「好かれてなかった」1月2日のブログで、私が義母に好かれてなかった要因をいくつか挙げている。
どちらがいい悪いでなく、その事実を受けとめなくてはいけないが、上手くやれなかったのは、私側にも問題があったことにも気づく。
私は、両親との間、特に母親と上手くいかなかったことで、人間関係を本当の意味でうまく築けないところが多々ある。その1つに、義母とも本当の意味で上手く築けなかった。
私が、病気してしまったことも大きい。でも、結婚して直ぐにうつ病になったのも、主人の実家とうまくいかないことが引き金になった。ごめんなさい。
出来事は省くが、私は最初は上手くやりたい、いい関係築きたいと思っていたのが、いつの間にか、理解不能になってしまった。そこで、病気になる逃げ道を私はしていたのかもしれない。
私は、今思うと昔はプライドが高かった。主人も今だにそうだが、2人ともプライド高くて、可愛くなくて、上手く甘えたり、くだけてなくて、バカになることができなかった。とても扱いにくかったと思う。
でも、30年間あったのに、打ち解けられなかったのは残念です。私の本音は「もっと愛されたかった。もっと理解されたかった。」です。
義母は、カレンダーにみんなのお誕生日をマルしていました。私の「まりあちゃんの誕生日」も記されていたと義妹に聞きました。どこで、私の誕生日知ったのかわかりませんが、覚えていてくださり、みんなと一緒にカレンダーに記入されてことは私にとって、すごく嬉しいことです。
私が悲観するより、義母は私のことも愛してくださったのかもしれません。
私は、長男の妻として不十分で至らなかったのですが、もうどうしようもなかったことですね。次に生かします。