年金暮らしの自由人

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私の好きなアーチスト(デューク・エリントン)について(第16弾)

2010年12月22日 08時10分46秒 | JAZZ

LP、CDを合わせると、10枚程度所持していて、好きなピアニストの一人でありバンドリーダーでもあるデューク・エリントンについて簡略的に触れてみます。

エドワード・ケネディ・デューク・エリントン(Edward Kennedy "Duke" Ellington、1899年4月29日 - 1974年5月24日 75才没)は、アメリカ合衆国 ワシントンD.C.出身のジャズピアノ奏者、オーケストラバンドリーダー。「デューク(公爵)」というニックネームは、子供の頃から自然な優雅さを身に付けきちんとした服装をしていたことから、親友エドガー・マッケントリーによってつけられた。

小学生の頃からピアノを習い始め、ハイスクールでは校内のパーティでピアニストとして活躍していた。同時期に音楽教師から高度な作曲理論を学び(「私の音楽に対する勉強は、GフラットとFシャープの違いを学んだことからはじまった」という言葉は有名です。そして1916年にピアニストとしてデビューした。
その後ニューヨークに進出し、1927年にニューヨーク市マンハッタン区ハーレムにある高級クラブ「コットン・クラブ」とバンド契約した。1930年代から第二次世界大戦後にかけて『A列車で行こう』(作曲はビリー・ストレイホーン)など、音楽史に残る様々な作品を世に出した。

1964年に新潟市で新潟地震が発生した際に日本公演を行っていた。地震の被害を知ったエリントンは次に予定されていたハワイ公演の予定をとり消して東京厚生年金会館にて震災に対する募金を募ったコンサートを開催した。その後コンサートの純益である96万円が新潟市に贈られ、再来日した1966年には新潟市より国際親善名誉市民の称号が贈られた。
2009年、コロンビア特別区から、エリントンとピアノをあしらった25セント記念硬貨が発行される。アフリカ系アメリカ人が硬貨に描かれるのはこれがはじめてです。

また、映画『絢爛たる殺人(Anatomy of a Murder)』の音楽でグラミー賞3部門を獲得したほか、合計9回グラミー賞を獲得しています。また、1969年にはその貢献が認められて、リチャード・ニクソン大統領よりアメリカ自由勲章が授けられた他、1973年にはフランス政府からレジオンドヌール勲章が授けられた

代表曲としては、極東組曲、女王組曲、ニューオリンズ組曲、A列車で行こう、昔は良かったね、ソリチュード、ムード・インディゴ、ロッキン・イン・リズム、ザ・ムーチ、黒と茶の幻想、キャラヴァン、スイングしなけりゃ意味ないね、イン・ア・センチメンタル・ムード、Cジャム・ブルース、パーディド、サテン・ドール、ソフィスティケイテッド・レディなど多くの名曲を残している。

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