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からみ・鍰の由来(7) 元禄4年(1691)の至宝要録は、「からミ」であった

2021-03-14 09:03:23 | 趣味歴史推論
 より原本に近い「鉱山至宝要録」を探していたら、秋田県大館市立栗盛記念図書館所蔵の真崎文庫に「至宝要録」があることがわかった。この図書館より、そのコピーをいただき、調べたところ、原本に近いものであることがわかり、「からみ」の表記が分かったので、本ブログで示す。この和古書には、安永2年(1773)の平賀源内らの巡視や天明7(1787)年2月までの院内銀山の状況の追加記入はされていない。
以下に「からみ」表記の箇所の全てと、あとがきの署名、書写者、年月日等を記した。(読み下し文は、筆者が句読点、助詞、送りがな を付け、元の字が「三」である変体仮名は、字形の似ているカタカナの「ミ」で表記した。また、フイゴへ書き換えている)

「至宝要録」真崎文庫
1. 本文中
・銀鉑を床にて吹、はやよき頃と思う時、ふいごを指やすめ、上の炭をのけ、銀より上に有物をかきのけて取り、是をからミと云。其のからみにも銀の残る有り、左様のからミは、又吹けば銀有り、五度も六度も吹て、銀有る事あり。銀気なくなりたるを、捨からミと云。銀と鉛は重き物故、二色一つに成りてからミの下に有るを水をかけてかたまらせて取り其のかたまるを氷ると云。其の氷りたるを灰の上に置き、フイゴさして吹けば、鉛は灰のうらへ入り、其の上に銀あり。是を灰吹銀と云、上銀なり。なま吹にすれば銀は鉛気残る上、銀の位悪し。鉛気をよく吹き抜きたるを花ふり上銀と云。灰のうらへ入りたる鉛をろかすと云。みつだそう(密陀僧)の事也。其のろかすを銀鉑吹時、又床へ入れて吹けば鉛と同じ事なり。灰吹するを灰吹床と云。
・金銀銅鉛も、床にてとかしたるを湯と云。湯になりやすき鉑を、里(さと)やすきと云。湯に成りにくきをこはり物と云。
・吹にこはる鉑は湯に成りても、銀少なくおりてからミに残る也。それはやに多く有る鉑なり。やにと云うはかねのやに也。何かねにも有り。少なく有ればくるしからず。多く有ればかねおりかぬる也。かねは重ければからミより下へつみ通しおるるものを、やにはねばる物故、かねを包みて下へやらず其の内にかねも、やにと氷りて、からミと成る也。左様鉑吹に合種入る事なり。
・---
・金鉑は焼きてはたき、石うすにて引き、それを水につけて流し-----
----此の吹様を口吹と云。大鉉をつると云。金砂を取りたる路の金気薄きを銀吹様に床にて 鉛入れて吹きそれを灰吹して金取り申す有り。又鉑を其のまヽ銀の様に床にて吹くも有り。それは又有るからミをはたき、水に付けてなり法事、前のをし水に付け流す成ながしと云。ねこほこ取をねこながしと云。

2. あとがき
 此上下二冊は當時、當地に山事しりたる者なきゆえ、書之。後世、山事知りたる人出来たらば井蛙の書さま笑わるべし。然れども時に取ての事也。
 元禄4年(1691)7月日 黒澤浮木著
    菁莪園(せいがえん)蔵書
天明3年癸卯(1783)7月以て石川重禮先生の蔵書をひらき、落合直聴之を写す。

考察
1. 真崎文庫の書は、安永2年(1773)の平賀源内らの巡視や天明7年(1787)2月までの院内銀山の状況の追加記入はされていないので、より原本に近い。石川重禮先生所蔵の本を1783年落合直聴が書き写した記録が書かれている。工学史料や、日本科学古典全書に比べると、細部では、多くの語句や文章に違いが見られる。
2. 真崎文庫の「写し」は、「からミ」8ヶ所、「からみ」1ヶ所 であり、「鍰」はなかった。
3. 秋田藩院内銀山で、黒澤元重より前の惣山奉行であった梅津政景の日記の「からミ」を踏襲している。真崎文庫のこの「写し」は、原本通りの写しと推定した。
4.  工学史料や、日本科学古典全書の「鉱山至宝要録」は、1787年以降に、書き加えられ、書き写れたもので、その際「からミ」が「鍰」に書き換えられた可能性が高い。

まとめ
1. 真崎文庫「写し」から、元禄4年(1691)の「至宝要録」は、「からミ」8ヶ所、「からみ」1ヶ所 であり、「鍰」はなかったと推定した。
2. 工学史料や、日本科学古典全書の「鉱山至宝要録」は、1787年以降に、書き加えられ、書き写れたもので、その際「からミ」が「鍰」に書き換えられた可能性が高い。

注 引用文献
1. 「至宝要録」 秋田県大館市立栗盛記念図書館所蔵 真崎文庫 写真帳 56丁、落合直聴写 
秋田県立図書館、秋田県公文書館、そして大館市立栗盛記念図書館の佐久間裕子氏に史料コピーの入手等でお世話になりました。お礼申し上げます。


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