当方は、或る冬の日の午後四時ごろ、
京都大学法学部事務掛にて、
「法学論叢」という論文誌を受け取ろうとしていた。
実は、法学部生は「法学論叢」を無料で受け取れる。
ただし、受け取り期限が定められていた。
その期限が、入学から四年目の或る冬の日。
事務掛の窓口職員は、
淡々と機械的に
「法学論叢」をどこからか、持ってきた。
重量数キロ。
四年分「法学論叢」
事務職員は淡々と機械的に、当方に重量物を渡した。
で、当方は淡々と
重量数キロ
をカバンに積めて、持って帰った。
さて、もし事務職員が感情を少しでも表に出していたならば、どうなってたか。
たぶん、
「法学論叢」が鈍器に化けていた。
https://t.co/t5L17Aba3G ちゃんとした小児科医は、赤子相手でも、挨拶し、症状を尋ねる。患者であることに変わりないから。
— 舶匝(はくそう @online_cheker) (@online_checker) April 23, 2022
杓子定規な一貫性が時として、尊厳に資することもある。
(by 一々、相手に頭を下げる習性が板に染み付いている)
杓子定規な一貫性、
言い換えれば、
淡々と機械的に。
https://t.co/Zwbsy8YR2K
— 舶匝(はくそう @online_cheker) (@online_checker) April 23, 2022
人ではなく、機械として扱えば、#セクハラ リスクは低減します。
機械は生殖活動からは、縁遠い。
機械的扱いが、相手の尊厳を支える事もある。
(by 「事務掛窓口が機械的応対・非人間的に応対する」京大法の、出身者)
個人の尊厳を確保するため、
親身にならなければならない、
認知的資源を傾斜配分しなければならない、
という思い込みが、(特に対人援助界隈に)蔓延っている。
しかし、ご紹介した通り、
淡々と機械的に扱うアプローチも、ある。