なんと 私たちが 現在 住んでいる 社会は随分と 悪逆不道 魑魅魍魎の
棲み処ではないのか。悲憤やるせない気になることがある。
法がゆがめられている。法治社会が崩れている。悪がはびこる社会になっているのではないか。
一体 お前は何を求めて この社会に生きているのだ。
道徳心の薄すれていく社会は 亡国の社会ではないかと ある人は言う。
道徳とは何を指すのか。何をもって道徳という基準を定めていくんだよ。
政治は 何を於いても 普遍性がなければ 政治が行われているとは いえないだろう。
経済では 汗流してよく働き 創造的で 生産性を高める生き方 が社会の役に立つ人間である。
だから 努力するものと努力しないものを 同じ基準では測れないのであろう。
でも政治は違う、と彼は言う。「万物に光を当てる 」これが政治の理想の姿である。
経済の針路をふさぐものがあるなら これを排除するに神の見えざる手というアダム・スミスの
世界であろう。
東洋では天意というのであろうか。こういうものが 普遍性とみられる。節度ある社会というには
いささか抵抗がある。なぜなら節度は日々動いているからだ。せめて一世紀ぐらいの時間があって
人間にじっくり考えることができたらいいのだが、もうここに来たらそんなことを待っている暇もない。
日銀の金融政策が 根の限りを尽くして 貨幣の発行に向かって突き進んでいる。
異次元の世界が何処まで許容されるのであろう。
世界中の原発ゴミは地球の核まで穴掘って埋め込むのだろうか。