周囲の山々から集まる豊富な水に恵まれた日田盆地は古くから北部九州の各地を結ぶ交通の要衝として繁栄していました。
1639年に江戸幕府の天領となり日田陣屋が置かれましたが、1767年に日田代官が西国筋郡代に昇格すると九州支配の拠点としての重要度が高まり、
近隣諸国や大阪・京都と戸の取引で富を得た商人達が台頭しました。
町の発展が咸宜園を支援したといわれています。
1.御幸通り
南北に2本の通りと東西に5本の通りの整然とした町割りができています。
2.伝統的建造物群保存地区
平成16年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
主屋72件と土蔵58件を含む167件の建造物と水路や護岸の工作物82件、庭園や樹木など41件が環境物件に特定されています。
3.旧古賀医院診療所
昭和7年に建築された建物は現在は豆田町づくり歴史交流館として無料で公開されています。
4.旧船津歯科
豆田町では数少ない疑似洋風建築で、大正期の長屋は3階建ての洋風建築に生まれ変わっています。
こちらも豆田町づくり歴史交流館として無料公開されています。
5.豆田の町並み
豆田町は明治期に2度、昭和に1度大火を経験し茅葺屋根から瓦屋根や漆喰壁などへ変わっていきましたが、
江戸期から大正期に建てられた町家を中心に漆喰壁の町家、近代の洋館、醸造蔵、昭和初期の三階建て家屋等が並び、町ごとに特徴ある歴史的景観を残しています。
撮影:CANON M5
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