年金暮らしの自由人

サブタイトル:自然とお酒と音楽と
私の趣味や出来事を書き込んで行こうと思っています。

私の好きなアーチスト(アート・ペッパー)について(第14弾)

2010年09月09日 08時04分03秒 | JAZZ

LP、CDを合わせると、15~16枚程度所持していて、最も好きなアルトサックスプレーヤーの一人であるアート・ペッパーについて簡略的に触れてみます。

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アート・ペッパー(Art Pepper、本名:Arthur Edward Pepper, Jr.、1925年9月1日 - 1982年6月15日 57歳没)は、ジャズのサックス奏者。アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ生まれ。

1940年代よりスタン・ケントン楽団やベニー・カーター楽団で活動を開始する。1950年代には自己のコンボを結成し、ウエストコースト・ジャズの中心的な人物として活躍した。

生涯を通じて麻薬中毒によりしばしば音楽活動が中断されている。1960年代後半を、ペッパーは薬物中毒者のためのリハビリテーション施設シナノン(en:Synanon)ですごした。1974年には音楽活動に復帰し、ふたたび精力的にライブやレコーディングをおこなった。

1977年に初の日本公演をおこなう。このときの日本のファンの熱狂的な歓迎にペッパー自身が非常に感動した様子が、3番目の妻ローリー・ペッパーによって筆記された自伝「ストレート・ライフ」(1980年)に記されている。それがきっかけなのか親日家であり、1980年には石黒ケイの「アドリブ」に参加した。1982年6月15日、脳溢血により死去。

 


私がお奨めする愛聴盤 第35弾(Jazz)

2010年09月04日 09時21分05秒 | JAZZ

私が所持しているアルバムの中から第35弾として、入門される方にお奨めする2枚を選びました。

アート・テイタム-ベン・ウェブスターカルテット /  Crazy And Mixed Up: 枯葉 の順です。

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タイトル/アーティスト名 /アルバムデータ /ミニレビュー の順です。

1.アート・テイタム-ベン・ウェブスターカルテット  / アート・テイタム-ベン・ウェブスター  /  1. 風と共に去りぬ    2. オール・ザ・シングス・ユー・アー  3. ジョーンズ嬢に会ったかい?  4. マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ    5. ナイト・アンド・デイ  6. マイ・アイデアル  7. ホエア・オア・ホエン  8. 風と共に去りぬ(別テイク1)   

心温まるアート・テイタムのピアノと滋味あふれるベン・ウェブスターのテナーが織りなす、珠玉のスタンダード集。テイタムが亡くなる2ヵ月前に録音された作品で、テイタム不朽の名盤。(CDジャーナル データベースより)

2.Crazy And Mixed Up: 枯葉 / サラ・ボーン  /  1. I Didn't Know What Time It Was  (04:02)  2. That's All  (04:04)  3. Autumn Leaves  (05:36)  4. Love Dance  (03:29)  5. Island  (04:30)  6. Seasons  (05:20)  7. In Love In Vain  (03:09)   8. You Are Too Beautiful  (03:36) / Andy Simpkins(Bass), Harold Jones(Drums), Joe Pass(Guitar), Roland Hanna(Piano), 
Sarah Vaughan(Vocals)

1982年にハリウッドで録音された後期サラの最高作の一枚。ジョー・パス(g)をフィーチャーした、ローランド・ハナのカルテットによる伴奏は、サラのディーヴァのしての実力を余すことなく引き出した。ノーマン・グランツのプロデュース作においても、忘れられない作品。 


ロックの殿堂 第1弾

2010年09月01日 06時45分12秒 | ロック

ブログを初めて、8ケ月を重ねることになりました。おもに音楽(ジャズ)を中心に自然に関するものと、生活体験を載せています。今回からは音楽のジャンルでロックのアーチストやアルバムなどを追加して紹介していきます。

私が好きなロックの分野でプレーヤー及びアーチストを紹介するコーナーです。

第1弾はエリック・クラプトンです。
 
別名 :スローハンド 、出生 :イングランド リプリー、1945年3月30日(65歳)、ジャンル:ブルース、ブルースロック、フォークロック、ハードロック、サイケデリッ51t5xzxw6l_sl500_aa300_1_2クロック 。
250pxeclapton_cardiff1_2当楽器 ギター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エリック・パトリック・クラプトン CBE(Eric Patrick Clapton CBE、1945年3月30日 - )はイングランドのサリー、リプリー出身のギタリストでブルース&ロックミュージシャンである。今もロックやブルースのギタリストの多くに影響を与え続けている。「スローハンド」というニックネームが有名である。 ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第4位。身長177cm。

1970年代には薬物依存症、1980年代にはアルコール依存症、交通事故、胃潰瘍、愛妻パティ・ボイド(親友でもある元ビートルズのジョージ・ハリスンの前妻)との別離を経験。1990年代初めには、イタリア人女優ローリ・デル・サントとの間にもうけた初めての子供コナーがニューヨークの高層マンションの窓から転落死するなど、私生活では数々の不幸を経験もしている。

クラプトンのキャリアは、ルースターズから始まる(1963年1月から)。その後、ヤードバーズ参加。ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに参加。この頃、「ギターの神」と呼ばれるようになった。その後、ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーらと「クリーム」を結成。メンバーの即興演奏を中心としたジャム・セッションや実験的な音楽を追求。しかし、メンバーの人間関係の悪化により、バンドは空中分解する形で解散。

クリーム~ブラインド・フェイス時代を経て、名曲「レイラ」の発表とソロ活動の開始、その後、1991年ジョージ・ハリスンとの共演。1996年、映画『フェノミナン』にカバー曲、「チェンジ・ザ・ワールド」を提供している。2004年6月24日には自身のギターコレクションの2度目のオークションを開催。出品された56本の中には彼の使用したギターで最も有名で長年愛用したブラッキー('56年製のフェンダー・ストラトキャスター)の愛称を持つギターも含まれていた。ブラッキーは1億円で落札された。
2004年11月3日、イギリス政府より、ナイトの爵位に次ぐ「大英帝国第三級勲位」(CBE)が授与された。

2005年にはクリームの再結成ライヴが5月に4公演(5月2、4、5、6日)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、10月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで3夜連続で当時のオリジナルメンバーで行われた。

日本におけるクラプトンの来日公演は18回を行っている。クラプトン本人は大の日本好きであることも知られており、ツアーでなくプライベートでも格闘技イベント(PRIDE)を観戦するためなどで来日している。因みにトンカツには目がない。「ウィキペディアフリー百科事典抜粋により」