自然の法則に逆らうことはできないであろう

2006-11-30 | 自然科学
ことわざはとりあえず、人間の知恵の記憶。中には自然の法則に格上げされて良いものもあるかもしれない。

「学びて思はざれば即ちくらし、思いて学ばざれば即ちあやうし」

このことわざの細かい単語の意味ははっきり分かりません。

しかし、意味としては、勝手な解釈で今の言葉で言えば、

「知識をアップデートしないと取り残されるが、何のためにそれをしているのか分からないことを機械的に続けていても、いい結果を続けて出すなど望めない。」そんなことを言っているともとれる。

弱肉強食の、無法地帯のような普通のサラリーマンにとっても、プロにとっても、この自然法則には逆らえないのではないだろうか?

うっかりしがちだが、人間の無意識的行動のみならず、あらゆる意識的活動も自然の法則に従っているはずだ。

そう考えないなら、意識には超自然的な神が宿っている。そう考え続ける人たちもいると思います。でも、私はすべて自然の法則のせいにします。特に、法則は人間の認識能力の範囲では、時に進化していく可能性も高いのではと想像したくなります。

そして、認識能力の限界をこえて法則を考えるには「神様」を定義するのが非常に優れた発想だと思います。でもその必要があるときは普段少ない。殆どそのような定義とは無縁のルールを使って生きています。

そのルールはより正しい方法で学習しなくては、よりよく身に付かないように思えます。より正しい学習態度・方法を身につけるよう、注意したいものです。

ところで、ここで再度考えてみると、
自然の法則で生きている人間が、その"自然の法則の一部"を理解して、より便利に生き易くなるよう道具を作って、さらに新しい"自然の法則"を発見する。だからといって、この次ぎ生まれてくる人間や、後輩が、自然と意図的に努力せずにこの"自然の法則"を理解し身に着けて、使えるわけではないのだ。
この"意図的に"人間が後輩に仕組む仕方にはまた、"自然の法則"があるのだろうか???
興味深いものですね・・・

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