上海下町写真館2014

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お上りさんの江戸観光(4)靖国神社の大村益次郎像:千代田区

2024-12-13 06:00:00 | 国内旅行

何かと報道が多い靖国神社ですが初めて参詣しました。参道のイチョウが素晴らしいと有名らしいです。

 

1.靖国神社のイチョウ

知人に勧められて靖国神社のイチョウを撮影しました。

 

2.靖国神社境内案内図

想像していたよりもこじんまりとした神社でした。

 

3.大村益次郎像

大村益次郎の巨大な銅像に感激しました。山口県でも彼の銅像は見た記憶がありません、

明治26年に完成した日本最初の西洋式銅像で、当時東京の新名所となったそうです。

彼は明治維新において新政府軍の上野戦争を指揮しましたが、江戸の町の消失を懸念し梅雨の始まりまで攻撃を待ったそうで、江戸市民にも評価されたのでしょうか。

 

4.大村益次郎は日田で学んだ

大村益次郎は大阪緒方洪庵の私塾「適塾」で塾頭まで進みますが、それ以前、大分県日田市にあった私塾「咸宜園」で漢籍や算術など1年間勉学しています。

 

5.日本陸軍の創始者

戊辰戦争では東征大総督府補佐として勝利の立役者となりました。

明治政府では兵部省初代次官(長官は公家)を務め、日本陸軍の創始者とされています。

 

6.村医者だった

武士ではなく村医者の家に生まれましたが、長崎で蘭方医学と蘭学を学びました。

宇和島藩に招へいされ西洋兵学や蘭学の講義を行い、砲台建設や軍艦製造の研究なども行っています。

その後、宇和島藩主の参勤交代に供をし、江戸に出て幕府の講武所の教授までも務めています。

1863年長州萩へ帰国、木戸孝允の推挙により100石取の上士となり明倫館の教授として西洋兵学を教え、藩内の近代軍建設の責任者になるなど活躍をしました。

西洋の最新学問を学んだ彼の登場を時代が求めていたのかもしれません。

明治維新後の兵制改革などを薩摩藩と進めていましたが、明治2年(1869年)9月京都で刺客に襲われ重傷を負い、11月治療の甲斐なく敗血症で死去しました。

享年45歳。

 

撮影:CANON EOS  RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM

 


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