世界にはワクチンの強制は迫害だと言って亡命を求める人がいます。ワクチンとの因果関係が証明されない症状を薬害だと主張し訴訟を起こす人もいます。亡命や訴訟など弱者を守るためのシステムが科学を否定する市民運動の手段になることに関し私たちはどう対処すべきなのか。
— Riko Muranaka/村中璃子『新型コロナから見えた日本の弱点 国防としての感染症』 (@rikomrnk) September 30, 2020
「科学」が暴力装置として人々に作用していることを看過。
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こう考えると村中璃子の大罪がわかる
— 菅野完bot2 (@suganobot2) September 30, 2020
あいつの言ってることは、厚労省の認識とも違う
単に「政治の都合」の提灯持ってるだけに過ぎない
語の全き意味での「体制の犬」だ。 (2020/05/06)
という見立ては、若干甘い。
村中璃子は、
暴力装置としての「科学」の扇動者orカモフラージュ。
確かにこれでは日本は反ワクチン国家だと見なされても仕方ない。子宮頸がんワクチンの安全性を伝えた功績に対し与えられた賞なのに、日本では子宮頸がんワクチンによる健康被害が相次ぎ人々は国を訴えている、受賞者はワクチンの危険性を唱える医師から訴訟を起こされてる人ですと書くらいだから。
— Riko Muranaka/村中璃子『新型コロナから見えた日本の弱点 国防としての感染症』 (@rikomrnk) September 29, 2020
日本国民が、「科学」に伴う暴力装置としての側面に勘付いているだけのこと。
村中のように、「科学」という暴力装置に人々を隷従させようとする立場にとって、レジスタンスたちの存在は邪魔だろう。
江戸時代に遡ると、日本は格段に理解しやすくなる。特に、大原騒動。 - 舶匝
にて紹介した大原騒動は、アメリカ独立戦争からフランス革命期にかけて起きた。市民意識という点では、日本は決して後進国ではない。
にて紹介した大原騒動は、アメリカ独立戦争からフランス革命期にかけて起きた。市民意識という点では、日本は決して後進国ではない。
日本国民は「隷従」に対して敏感である点を、
忘れてはならない。
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