大人のための道徳教育が先決

2015-06-22 21:01:05 | 日記

文部科学省の道徳教育論が 熱を帯びてきた.

だが 待てよ .先人たちは 果たして 文部科学省が

熱を入れているような 道徳教育ということを

大上段に構えて 教育したであろうか.

確かに「修身」というかもくがあったことは知っていた.

 

幸いなことに わたしたちのところは僻地であったから

視学官が立ちよる所でもなかった

受け持ちの 大山先生は 修身の本ではなく

アンデルゼン・イソップ.グリムなど 童話集の授業であった

 

むしろ修身は 実践によって 行なわれた

いわゆる郷中教育であった.

小学校の2年生になったら 入ることが出来る.

そこは大人も子供も一緒だ

礼儀・言葉使い・特に弱者いじめなど もっとも恥ずべき好意とされた.

さて 現在道徳論を見てみよう.

道徳教育が必要なのは 先ずは大人からだろう.

大人の中でも権力を得た政治家からだろう.子供への押付けは困るのである.

どんな内容なのか わからないか 戦前よりきついものになりそうだ

そしてたちの悪い道徳教育が 行なわれるようで疑念を持っている.


親鸞聖人の 嘆異抄に触れて

2015-06-22 19:38:06 | 日記

平成2年8月 わたしは 茨城県笠間市の 長谷寺の縁側に座っていた

下界の山々の 緑が 目に まぶしい季節である.

真夏の 暑さも感じない せみの鳴く声だけが 磐に染み入るように響いていた.

 

ここは 真宗の始祖 親鸞聖人が 関東の信者の声に答え 新潟から

深い雪を 踏みしめながら 難行されこの地に お寺を建てられた.

長谷寺が其のお寺である

だから 西本願寺よりも歴史がふるい由緒ある お寺である.

 

親鸞上人といえば 有名な歎異抄の一説

「善人 なおもて往生す. いわんや悪人においておや」という言葉が

残されている.

 

人は念仏によって救われる 『他力本願」をとかれた.

たいへん 大柄な方で六尺を超えていたといわれる

90歳の長寿でこの世を去られたと聞く

 

幼いころから 信心家の祖母に連れられて お寺におまいりした

若いうちは信心のことなど 思いもしなかったが 老境に入ると

不思議にこころにゆとりが出てくる

 

往生を待つ心らしい


病院にて

2015-06-22 19:14:58 | 日記

久しぶり 正確に言えば 一月ぶりに 病院に 診察に行った.

事務員さんや看護婦さんたちも 新しい 制服が支給されたと見えて

一段と 晴れ晴れとしている.

病院は 相でなくてはいけない.ただでさえ陰気な 所もある 病院だから

晴れやかなほうがいい.

若い 院長さんも 張り切りボーイである.これがわたしの行きつけの病院である.

「はい 誰か おじいさんの 血液検査してあげて」

新顔の 看護婦さんが 注射に取り掛かった.

「おじいさん 血管がないよ.」『ばかいいなさい 血管が無ければ俺宇宙人化』

そばで仕事していた 婦長さんが わたしが変わろうかという.

新入さんは お願いといって

引き継いだ. 「なんだ あの娘 せっかく 稽古させてやろうと思ったのに」

流石 婦長さん 一発で 血管を当てた.

4本血を抜かれた. まだ残っているようだ.

「おじいさん どう 変わったことはない?」

「まあまあですね.でも 予感はしているんです.」

『何言ってるんですか.検査の結果は 大丈夫 あと2,3年はもてそうだよ.」

『梅雨寒というんですかね.寒いですよね.』・・・・・・

『風邪引いたかな・・・』

外はうっとうしい梅雨空である.