母の点滴も終わり
明日 盆行に来る お寺さんの用意も 適当に終わり
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介護の原点
今日の素敵な事
Julia Kerry
認知症の母とレスキューされた老犬との日々・・・仕事。
第21回
悲嘆の底を抜けた先には希望がある
・・・前略
脊椎カリエスに苦しんだ俳人・正岡子規は、死の直前まで書き続けた日記『病牀六尺』(岩波書店)のなかで、こう書き残しています。
(以下、引用)
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた
(明治三五年六月二日付)
(引用ここまで)
いかなる場合も平気で生き抜く――。それは先ほどの星野富弘さんにも、いま話した伊藤さんにも共通していることのように思われます。
ゲーテにこんな言葉があります。
(以下、引用)
なんらかの方法で死を解決した人の生き方は明るい。
(引用ここまで)
星野富弘さんの言う「いのちより大切なものがあると知ること」。
正岡子規の言う「いかなる場合にも平気で生きていること」。
ゲーテの言う「なんらかの方法で死を解決すること」。
それらを知ることが、あるいは人間が生きる意味なのかもしれません。