武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

158. 空と雲と風景画

2018-11-01 | 独言(ひとりごと)

 この場所に住み始めてもう随分と経ってしまった。

 「気に入っている」と言えば、今まで住んだ中で一番気に入っていると言っても過言ではないかも知れない。

 引っ越して来た当初は北側も南側も多くの松の木に囲まれていて、それ程は感じなかったのだが、その後、次々に松の木が切られ、お隣の庭から生えている大木が1本だけになってしまって、お陰で眼前に空が大きく広がった。

1.トロイア半島と大西洋。

 そしてこれほど空の広いところに住んだことがない。

 南のベランダに立って顔を真っ直ぐ正面を向くだけで視界の60%あるいはそれ以上が空だ。

 

そら

どこから どこまで そら なの

ちかくも とおくも そら なの

あおい あのそら ほんとに あるの

かおを さわった この てで

かぜを さわった この てで

わたしは そらを さわって みたい

 

(吉田定一詩集/現代児童文学詩人文庫2より)

 

 これは小学校の教科書にも載った吉田定一さんの詩である。

 吉田定一さんは現代日本の児童文学の第一人者だが、僕たちの絵画グループ『NACK』の人でもあり親しくさせてもらっている。

 

 日本語には空色という色がある。明るいブルーを指すのだろうか。

 実際には様々な空色があるのを感じる。

 

 宇宙飛行士が「地球は青かった」と言ったが、そんな空を反映して地球は青く美しい星なのだろうと想像する。

 

 そんな空に雲が現れる。

 日本には雲を歌った歌は多い。日本はヨーロッパなどに比べると水蒸気が多く湿度が高く、雲が出やすい。季節ごとに様々な雲が現れて詩人の創作意欲をそそるのだろう。

2.サド湾とトロイア半島そして右端にサン・フィリッペ城。

 

♪遠い世界に旅に出ようか それとも赤い風船に乗って 雲の上を歩いてみようか

 

 西岡たかしさんが作られた歌『遠い世界に』の最初の1行部分だ。恐らく昭和39年か40年頃に作られた歌だったと思う。

 その後『五つの赤い風船』で西岡たかしさんと藤原秀子さんの絶妙のハーモニーで当時のフォークブームに乗って良く歌われた歌で、その後に続く多くのフォークグループの目標になり影響を与えた。

 これも小学校の教科書にも載ったが、恐らくこの歌を作られた西岡たかしさん以外で聞いたのは僕が最初の人だと思う。僕は未だ18歳くらいの時で西岡たかしさんも20歳前後だった。

 僕は西岡さんのお宅にしょっちゅう遊びに行っていた。行くといつも歌を聞かせてくれた。ハンク・ウイリアムスやカーター・ファミリーなどの英語の歌だ。そして珍しいレコードも聴かせてくれた。当時としては本当に珍しかったインド音楽などもそうだ。

 僕は一人で聴くのは勿体ないと思い。時々は女子の友達を誘って行った。西岡さんは女の子にも判りやすい様にと思われたのかも知れない。すぐに日本語の歌を作られた。それが『遠い世界に』や『雨よいつまでも』だった。

 僕は西岡さんの影響は大きい。西岡さんには外国暮らしはないのだと思うが、僕が外国に行きたい、インドで暮らしたいと思ったのは西岡さんの影響、この歌の影響もあったようにも思う。そして僕は西岡たかしさんとは今も親交深くさせてもらっている。

 

 日本では万葉の時代から雲がよく謳われている。

 

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ (清原深養父) 

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ (左京大夫顕輔)

天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭)

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな (紫式部).

わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波 (法性寺入道前関白太政大臣)

3.西の要塞のシルエット。

 古代ギリシャ時代には雲は女神であった。

 古代のギリシャ神話のなかでソクラテスとストレプシアデースがこんな会話をしている。

 

 ソクラテス「空を眺めて今までにケンタウロスや、豹、狼、牡牛に似ておる雲を見たことがあるかね。」

 ストレプシアデース「確かに。それがどうしたというんだ。」

 ソクラテス「雲の女神はお好きな物に何なりと身を変えられるのだ。そこで、この毛むくじゃらの連中の一人、クセノパンテースの息子(放蕩息子)のような野蛮人に出会うと、そいつの気違い沙汰をからかってケンタウロスに身をやつされるのだ。」

 

 紀元前400年もの昔の古代ギリシャ人はユーモアにあふれた人たちだった。

 人類は何千年経ってもあまり変わってはいない様な気がする。

 

 ポルトガルの空は真っ青で雲一つないというイメージが強い。

 そんな空にも9月に入ると雲が現れ始める。

 それまでは全く雲のない夏が長く続き大地はからからに干からびてしまう。

 そうして例年なら9月の中旬から雨季が始まるが、今年は遅い。10月に入っても雨が降らない。予報では10月28日(日)にようやく雨の予報が出たと思ったら、夜中に少し降っただけで昼間上空は快晴。でも遠くの空には真っ白な雲。

 ぼちぼち雲が出始めたかと思うと、朝には、日の出の頃、東の空に恐竜の様な雲。

4.

 そして10月31日には、空も大西洋もサド湾もどんよりと鉛色。ようやく朝から一日中雨。

 

 僕は実はポルトガルに絵を描くためにやってきた。それも風景画を描くために。

 そして随分と描いたことになる。

 何しろ28年間、休みなく描きまくったのだから。

 そしてこの場所に来てからはしらずしらず無意識に空を多く描くようになってしまった様に思う。

 でも僕の風景画の理想は空を極力抑え、殆ど描かないのが僕のやり方だ。描いてもほんの1割。或いはそれ以下にしたいと思っている。そしていわゆる空色は使わない。それが好みなのだから仕方がない。

 風景画を最初に描いた画家はオランダのヤコブ・ヴァン・ライスダール(1628-1682)だと言われている。それまでの絵画は、例えばダ・ヴィンチの『モナリザ』の様に、人物(聖人)の後方にバックとして風景が描かれているだけであった。

 近代になってイギリスのターナーやフランスのバルビゾン派などは盛んに風景画を描くようになった。勿論、印象派などはなおさらである。

 トム・クルーズの映画で『バニラ・スカイ』というのがあった。キャメロン・ディアスとペネロペ・クルーズが共演しているが、映画の小道具にモネの絵画が出てくる。夕焼け空の絵でトム・クルーズの母はその絵を『バニラ・スカイ』と呼んでいた。

 風景画には空が重要な位置を占めていることは言うまでもない。そこには雲も含まれる。様々な雲があり、青空も覗き、夕焼け空もあるし、嵐の空もあるだろう。

2018-11-01の夕焼け空

 僕は今、そんな、様々な空の広がる風景の中で暮らしている。

 でも正反対の、空のない、雲のない、空間のない、巧く言葉では表現が出来ないが、お喋りなポルトガル人の息も付けない井戸端会議の様な、おもちゃ箱をひっくり返した様な、壊れてしまって手の施しようがなくなった古い機械の内部の様な、ポルトガルの古代も現代も一緒くたに出て来てしまった様な。そんな風景画を描きたいと思ってポルトガルにしがみ付いている。

 休みなく描き続けても今までに納得の出来る絵は殆ど描けてはいないのだが、運よく自分では納得が出来る絵が描けたとしても、或いは大多数の人には目を背けたくなる絵になってしまうのかも知れない。でもそれでも仕方がない。

 空や雲は絵で表現はしなくても見ているだけで僕には満足なのだ。VIT

5.これは朝日ではなく夕陽。

空の写真は何れも2018年10月28日にセトゥーバルの我が家のベランダから撮影したものです。夕焼け空は2018年11月1日。

 

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