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別子銅山切上り長兵衛の霊と藤田敏雄の対話-2

2018-07-01 21:52:21 | 趣味歴史推論
1. 霊との対話の続きを調べたところ、前回の6年後に行った第3回目の記録が「新居浜史談」1)にあったので内容を紹介する。

「切上り長兵衛の霊を呼び出し対談した記録」
日時 平成10年(1998)11月15日 午前10時より
場所 住友別子銅山記念館 二階東の部屋
   新居浜市角野新田町3-13
霊能者 林 幸明(はやしこうめい)(本名 林 幸代)
立会人 記念館=上垣起一館長
     〃 =斉藤事務員
    史談会副会長= 正岡慶信(ペンネーム:芥川三平)
    浜井筒屋のご子孫(長兵衛の位牌をお祀りしている家)=加藤敏雄
    史談会員=藤田敏雄
内容の要点
霊能者が、お位牌の戒名(海山利白信士)を言って、般若心経を唱えると、長兵衛の霊が出て来て、霊能者に乗り移り、いろいろと物語りをした。
1) 霊の要望
① 自分の功績に対する住友の扱いに不満。
② 住友が過去における功労者をもっと大切にしてほしい。
③ 報われざる多数物故者は、不満の蓄積があるので、合同供養してほしい。
④ 長兵衛の供養のついてのかなり具体的な要望。
⑤ 顕彰碑を建てて毎年1回お祀りしてほしい。
⑥ 妻、子のお位牌を作り、慈眼寺でお祀りしてほしい。
2) 長兵衛に関する質問に対する霊の回答で新しい内容
① 阿波に一寸いた後、次に神戸にいった。母の一族の様な口ぶり。15歳より京都に行き、冶金学の修業をする。
② 亡くなったのは北海道の松前で、遺骨は神戸へ送ってきた。また働いていた所の主人から、住友へ書類も一緒に送ってきた。この書類を住友は-------。
その当時、下請をしていた浜井筒屋(加藤家)は慈眼寺の檀家なので、慈眼寺で戒名を付けて、お位牌を作り我が家(加藤家)の仏壇のお祀りをした。但し、戒名のみで俗名が記されてないので、後世の人は、切上り長兵衛とはわからなかった。先年慈眼寺の過去帳で、偶然に発見して、そして加藤家の位牌を調査して見つけた。

2. この後のことを知ろうとしたが、関係者の多くは、亡くなったり、記憶が薄れていたりして、まだできていない。

3. 第2回目の対話で、前報に記していなかった霊の言で重要なこと
1)「切上り」という姓は、死後後年に誰かがつけたものである。
2)阿波の土成(どなり)町のお寺の過去帳にある長兵衛さんとは、全く縁もゆかりも無い別人である。

注、引用文献など
1. 芥川三平 「瑞応寺西墓地の怪(下の五)」新居浜史談 348号 p18(2004.8)



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