戦争と平和のはざまで いずれがボケ化を問う。

2018-01-23 10:25:59 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

使用してほしくない言葉「平和ボケ」

ボケるほど平和でいられるはずがない。思考停止状態の戦時より 平和の維持には

頭脳も体力も 精神力も 必要とするものであるからだ。

私たちが日ごろ使用している 平和という意味は そのような状態の平和維持の事を言っている。

わたしたち かって経験した戦争というものを 反省してみると 相手の国に対して 独り

独りの国民が 相手の国に対して うらみつらみがあるわけではない。

全く筋違いの話だが 国の指導者の 思考が 一般国民の上に 影を落としてくる。

昨日まで 何事もなく暮らしていたのが 「憎い米英に代わってくる。」

訪ねてみるんだ。「君 どうして米英がそんなに憎いのか。」

彼はこうとしか答えようがない。「だって米英は日本に仇成す国だろう」

「どんな仇を成しているの。」「そんな事おれに聞くなよ。日本人ならみんなそう思っている

よ。」「そうかい 。でも 日本人なら みんなそう思っているって 何の根拠があるの。」

「政府だって 新聞だって テレビだって 先生だって みんなそういっるよ。」

こうして推理していくと 戦争ということは 自分が当事者ではなく 政府とか新聞とか

国家組織の意思できまってくるんだ。ついこの前まで仮想敵国として防衛大臣は中国の名まえを揚

げた。こっかいでね。ところが昨日の総理の国会演説では 日中友和を打ち出した。その前は世界遍歴をして中國包囲網を演出してきたはずだ。

このように戦争という考えは案外もろいものなのだが、国民への波及は恐ろしい結果をもたらすことがわかる。

平和論は下から盛り上がってくるものだから国民の不断の努力で築き上げるならこれほど強固なものはない。