「ある人が言っていた。戦争をしらない人たちの世代に 変わることの、期待と反面
しらぬゆえの暴走が怖い。」と。
野中さんの時代は 第一次大戦のバブルが終焉を迎えたころ、青春を迎えたころの方と見受ける。
世界大恐慌である。すさまじいものであったそうだ。銀行取り立て騒動があったり
農家の一揆があったり、労働者の争議に世情混とんとした中で いよいよ対象から昭和の
激動期に入っ行った。
現在のように テレビがあったわけではない。ラジオと言っても 特別なものである。唯一
情報の仕入れは新聞に頼るしかなかった。当時の新聞はそれでも 忠実に仕事していたから
その後のことについても 知ることができた。
然しそれもつかの間だった。現在のように 政府が新聞の統制に入る時代に入っていく。
2・26 5・15事件は刺激的だった。
野中さんの時代のひとたちが 一番ひどい戦争の犠牲者の時代である。若い人たちが学徒出陣
特攻隊などで命を捨てていった。だから いきているものは 贖罪的な気持ちで戦争を語ることを避けてきた。
野中さんの平和主義は 戦争をせおってきたものの義務と感じていたのだろう。
最近、戦争を扇動するような 意見が巷間伝えられる。ミサイル攻撃対策訓練なんかが行われた。
全く児戯に等しい。しないより かねてしておいた方がいい。ということだろうと思うが
竹やりと同じでなんの役にも立たない。其れより政府が行わねばならないことが
多いのだが。政治にも緊張感がない様だ。