毎年見に行っている青梅市の梅岩寺の枝垂れ桜。
今年は、まさに満開というタイミングで見に行くことができて、それはそれは美しい瞬間に出会えました。
いつも娘と行っていますが、娘は高校で出会ったお友達と一緒に、私はひとりで出掛けてきました。
心の友と娘がいうくらいの友達と一緒に、あの桜を見る。
きっと一生の思い出になるはず。
風に揺れる枝が、呼吸しているように思えて、合わせて呼吸してみる。
まるであの木と一体化して、吸い込まれていくよう。
あぁ、咲いたんだ、今年もこんなに素晴らしく。
そして、今年もこうして見に来ることができたんだ、この瞬間に。
あぁ、あの人にも見せてあげたい。
あぁ、あの人と一緒に見られたなら。
ただただ素晴らしく、ただただ感謝。
もういくらでも眺めていられるから、いつその場を離れていいのか分からなくなるくらい。
そして、翌日、娘と初夜桜。
この日は満月。特別な夜でした。
入り口の市の天然記念物の枝垂れ桜。
満開の桜と満月。
「もう思い残すことはないかもしれない。このまま私が消えても、どうか心配したり悲しまないで欲しい」
そんなこと思っちゃったって娘にいったら
、「おんなじようなこと思った」って。
ヨガのレッスンでも、今年見た桜について先生に聞かれて、そんな話をしたら、生徒さんのひとりが、「私も、このまま吸い込まれて消えちゃうじゃないかって感覚に陥ったの」って。
その方は、そう思うことがヘンなんじゃないかと今まで人に言えなかったみたい。
ぱっと咲いて、ぱっと散る潔さだけでなく、花が咲いていない間も、満開の瞬間を思い出させてくれたり、またあの瞬間が来るのを心待ちにさせてくれる。
日本人にとって桜はやっぱり特別なんだなって、ヨガのレッスンでもお話しし合って。
私のふるさとにも、竹香園という桜の名所がある。
小学校を卒業したあと、仲良しの友達と見に行った。
近くの高校に通っていたから、毎年楽しんだ。雨で散った一面の桜の花びらを踏みながら、のぼった学校への坂道。
そんなこともあった。
なんだか、見たものも、感じたことも、思い出したことも、盛りだくさんだった今年の桜、でした。
今年は、まさに満開というタイミングで見に行くことができて、それはそれは美しい瞬間に出会えました。
いつも娘と行っていますが、娘は高校で出会ったお友達と一緒に、私はひとりで出掛けてきました。
心の友と娘がいうくらいの友達と一緒に、あの桜を見る。
きっと一生の思い出になるはず。
風に揺れる枝が、呼吸しているように思えて、合わせて呼吸してみる。
まるであの木と一体化して、吸い込まれていくよう。
あぁ、咲いたんだ、今年もこんなに素晴らしく。
そして、今年もこうして見に来ることができたんだ、この瞬間に。
あぁ、あの人にも見せてあげたい。
あぁ、あの人と一緒に見られたなら。
ただただ素晴らしく、ただただ感謝。
もういくらでも眺めていられるから、いつその場を離れていいのか分からなくなるくらい。
そして、翌日、娘と初夜桜。
この日は満月。特別な夜でした。
入り口の市の天然記念物の枝垂れ桜。
満開の桜と満月。
「もう思い残すことはないかもしれない。このまま私が消えても、どうか心配したり悲しまないで欲しい」
そんなこと思っちゃったって娘にいったら
、「おんなじようなこと思った」って。
ヨガのレッスンでも、今年見た桜について先生に聞かれて、そんな話をしたら、生徒さんのひとりが、「私も、このまま吸い込まれて消えちゃうじゃないかって感覚に陥ったの」って。
その方は、そう思うことがヘンなんじゃないかと今まで人に言えなかったみたい。
ぱっと咲いて、ぱっと散る潔さだけでなく、花が咲いていない間も、満開の瞬間を思い出させてくれたり、またあの瞬間が来るのを心待ちにさせてくれる。
日本人にとって桜はやっぱり特別なんだなって、ヨガのレッスンでもお話しし合って。
私のふるさとにも、竹香園という桜の名所がある。
小学校を卒業したあと、仲良しの友達と見に行った。
近くの高校に通っていたから、毎年楽しんだ。雨で散った一面の桜の花びらを踏みながら、のぼった学校への坂道。
そんなこともあった。
なんだか、見たものも、感じたことも、思い出したことも、盛りだくさんだった今年の桜、でした。