直接成果に見えなくても、間接的に成果を上げる機会を増やすことになったりするかもしれないが、それ以前に、学んだ後に新しい技術的視野が開けることが重要だと思う。
経験や感覚を補うことになるかどうか、それもハッキリはしないが、
そう思えれば、学び続けることができる。
というわけで、CMOS(complimental metal oxide semiconductor)プロセスを使うトランジスタ素子に接する仕事柄、
Razavi先生や、Jake先生の教科書を3年半前に読み始めた。
その本には、トランジスタのモデル化の手法、電圧や電流を設定する回路の作り方の基本と応用、信号を増幅することのできるしっかりとした回路の作り方のポイント、そして、実際と理論の差異が書かれている。
でもこれらって、システムのなかのミクロシステムの話で、それらを利用して人間が何を行っているのかについてはそこから知ることは殆どない。
たとえ理論書でもいいから、システム全体に通じる、人々の工夫をまとめた本からも学びたいではないか・・・
だから、ラシイ先生の「詳説 ディジタル・アナログ通信システム」を買って、
誰かと一緒に読み進められないかな?とか思って、置いてあったりする。
MATLABの本で、制御システムについて読んで、Silabで実験したりし始める。
さらに、生命科学のしっかりした基礎知識があった方が、気持ちや考え方が豊かになると考え、高校の生物Ⅰ・Ⅱの参考書を読んだり、問題集を解いたりする。
勉強の仕方がいい加減なまま死んでゆくのも惜しいから?それもあるが・・・
上の3つの科学的知識と手法を合体させると、生命システムの謎を解明したり、新しい生命システムを電子的に生み出したりする方向への動機が芽生えたりする。
人間の営みは、もちろんそんな幼稚なレベルの小さな動機だけでは、成就しない。
では、他に人生を生きていて”わくわく”する方法がないだろうか。
スポーツ観戦、ライブ鑑賞、楽器を通じた人との交流・・・・
これらは、人生の外部的文化的なパーツでしかなく自分自身のなかから、”わくわく”が湧き出させる方法にはならない。
仕事がなくなれば、楽しめなくなるし、文化が変わればパーツは置き換わる。
そうではなくで、”わくわく”を湧き出す方法って、あったらよいのにと思う。
大方、贅沢な多趣味に終わってしまう雰囲気があるなかで、
それでも、年とともに成熟し、開花する”わくわく”の種を育てることができたら良いのにと思う。
近代化のイデオロギーとでもいったらよいだろうか、産業構造に人間の心理構造をあわせる人生観といったらよいだろうか。
そんなものは一旦忘れて、それぞれの立場や環境の人間が今と未来を生きてゆくとは何か?
いまさらだからこそ、しっかり考えたいと思っている。もう二度と考える時間などなくなりそうだからか?いや、他の地球上の動物同様、老化して、次の世代に未来を託し、自身は安定化し、固定化し、考える能力、想像する能力が衰える傾向があるのは確かだからだ。
どなたか、ラシイの教科書って読みたくない?
経験や感覚を補うことになるかどうか、それもハッキリはしないが、
そう思えれば、学び続けることができる。
というわけで、CMOS(complimental metal oxide semiconductor)プロセスを使うトランジスタ素子に接する仕事柄、
Razavi先生や、Jake先生の教科書を3年半前に読み始めた。
その本には、トランジスタのモデル化の手法、電圧や電流を設定する回路の作り方の基本と応用、信号を増幅することのできるしっかりとした回路の作り方のポイント、そして、実際と理論の差異が書かれている。
でもこれらって、システムのなかのミクロシステムの話で、それらを利用して人間が何を行っているのかについてはそこから知ることは殆どない。
たとえ理論書でもいいから、システム全体に通じる、人々の工夫をまとめた本からも学びたいではないか・・・
だから、ラシイ先生の「詳説 ディジタル・アナログ通信システム」を買って、
誰かと一緒に読み進められないかな?とか思って、置いてあったりする。
MATLABの本で、制御システムについて読んで、Silabで実験したりし始める。
さらに、生命科学のしっかりした基礎知識があった方が、気持ちや考え方が豊かになると考え、高校の生物Ⅰ・Ⅱの参考書を読んだり、問題集を解いたりする。
勉強の仕方がいい加減なまま死んでゆくのも惜しいから?それもあるが・・・
上の3つの科学的知識と手法を合体させると、生命システムの謎を解明したり、新しい生命システムを電子的に生み出したりする方向への動機が芽生えたりする。
人間の営みは、もちろんそんな幼稚なレベルの小さな動機だけでは、成就しない。
では、他に人生を生きていて”わくわく”する方法がないだろうか。
スポーツ観戦、ライブ鑑賞、楽器を通じた人との交流・・・・
これらは、人生の外部的文化的なパーツでしかなく自分自身のなかから、”わくわく”が湧き出させる方法にはならない。
仕事がなくなれば、楽しめなくなるし、文化が変わればパーツは置き換わる。
そうではなくで、”わくわく”を湧き出す方法って、あったらよいのにと思う。
大方、贅沢な多趣味に終わってしまう雰囲気があるなかで、
それでも、年とともに成熟し、開花する”わくわく”の種を育てることができたら良いのにと思う。
近代化のイデオロギーとでもいったらよいだろうか、産業構造に人間の心理構造をあわせる人生観といったらよいだろうか。
そんなものは一旦忘れて、それぞれの立場や環境の人間が今と未来を生きてゆくとは何か?
いまさらだからこそ、しっかり考えたいと思っている。もう二度と考える時間などなくなりそうだからか?いや、他の地球上の動物同様、老化して、次の世代に未来を託し、自身は安定化し、固定化し、考える能力、想像する能力が衰える傾向があるのは確かだからだ。
どなたか、ラシイの教科書って読みたくない?