萩城は関ヶ原の戦いで敗北した西軍の総大将であった毛利輝元が移封され、1604年から築城を開始しました。
1.萩城の城郭がある指月山
萩城は日本海に突き出た標高143mの指月山(しづきやま)山頂に山城、山麓に平城が築かれたので構造は平山城とされます。
2.毛利輝元像
二の丸南門跡前に輝元の像があります。
3.毛利輝元の紹介
輝元は藩祖元親から三代目となります。
4.本丸門入り口
関ヶ原の戦い前の毛利藩は8か国112万石の大大名でしたが、敗戦後は2国36万石に減封されました。
5.内堀と天守跡
内堀に面した角に天守がありました。
6.萩城天守の説明
高さ14.4m5層の白亜の天守がありましたが、明治7年に解体されました。
7.紅葉が見頃
城内は大河ドラマ「花燃ゆ」のロケ地に使用されました。
8.「旧厚狭毛利家屋敷長屋」入り口
旧厚狭(あさ)毛利家は藩祖元親の五男を始祖とする毛利家一門で、総石高8371万石ありました。
9.長屋北側表通り
厚狭(現在の山陽小野田市)に知行があったので厚狭(あさ)毛利家と呼ばれ萩城二の丸門南に広大な屋敷を構えていました。
10.長屋南側
母屋やに庭園などは明治維新後解体され、長屋だけが残りました。
長屋は昭和41年に重要文化財に指定された後、昭和42年から解体修理が完成しました。
1856年に用材のすべてを領地の厚狭から運び建てられたことが修理後分かりました。
現在萩市に残る武家屋敷で最も大きな建物です。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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