毛沢東、1917年に発表した最初の論文「体育の研究」 は、
嘉納治五郎の柔道に、強く影響を受けている。
当時わたしは日本の美を知り、感じとり、このロシアに対する勝利の歌に日本の誇りと力を感じたのです
1917年に毛沢東が新聞記者に語った言葉。
初期毛沢東思想は、
日清戦争・日露戦争に勝利した日本との明確な接点がある。
いうまでもなく、
毛沢東がマルクス主義に接する機会は、
1919年、大都会たる上海に移住した後。
そもそも、マルクス主義は、
都市労働者を想定して構築された理論体系。
(社会主義思想における都市・農村の違いは、高校世界史の範疇)。
(社会主義思想における都市・農村の違いは、高校世界史の範疇)。
さて、
北朝鮮スパイ という記事を書いた阿呆に、
筑波大で博士号を取得された方。
『初期毛沢東の思想 : 「世界苦」脱出のロマンティシズム』のタイトルから明らかな通り、マルスク主義と出会う前についての思想分析。カール・シュミットを引き合いにすら出していないあなたは、原論文https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=50321&file_id=17&file_no=1 を一読すらしていないこと、明白ですよ。
まず原典に当たれ、は学問の初歩ですよ。
とライトな説教。
主任教科書調査官(地理歴史科(世界史) )を務める中前吾郎博士(法学)、
任務を果たされる事を祈念致します。
嘉納治五郎と筑波大がすぐに結びつく方は、
筑波大関係者でしょう(当方は、かなり時間掛かりました)。
おそらく、博士は
筑波大に立つ嘉納治五郎から、
(前述の)「体育の研究」を経て、
初期毛沢東思想を手繰り寄せた
のかもしれません。
そもそも、十九世紀から二十世紀前半の中国は、
世界史的に見ても、面白い領域です。
絶好調から、転落して、復活した、
というジェットコースターのような流れですから。
ちなみに、
博士の主任教科書調査官就任に騒ぐ右派連中のうち、
文科省大臣を批判する者は、皆無。
権力に物申さぬは、右派ですらない。
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