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天満村寺尾九兵衛(26) 宗清と貞之進英清の間に二代の当主がいた

2024-12-22 08:46:54 | 趣味歴史推論
  寺尾九兵衛家の位牌のなかに、没年が享保で続柄の不明な位牌が二柱あった。九兵衛とか〇清とか九兵衛室と書かれていないので、当主やその室でないと判断していた次の二柱である。

 位牌
  享保9甲辰歳9月29日(1724)
  梵字ア 法玉理然居士霊位
 裏面
  俗名 寺尾彌市右衞門

 (推定)妻の位牌
  享保13戊申年10月4日(1728)
  梵字ア 観智恵照大姉霊位


 金毘羅宮奉献八角形青銅燈籠 宝永3年10月吉日 寺尾春清 同九兵衛尉宗清 同十郎右衛門尉貞清1)

1. 位牌には寺尾弥市右衞門と俗名だけが書かれているので、春清、宗清との続柄が分らなかった。ここに至って筆者は次のように推理する。
 ① 八角形青銅燈籠(宝永3年)の寺尾十郎右衛門尉貞清は宗清の弟である。
 ② 寺尾彌市右衞門と十郎右衛門尉貞清は同一人物である。
 ③ この人物が、宗清亡き後、七代当主寺尾貞清となった。そして貞清亡き後、享保9年(1724)に(1724-1697+1=)28歳となった庸清が八代当主となった。
2. 九代当主貞之進英清は、宗清とツタの子供ではないことは、生年から分ると前報で指摘した。英清は七代当主寺尾貞清の子と推理した。名に貞之進と「貞」が付くこともそれを示唆している。ツタの義甥にあたる。
 宗清、貞清、貞清の妻、貞之進の年令考から、この推理の妥当性をチェックしてみる。
 各人の生年と没年は以下の通り。
 宗清 (1670)~1712
 貞清   ? ~1724
 貞清の妻 ? ~1728
 貞之進 1720 ~1759
 ここで、貞清は兄宗清より10才若いと仮定すると、生年は1680年となる。弟の結婚は30才と遅かったと仮定すると結婚は1709年となる。貞清の妻はやや遅く20才で結婚したとすると妻の生年は1690年となる。貞之進を生んだ妻の年令は31才となる。あり得ることである。
なお、以前本ブログ1)では、「寺尾十郎右衛門尉貞清とは、上天満村庄屋(西条藩)の名は「九郎兵衛」と古文書にあるが、その人の名でもあるのか」と記したが取り消したい。
 これまでの情報だけでは、間違いがありうるので、今後過去帳の調査でより正確になることを期待したい。
3. 寺尾九兵衛家系図(5代~9代)は次のように修正した。


4. 寺尾九兵衛当主年表 暫定版(2024.6)を修正し、寺尾九兵衛当主年表 修正版(2024.12)として示した。→表

まとめ
1. 八角形青銅燈籠(宝永3年)の寺尾十郎右衛門尉貞清は宗清の弟であり、位牌の俗名彌市右衞門と同一人物であると推定した。
2. 貞清は宗清亡き後七代当主寺尾貞清となり、貞清亡き後、宗清ツタの子庸清が八代当主となった。
3. 庸清亡き後、貞清の子貞之進英清が九代当主となった。貞之進英清はツタの義甥にあたる。


注 引用文献
1)本ブログ「天満村寺尾九兵衛(24) 春清・宗清は金毘羅宮へ八角形青銅燈籠を宝永3年に奉献した」
(2024-12-08)

表 寺尾九兵衛当主年表 修正版(2024.12)



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