主催者の長谷川踏太さんは「作品が盗まれる前提の展示会に、アーティストはどのような作品を展示するのか」「ギャラリーや美術館といった展示空間と鑑賞者の関係が壊された空間で、芸術作品のありさまを違った角度から捉え直す」と企画の趣旨を説明していた。
「コピーアート」界隈では、検討済みの事。
ていうか、長谷川踏太は、アンディ・ウォホールすら知らないのか?
参考
「青空が映るコピー機と複製芸術の可能性。THE COPY TRAVELERSインタビュー」
「アートのコピーはアートか?」ウォーホール美術館と北米の大学院の授業
「グッチ」が上海でアート展 現代社会に不可欠な“コピー”にフォーカス
この際だから、「コピー、なぜ悪い」と言ってみる
――――― 「コピーの時代」展を見る
「展示空間と鑑賞者の関係が壊された空間」
これ、浮世絵が刷られた当時の空間やかつてのコミケを顧みれば、済む話です。
「盗めるアート展」の意義は、、、
21世紀の貨幣経済の前では、作者やキュレーター(笑)の意図も意志も、作品自体も、無力である
くらいでしょう(出品者たちは「鑑賞」すらせずに撮影して出品しているのでしょう)。
メルカリやヤフオクで売れ残れば、
「燃やさないゴミ」行き不可避。
(ヤフオクで出品中のものを眺めたものの、、、1円かつ送料無料でも、引き取りたくないガラクタばかり……)
盗めるアート展、現代美術の価値を毀損してますよ。
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