横綱は神か。求める横綱は十年に  ひとりくらいのものか。

2018-01-13 13:30:08 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

ずっと 前の話だけど 前田山という横綱がいた。この方は強烈な張り手が評判で

わしたちも 前田山の張り手をしりたくて ラジオにかぶりついていたものである。

張り手だって かちあげだって 横綱だから使っていけないという 決まりはないのだ。

相撲の神様とうたわれた横綱双葉山は「後の先」と言って立ち合いでは後から立っても

いつのまにかてさばきで 先手を取り 相手に思う存分の相撲を取らせてから 勝を制した

其れで双葉山は相撲の神様と呼ばれたのだろう。

ただ単純に比較してしまうのも、現在の力士とってはかわいそうなと事もある。

まず力士の体格がものすごく大型な力士が多くなってきた。さらに年六場所ということで力士の負担も大変なものだ。

育つ時代も 環境も変わってきている。このままではもう人気が廃れて消えてゆくのではと懸念された。

そんなとき モンゴルから大勢の力士たちが日本の相撲界に出てきた。

言葉も環境も物事に対する価値観も 全然異なった中で彼らはよく頑張ったと思う。

事実、前は白鵬などは双葉の再来、双葉を超えたとまでいわれ 再び満員御礼の札止め

興行が続いていた。でも暴力事件が知れ渡ると モンゴル力士たちに対する罵詈雑言

相撲道、国技など 言い出した。完璧を目指すのが力士としての標榜であり それに

合致したものにのみ 横綱の称号わ与えたらよかったのだ。本来横綱とはそんな存在だったのである。昔の軍隊の元帥みたいなものだ。

でも、それでは相撲人気に陰りが出るとして、横綱増産が始まる。

貴乃花だって相撲人気を高めた主役だった。人はどう評価しても自負心が合ったろう。

いちいち口出して言わんでもわかれよ」というふてくされもあっただろう。

この度の裁きは 相撲界にいい結果はないだろう。なぜ彼女が相撲界の理事長をしているのかな。

私は漠然と考えた。それでも白鵬がんばってもらわねば 君なしでは相撲界読めないよ。

あとしばらくは。たぶん次の横綱は大鵬のお孫さんに期待するか。でも誰が育てるのかな。


何かがおかしくなっている。

2018-01-13 12:51:45 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

変な言い分があるよ。

まず、とかく世間に横溢している司法の無茶

「法の下の平等」 此れ日本では嘘ですね。法の下の不平等を揚げたほうがよくわかるよ。

総理大臣のお友達が 強姦しても 司法が逮捕状渡していても 警視庁の刑事部長は

園逮捕状を無効にできるというのだから それが新聞もテレビでも攻撃されることはないのだから

法の下の平等どころじゃない。「無法国家」言い換えると「野蛮国」日本だということか。

裁判などで使はれる「裁判官の心象を悪くする。」なんだと。

裁判の判決は「法と証拠」に元ずく者で裁判官の被告に対する悪い感情で判決が左右される

おかしいじゃないんか。

これについて精神医学の和田秀樹先生がいいこと言われている。

「私たちのように 精神医学にじゅうじするものも 実はカウンセリングを受けているのです。」

其れは和田先生でも 人間であってみれば 自分の感情の歪みを知っておく必要がある。

そうでないと 患者を診断するのに 自分の歪んだ感情で患者の診断を決定してしまうからだ

そういわれていた。ましてや裁判官の判決は神が下す裁決を人間が決めるわけであるから

いささかも裁判官の恣意的な感情的なものがあってはいけないのだ。

国家が正常か、そうではないかは、かかって情報の開示の程度と表現の自由と裁判の公正さにある

る。それがふできな国は野蛮国と呼んでもいいわけである。民主国という国でそんなことを

許しておくということは 国民の責任である。しかし、日本国民というのは一概に無知蒙昧では

ない。と知れば 国家の怠慢である。そこを知らせるのがマスコミなんだけどな。まったくもって

残念な話ではないか。権力によりそうマスコミなんていなくていい。


平和のバリヤを張り巡らそう

2018-01-13 10:47:53 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

かつて 外国人労務者だけが住んでいる マンションの管理を

任されていたときがあった。

 

フイリッピン人

バングラディッシュ人

インドネシヤ人

マレーシヤと アジア人がほとんどだった。

初めての経験で 戸惑うことが多かった。彼らの日常の世話

施設の管理

彼らの仕事場までの誘導などが主な仕事だ。

最初一週間ぐらいは まいった。独特の香辛料のにおい

強烈だ。頭くらくらした。

彼らも国境を越えて 結構な付き合っているが どぎつい会話もする。

日本人同志だったら大喧嘩になりうなことも にも感じないように

スルーしている。たぶん日本語がダイレクトに伝わらないせいかなとも思った。

彼ら私のことを「お父さん お父さん「」と呼んでなついてくれる。

時には食事に招待されることもあった。彼らの食材を専門にしているお店があるらしい。

素朴な食生活は 昔の昭和初期の日本の農村を思いださるようで懐かしいのだが

今どきのひとたちにとってはこの上もない 不潔な光景に映るかもしれない。

人種の壁というものが自然と消えていく。てもそうでない人もいるかもしれない。

彼らを理解し 溶け込んでゆくためには 日本人も貧しさの経験も必用ですね。肩書を

すてて裸一貫になって初めて人が分かるということはほんとだなと思う。ただ一言

中國の留学生から「日本って民主的社会主義ですね。」と言われたことがある。

閉鎖社会、はにかみしゃかい、村八分社会、同根社会 いわれてみると われわれが変わらねばならないところも多そうだ。


軍備より平和のバリやを張り巡らそう。

2018-01-13 10:22:53 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

誘導ミサイルよりも 

航空母艦よりも

原発商売よりも

世界中どこに行っても

おいしい 水道水が 飲めるような

プロジェクトができて

園道の専門家が 天下りよりも 

そんな意義のある仕事について 

総理の金ばらまきより ODA資金増やして

安全で清潔な ライフラインに 役立つ日本であれば

どこの国が そんな日本を 攻撃しようとするのだろう。


心も新たに おもいをはせる。

2018-01-13 09:11:48 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

  正月 松の内も 間もなくおわる。

おとそ気分 から早く目覚めないと あちらもこちらも 問題山積だ。

このところ 東京大学の地位も どうやらぐらついてきた。とぃって喝采しているときでもない。

日本の インテリジェンスの没落の危機である。

東大といえば 私たちの学生の頃は 夢の殿堂であった。弊衣幣帽に身を包んで

肩肘張って 高下駄はいて 時代を低く見て 心理を求める風情は なんと可愛い

学生さんたちであったのだろう。日本全国のそれこそ秀才が東大を目指していた。

でも今の東大は 豊かな過程でないと なかなか 通過できないようだ。

都内に住む学生が六割強を占めるという。坊ちゃまの時代である。

霞が関に棲む 官僚たちがどれほど下々の事が理解されているだろうか。

東京という壊滅していたころの首都が どのようにして今日の 勢いを勝ち得たのだろう。

集団就職列車という時代があった。私などはコメと暖房用の炭をもって、南の果てから

28時間かけて上野にむかったものだ。そのころをしっている人たちも少なくなった。

東京の老齢化が特にひどいのも そんな歴史があり 方々に独居老人が取り残されているから

だろう。「愚かというもなかなかに哀れではないか。」

NHKの大河ドラマ どいう意味で「西郷どん」が取り上げられたかわからない。

明治維新150年記念というか。だったら大久保か伊藤か桂か吉田松陰あたりがよかったのじゃないか。あえて「西郷どん」をNHKが取り上げるなら まずは東京改革だ。

なんでもかでも「東京発」はやめにしよう。