一日会えば一日分好きになり、十日会えば十日分好きになる人。西郷どん

2018-01-04 13:33:25 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

「NHK西郷ドン いよいよ・・」

中学に 入学して 柔道の時間に 道場に入っていくと、道場中央に 紅帯を締めた

大男 鋭い眼光の 先生が 座っていらっしゃった。

「あん人が 西郷さーの 孫さん だってよ。」

「ほんのこっな。私は 驚いた。」後で聞いたことだが この中学の大先輩らしい。

本校出身の 立教大学に進んだ 野球の剛球投手 西郷投手も 関係あるらしい。

ちなみに、西郷さんの陸軍大将の銅像も本校出身の安藤照先生の策になるということで

誠名誉なことだと 後日知ることができた。

解説していただいたのは 東京大学で文学部教授 で昭和天皇の御進講担当の池田俊彦先生

だったから 非常に大きな影響を受け 毎日 通学路に 佐合終焉の地 岩崎谷

西郷銅像前 西郷さんの誕生の家の前を往復したことが いま身が得ってくる。

征韓論で西郷さんが 自ら特使を願ったのは 彼の成功例に酔って おれが朝鮮にわたって

話し合いで解決してくるという 野望があったのだろうという解説が載っていたが

これは 西郷が特使に決定した(後でくつかえされる」とき板荷気に食った七行の詩

が物語っているように 死に場所を得たまごころから出たものである。

さらに 僧月照との投身自殺も「為にしたことと」解説していたが、西郷の信念として

心に企みなし。と言い遠島中 毎日のように そのことについて自問自答してきたということを

弟の西郷従道に伝えて 「もし私にたくらみのある人間と映ったら、人のうわさが

あったら 必ず私に知らせてくれ。」と言って江戸を離れたという。

西郷は西欧嫌いであった。という評価も記していたが、

「西欧の文明国と言われる国々は ほんとの文明国ではないね。」と西欧文明に心酔している

人をからかった。すると「西郷さん それは間違いですよ。」とべんめいする。

西郷は笑いながら そんなら どうして 弱い未開発の国に戦争して 先方の

貴重な財物を自国の物にするのか。むしろ 遅れている国には手厚く助けてやってその国の

発展に力を貸すのが文明国のすることじゃないですか。」というと相手は一言も返事することが

的なかった。そういう逸話を聴くにつけて 誠の人西郷さんの偉大さなかなか理解されないだろうなと思った。まさに現在の日本の姿を見るようだ。慧眼おそるべし。