:原野に立って・・・・・2

2018-01-05 15:07:53 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

 憲法大9条のこと。

新憲法が 9条が 永久に戦争を放棄した。という思いは占領軍の押しつけのあるなしにかかわらず

当時の日本人の 総意みたいなモノではなかったのだろうか。

いくら強がりを言っても あの時の日本は完全に崩壊していた。

国内に敵を迎えて 戦争したことがないから 分からなかったことが やっとわかってきた。

空を覆うB29の期待から 雨のように 降ってくる焼夷弾、爆弾、機銃掃射 地獄です。

あの姿になってどうして「国民の生命財産がまもられる」そんなものではありません。

目の前で両親が兄弟がもがきながら死んでいく。そんな姿をまた見たいのでしょうか。

私は 最近よく思うのですが、これから先 武器を持つ国は「最終兵器」の開発に血眼になるでしょう。彼らはもはや地球破壊の犯罪者になるのです。

私たちの帆はが危機に瀕しているのです。宇宙から地球を見て「嗚呼地球というのは美しい」

と感傷にふけっているときは いいのですが 、地球を汚したように 宇宙もよごしていくのでしょうか。

いまこそ 国連は賢人会議を設定すべきです。ボランティアでは少ないのです。

北朝鮮の核の問題にしても 彼らには「核持つ国は世界中に広がってきてるじゃないか。」

何故 おれたちの国が核を持つことに文句つけるのか」という 言い分になんと答えたらいいん

だ。核をもった国をどうして説得せよというのだろうか。日本が危ないからやめてくれ。

さもないと 制裁を強めるぞ。と言ってみてもつうずるはずがない。

だからと言って これをつぶしていくためにある国が核を使えば世界の方々で連鎖反応が

怒ってくる。地球の自転に変化を与えないのか 不安である。地球上が放射能で覆いつくされないか

心配しないのだろうか。「若者を再び戦場に送らない。」という母たちの願いはかなわないのだろうか。。

世界の叡智に期待するしかないのか。

 


新年を迎えて。原野に立つときの思い出。・・・・・・・1

2018-01-05 14:42:18 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

今年 平成29年度も 日の出を拝むことができた。

「思えば 遠くに 来たものだ。」歌の文句じゃないが この90年を顧みて 痛感した。

誰にも 起こることかもしれない。その中には 幾たびか 死に向かい合うことも

あったはずだ。それでも 思いだにしなかった 卒寿を迎えることができたものの

なんとなく 生き恥さらしているようで誠に申し訳ない。

阿部総理の 新年のあいさつの中に「私たちは 戦後の 被占領中の悪しきしきたりから

脱却して 新しい 日本の国柄を作り上げなけれはならないという 趣旨だったおもうが

彼らには そのように祖国が頼ってきた道が 誤りだったと思っているのだろう。

「石にかじりついても」という 言葉が存在した。あの当時日本国民は医師にかじりついても

という 思いで美を暮らしたものだ。いかに戦争というものがさんなものであったか。

骨の髄まで 分かったはずなのに。不戦の誓いは 占領軍から押し付けられたものではなかった。

原爆の野に断つ 独りの幼い少年が 原爆で家も両親も 親戚も失ったのであろう。妹をせおって

立ち尽くす 姿。ローマ法王はその写真を見て これは 世界に発信しなさいと言われた。

綿派が見たそんな光景は あの少年だけのことではなかった。名古屋駅で 大阪のホームで

浮浪児たちが 親にはぐれた子供たちの群れが 放浪していた。いまの日本の大臣さんたちは

そんな姿見ていらっしゃらないらしい。宗教界もマスコミもすっかり戦争をしらない世代になったのだろうか。末恐ろしいことだ。