わたしは もっとも小心者で 臆病者であるという封に見ている.
人並み以上の 腕力があり 争いごとに 強いわけではない
では 小回りが利いて 敏捷で 要領がいいかというと これかまた
のろまで 役に立たない 男である
どんな 不細工な 男であっても 天は何か1つ いいものをもたせて
この世に 送り出しているらしい
人一倍 思い切りがいいほうである.もう70年以前のことであるが
そのころ 中学を受験するものは少なかったころ
毎日 一山越えた に住んで いらっしゃった 先生の家に
今で言えば塾かなあ. 入学試験の準備の勉強にかょっていた
一日 それをサボったことが 母親にわかり 母は大いに怒った
その翌日 母は私に一枚の書類を渡した 見ると
『満蒙開拓義勇団募集』の書類だ. 勉強サボって 親を騙すような
子供に 進学させるわけにいかない.」今日かぎり 先生のところにかよう
必要なし 書類書いて 役場にもっていきなさい.
自分でもそうだと納得した.願書をもって役場にいった.
けど そのことを知った先生が母にあやまりを入れて 事なきを得た
あのとき満州にわたっていたら シベリヤ抑留は間違いなかったと思う.
中学卒業を前にして 戦局は一段と激しさ和増した.名古屋に動員
されていたが 大阪の大空襲和目の前にして 「海軍に志願した.
当時 将校が不足して 海軍で士官候補生和募集した.城山三郎
サンたちも同じだつたらしい.
せめて 役立たずの 俺は国のために命差酒用と思った
思ったら行動は早い.親にも相談なしに決めた.海兵団に入った.
当時 戦艦霧島が比島沖で轟沈したとき生き残りの下士官たちが
わたしたちの班長についた.訓練は将に地獄であった
不思議なことに この不器用な私が 半殺しにされることもなく
初年兵訓練を終えた.それから暫くして終戦だ.
幾たびか死線を越えているうちに 人間ふち部と四苦なるものらしい.
一日40本吸っていたタバコも「おっタバコやめるぞ」禅下したそのとき
そり瞬間から きっぱりやめて10を超えた.その間82歳のころ
肺ガンの先刻があって 肺切除した.担当の先生から「貴方はとても運の強い人だ
といわれた.先日88歳の米寿を迎えた.しかし誰からもお祝いの言葉はもらえなかった
今日もいつものように生きていることが 不思議である.