年金暮らしの自由人

サブタイトル:自然とお酒と音楽と
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ロックの殿堂 第1弾

2010年09月01日 06時45分12秒 | ロック

ブログを初めて、8ケ月を重ねることになりました。おもに音楽(ジャズ)を中心に自然に関するものと、生活体験を載せています。今回からは音楽のジャンルでロックのアーチストやアルバムなどを追加して紹介していきます。

私が好きなロックの分野でプレーヤー及びアーチストを紹介するコーナーです。

第1弾はエリック・クラプトンです。
 
別名 :スローハンド 、出生 :イングランド リプリー、1945年3月30日(65歳)、ジャンル:ブルース、ブルースロック、フォークロック、ハードロック、サイケデリッ51t5xzxw6l_sl500_aa300_1_2クロック 。
250pxeclapton_cardiff1_2当楽器 ギター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エリック・パトリック・クラプトン CBE(Eric Patrick Clapton CBE、1945年3月30日 - )はイングランドのサリー、リプリー出身のギタリストでブルース&ロックミュージシャンである。今もロックやブルースのギタリストの多くに影響を与え続けている。「スローハンド」というニックネームが有名である。 ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第4位。身長177cm。

1970年代には薬物依存症、1980年代にはアルコール依存症、交通事故、胃潰瘍、愛妻パティ・ボイド(親友でもある元ビートルズのジョージ・ハリスンの前妻)との別離を経験。1990年代初めには、イタリア人女優ローリ・デル・サントとの間にもうけた初めての子供コナーがニューヨークの高層マンションの窓から転落死するなど、私生活では数々の不幸を経験もしている。

クラプトンのキャリアは、ルースターズから始まる(1963年1月から)。その後、ヤードバーズ参加。ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに参加。この頃、「ギターの神」と呼ばれるようになった。その後、ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーらと「クリーム」を結成。メンバーの即興演奏を中心としたジャム・セッションや実験的な音楽を追求。しかし、メンバーの人間関係の悪化により、バンドは空中分解する形で解散。

クリーム~ブラインド・フェイス時代を経て、名曲「レイラ」の発表とソロ活動の開始、その後、1991年ジョージ・ハリスンとの共演。1996年、映画『フェノミナン』にカバー曲、「チェンジ・ザ・ワールド」を提供している。2004年6月24日には自身のギターコレクションの2度目のオークションを開催。出品された56本の中には彼の使用したギターで最も有名で長年愛用したブラッキー('56年製のフェンダー・ストラトキャスター)の愛称を持つギターも含まれていた。ブラッキーは1億円で落札された。
2004年11月3日、イギリス政府より、ナイトの爵位に次ぐ「大英帝国第三級勲位」(CBE)が授与された。

2005年にはクリームの再結成ライヴが5月に4公演(5月2、4、5、6日)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、10月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで3夜連続で当時のオリジナルメンバーで行われた。

日本におけるクラプトンの来日公演は18回を行っている。クラプトン本人は大の日本好きであることも知られており、ツアーでなくプライベートでも格闘技イベント(PRIDE)を観戦するためなどで来日している。因みにトンカツには目がない。「ウィキペディアフリー百科事典抜粋により」