#日本共産党綱領 は後から読むと分かりやすい。或いは #敵の出方論 は生きている。 のつづき(積極的に続ける気はあまりないのですけど)
発達した資本主義国での社会主義的変革は、特別の困難性をもつとともに、豊かで壮大な可能性をもった事業である。この変革は、生産手段の社会化を土台に、資本主義のもとでつくりだされた高度な生産力、経済を社会的に規制・管理するしくみ、国民の生活と権利を守るルール、自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験、人間の豊かな個性などの成果を、継承し発展させることによって、実現される。発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道である。日本共産党が果たすべき役割は、世界的にもきわめて大きい。
社会主義的変革
社会変革
その手段は一切明示せず。
特別の困難性
数年に一度の選挙ならば、使わない言葉。自前の街宣車や機関紙を持つ「政党」ならば猶更。
暴力使用に起因する困難以外に何があるのでしょう
生産手段の社会化
生産財と消費財の区別が付くことを、前提とする。
リモートワーク用の端末と私用の端末を物理的に分けている人ばかりではない。
サイコロの旅で使われるサイコロは、消費財か、生産財か。
オフィスに置いてある駄菓子は、消費財か、生産財か。
素人の創作活動は、生産か、それとも、消費か。
(#小説 「 #天皇制最期の日 」をGETTRにて連載中
社会的に規制・管理
規制・管理の実効性担保手段は何か。
暴力以外の手段では、規制・管理に困難が生じると、
社会的に規制・管理は破綻する。
万難を排してでも儲けに群がる人々は、古今東西問わずいるから。
そもそも、
政府の失敗(社会主義諸国の定番)に対する処方箋皆無。
国民のたたかいの歴史的経験
選挙の経験は、歴史的経験か。
「歴史」に残るものは、暴力革命の類。
「歴史的経験」とは、暴力革命の過程で得られた経験。
「たたかい」に直接的にも間接的にも加わっていない者は、「国民」に含まれるのか。含まれないならば、如何なる扱いを受けるのか。
「たたかい」の経験を経た「国民」が、
「国民」でない者に有するであろう悪感情は、
フリーライダーに対する悪感情と同種。
「国民」でない者に対する仕打ちは、
ワクチンパスポートの比ではないと予想できる。
個性などの成果
つまり、ノウハウ・知見・暗黙知を含む無形の類。
それら以外の無形の類に対する扱いは、不明。
そもそも、それら以外の無形の類の担い手には、「たたかい」に直接的にも間接的にも加わっていない者も含まれる(只の場合分け)
それら以外の無形の類が、フリーライダーに対する「国民」からの憎悪と新たな社会のコンボによって、消滅する恐れ。
苦しい思いした人たちに、苦しい思いしていない人たちを提示すれば、
苦しい思いした人たちが、苦しい思いしていない人たちにバッシングを仕掛ける。
これは、古今東西問わず。
為政者から見れば、
苦しい思いした人たちをテコとして、苦しい思いしていない人たちを抑圧することができる。
極めてローコストな手段
(ルワンダ大虐殺がその著名な例)
で、日本共産党綱領に登場する
「国民のたたかいの歴史的経験」
は、苦しい思い。
日本共産党綱領は、人々に苦しい思いを強いる上、苦しい思いを経た人々を、暴力装置に作り替える。しかも、為政者による命令ではなく、各人のフリーライダーに対する悪感情に基づいて行動する。
ゆえに、暴力装置の統制は緩い。
(ルワンダの惨状を見れば明白)
日本共産党綱領は、
生産手段を管理・統制する姿勢を示す一方、
自然発生する暴力装置への管理・統制に無関心。
アンバランス、この上ない。
生産手段から生じる利益を着服する目的があるならば、合理的なアンバランスさ。
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