近世初期に開発された南蛮吹は、「南蛮しぼり」「しぼり吹」ともいわれ、「しぼり」に対して、一般には「鉸」の字を使ったが、住友では、「鍰」を使った。抜銀した銅を「しぼり銅」といい、「鉸銅」「鍰銅」を使った。結果、江戸期には、「鍰」が「しぼり」と「からみ」の二つの意味で仮借されたのである。どちらが先かを知るために、鍰(しぼり)の字の記録を探った。その結果、上棹銅帳の貞享4年(1687)~元禄11年(1698)に数多くの記録があった。
1. 「上棹銅帳」(1687~1698)1)
①貞享4年卯(1687)5月より9月まで →図1
・鍰 (A) 240,043斤 代 203貫222匁8分 (銅100斤は銀84.661匁)
・間吹(B) 31,172斤 代 27貫951匁9分3厘 (100斤89.67匁)
・ほと(C) 7,252斤 代 5貫811匁1分3厘 (100斤80.126匁)
・合ほと 226斤 代 169匁5分 (100斤75匁)
・白根銅 330斤 代275匁2分8厘 (100斤83.42匁)
・(合計)鍰銅(D) 279,023斤 代237貫430匁6分4厘(押合100斤85.0935匁)
②元禄11年寅(1698)7月より12月まで →図2
・鍰 (A) 297,947斤5 代 259貫964匁2分5厘(銅100斤は銀87.25匁)
・間吹(B) 432,631斤 代 356貫185匁1分 (100斤82.33匁)
・程銅(C) 20,181斤5 代 17貫557匁9分 (100斤87匁)
・(合計)鍰銅(D) 750,760斤 鍰銅請払帳 代銀633貫707匁2分5厘
上記のような2~6ヶ月毎にまとめられた記載が貞享4年(1687)3月~元禄11年(1698)12月の11年間に39ヶ所ある。
A,B,C,Dに相当する語の数の内訳は、以下のようになる。
A: 鍰 27 上鍰 6 鍰銅 5 鉸銅 1 合計 39ヶ所
B: 間吹24 間吹銅7 真吹4 まふき1 まふき銅1 なし2 合計 39ヶ所
C: ほと 22 ほと銅 10 程銅 4 程 3 合計 39ヶ所
D: 銅 17 鍰銅 16 鉸銅 4 鍰 2 合計 39ヶ所
2. 「銅座公用留」(1701)2)
覚 →図3
・多田鍰銅2257貫目
右は銅致所持候、銅座へ御買可被下候哉、又は入札にて売払可申候哉、但毎年拙者方より長崎銭座下地かねに吹合申候に付、その合かねに吹申度御座候、御指図次第如何様共可仕候、以上
巳(元禄14年 1701)4月9日 塚口や長左エ門 印
・---
・多田銅入札有之銅の内、此方・大塚や半分宛買取候に付き、大塚や一所に銅座へ断候書付扣
長谷川六兵衛様御代官多田鉸銅2159貫400目、今日入札御座候、右銅高の内1079貫700目、値段銅10貫目に付き59匁4分替に、私方へ買請申候に付き、御断申上候。残る銅は右同値段にて大塚屋甚右衛門方へ買請申候、以上
巳4月9日 泉屋吉左衛門 印
金福 印
「銅座御用扣」(1702)3)
覚
・長谷川六兵衛様御代官所多田鍰御銅2183貫800匁、昨11日入札にて御払被為成候、この内1091貫900匁、私方へ買受申候、相残り銅、富屋藤助殿へ買受被申候に付、御断申上候、以上
午(元禄15年 1702)6月12日 いつミや吉左衛門
銅座御役所 一枚宛
長井藤右衛門様
3. 「鼓銅図録」(文化8~13年(1811~1816)の著作)の南蛮吹
増田綱が著した鼓銅録には、南蛮吹の解説に、「是をしぼりと名づく。字は住友氏は鍰を用ふ。其の他は通じて鉸を用ふ。倶に仮借なり。」とある。「鼓銅図」には、「此の銅をしぼり銅といふ」「鍰吹用具」とある。
考察
1. Aは、「鍰」の字が38ヶ所とほぼ全てが「鍰」を使っているが、「鉸」が1ヶ所あった。
Dは、銀の含有されない銅(間吹やしぼり銅)を指しているが、これを抜銀した銅である「鍰銅」と書いたのが、半数ある。
2. 銅座公用留および銀座御用扣においては、泉屋、塚口やが、多田銀銅山の山元で抜銀された銅を多田鍰銅、多田鉸銅と表示している。使い分けには厳密さはなかったことが伺える。
なお小葉田淳には、「鍰銅とは山元で抜銀した銅を示し」と書いたものがあるが、4)これは正確ではない。住友史料館によれば、山元だから、大坂の吹所だからといった理由で、鍰・鉸の使い分けがされたわけではないとのことである。
3. 貞享4年よりもっと古くから「鍰(しぼり)」は使われていた可能性が高い。
4. 「ほと銅」とは、吹床(南蛮床など)の炉口に溜まる銅のことをさす(住友史料館による)。「程」とも書かれており、「程」の読みは「ほど」であること、火床(ほど)からみて、読みは「ほど銅」であると筆者は思う。
5. 今日、鍰(しぼり)は、生き残っていない。鉸(しぼり)は、金属加工の「へら鉸(しぼり)」で使われている。
まとめ
泉屋の「上棹銅帳」の貞享4年(1687)に、鍰(しぼり)、鍰銅(しぼりどう)があった。
鍰(しぼり)は、鍰(からみ)より100年以前から使われていた。
鍰(しぼり)については、日暮別邸記念館館長倉本勉氏、住友史料館にご教示いただきました。お礼申し上げます。
注 引用文献
1. 住友史料叢書「上棹銅帳」p217,390(思文閣 平成元年1989)→図1,2
2. 住友史料叢書「銅座公用留」p64(思文閣 昭和64年 1989)→図3
3. 住友史料叢書「銅座御用扣」p296(思文閣 昭和64年 1989)
4. 小葉田淳「日本鉱山史の研究」p27(岩波 昭和43年 1968)
図1. 上棹銅帳 貞享4年
図2. 上棹銅帳 元禄11年
図3. 銅座公用留 元禄14年
1. 「上棹銅帳」(1687~1698)1)
①貞享4年卯(1687)5月より9月まで →図1
・鍰 (A) 240,043斤 代 203貫222匁8分 (銅100斤は銀84.661匁)
・間吹(B) 31,172斤 代 27貫951匁9分3厘 (100斤89.67匁)
・ほと(C) 7,252斤 代 5貫811匁1分3厘 (100斤80.126匁)
・合ほと 226斤 代 169匁5分 (100斤75匁)
・白根銅 330斤 代275匁2分8厘 (100斤83.42匁)
・(合計)鍰銅(D) 279,023斤 代237貫430匁6分4厘(押合100斤85.0935匁)
②元禄11年寅(1698)7月より12月まで →図2
・鍰 (A) 297,947斤5 代 259貫964匁2分5厘(銅100斤は銀87.25匁)
・間吹(B) 432,631斤 代 356貫185匁1分 (100斤82.33匁)
・程銅(C) 20,181斤5 代 17貫557匁9分 (100斤87匁)
・(合計)鍰銅(D) 750,760斤 鍰銅請払帳 代銀633貫707匁2分5厘
上記のような2~6ヶ月毎にまとめられた記載が貞享4年(1687)3月~元禄11年(1698)12月の11年間に39ヶ所ある。
A,B,C,Dに相当する語の数の内訳は、以下のようになる。
A: 鍰 27 上鍰 6 鍰銅 5 鉸銅 1 合計 39ヶ所
B: 間吹24 間吹銅7 真吹4 まふき1 まふき銅1 なし2 合計 39ヶ所
C: ほと 22 ほと銅 10 程銅 4 程 3 合計 39ヶ所
D: 銅 17 鍰銅 16 鉸銅 4 鍰 2 合計 39ヶ所
2. 「銅座公用留」(1701)2)
覚 →図3
・多田鍰銅2257貫目
右は銅致所持候、銅座へ御買可被下候哉、又は入札にて売払可申候哉、但毎年拙者方より長崎銭座下地かねに吹合申候に付、その合かねに吹申度御座候、御指図次第如何様共可仕候、以上
巳(元禄14年 1701)4月9日 塚口や長左エ門 印
・---
・多田銅入札有之銅の内、此方・大塚や半分宛買取候に付き、大塚や一所に銅座へ断候書付扣
長谷川六兵衛様御代官多田鉸銅2159貫400目、今日入札御座候、右銅高の内1079貫700目、値段銅10貫目に付き59匁4分替に、私方へ買請申候に付き、御断申上候。残る銅は右同値段にて大塚屋甚右衛門方へ買請申候、以上
巳4月9日 泉屋吉左衛門 印
金福 印
「銅座御用扣」(1702)3)
覚
・長谷川六兵衛様御代官所多田鍰御銅2183貫800匁、昨11日入札にて御払被為成候、この内1091貫900匁、私方へ買受申候、相残り銅、富屋藤助殿へ買受被申候に付、御断申上候、以上
午(元禄15年 1702)6月12日 いつミや吉左衛門
銅座御役所 一枚宛
長井藤右衛門様
3. 「鼓銅図録」(文化8~13年(1811~1816)の著作)の南蛮吹
増田綱が著した鼓銅録には、南蛮吹の解説に、「是をしぼりと名づく。字は住友氏は鍰を用ふ。其の他は通じて鉸を用ふ。倶に仮借なり。」とある。「鼓銅図」には、「此の銅をしぼり銅といふ」「鍰吹用具」とある。
考察
1. Aは、「鍰」の字が38ヶ所とほぼ全てが「鍰」を使っているが、「鉸」が1ヶ所あった。
Dは、銀の含有されない銅(間吹やしぼり銅)を指しているが、これを抜銀した銅である「鍰銅」と書いたのが、半数ある。
2. 銅座公用留および銀座御用扣においては、泉屋、塚口やが、多田銀銅山の山元で抜銀された銅を多田鍰銅、多田鉸銅と表示している。使い分けには厳密さはなかったことが伺える。
なお小葉田淳には、「鍰銅とは山元で抜銀した銅を示し」と書いたものがあるが、4)これは正確ではない。住友史料館によれば、山元だから、大坂の吹所だからといった理由で、鍰・鉸の使い分けがされたわけではないとのことである。
3. 貞享4年よりもっと古くから「鍰(しぼり)」は使われていた可能性が高い。
4. 「ほと銅」とは、吹床(南蛮床など)の炉口に溜まる銅のことをさす(住友史料館による)。「程」とも書かれており、「程」の読みは「ほど」であること、火床(ほど)からみて、読みは「ほど銅」であると筆者は思う。
5. 今日、鍰(しぼり)は、生き残っていない。鉸(しぼり)は、金属加工の「へら鉸(しぼり)」で使われている。
まとめ
泉屋の「上棹銅帳」の貞享4年(1687)に、鍰(しぼり)、鍰銅(しぼりどう)があった。
鍰(しぼり)は、鍰(からみ)より100年以前から使われていた。
鍰(しぼり)については、日暮別邸記念館館長倉本勉氏、住友史料館にご教示いただきました。お礼申し上げます。
注 引用文献
1. 住友史料叢書「上棹銅帳」p217,390(思文閣 平成元年1989)→図1,2
2. 住友史料叢書「銅座公用留」p64(思文閣 昭和64年 1989)→図3
3. 住友史料叢書「銅座御用扣」p296(思文閣 昭和64年 1989)
4. 小葉田淳「日本鉱山史の研究」p27(岩波 昭和43年 1968)
図1. 上棹銅帳 貞享4年
図2. 上棹銅帳 元禄11年
図3. 銅座公用留 元禄14年
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます