ないが)差別待遇は受けなかっただろうか。友達は出来ただろうか。嫌な目には遭わなかっただろうか。心細かっただろうな。などと思いを馳せながらしげしげと眺めてみる。
幸い折れ曲がることもなく、汚れが付くこともなく、大切に扱われたのだろうと思う。
更にしげしげと眺めてみる。
DMハガキは3月30日(月)から4月4日(土)までマサゴ画廊で行われる『武本比登志ポルトガル淡彩スケッチ展』の物で、まぎれもなく僕の展覧会と言うことになる。
ポルトガルに送って頂いたのは1枚だけだがマサゴ画廊には1000枚マイナス1枚の999枚が残されている筈である。そして恐らく今からの他の展覧会のDMハガキと同様、マサゴ画廊のカウンターに並べられ、或いは既に持ち帰られたお客さんもおられるかも知れない。もう逃げるわけには行かない。
1枚のDM 案内状ハガキはこうしてセトゥーバルの僕の手元にあるが、その展覧会の絵は既に2000枚もあるうちのたった40枚を選んで展示するだけで良いのだが、まだまだという気持ちはいつものことで、帰国するぎりぎりまでの作業となり、今朝もワインラベルを貼ったりして作り続けている。
前回2017年に開催させて頂いて3年ぶり2回目となりますが、今回はどんな展覧会になるのか楽しみです。出来るだけ多くの人にお越しいただきたいと願っています。
来る3月30日(月)から4月4日(土)までの間。僕は出来るだけずっと画廊にいるつもりでいます。マサゴ画廊で、どうぞお目にかかれますよう、心からお待ちしています。武本比登志
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