現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

加速度原理は何も物理学だけのものじゃない

2009-05-03 11:44:30 | 潜在能力

 早い段階から、少なくとも二十歳ぐらいから、加速度の原理は物理学上の法則だけれど、物理だけに通用するものではないだろうとはおぼろげに理解していたと思われる。何の事を言っているのかと言うと、知識、情報、科学的なこと、技術、経済の発展などにおいてさまざまな事柄が理解されるようになると加速度的なカーブで上昇するはずであると感じていた。

そのために情報や、経験や、知識や、知恵を集めようと意識してそのようにしてきた、「玉を拾う屑篭とその手法の発想」である。少々の回り道も致し方ないと踏んでいた。日常的な生活の中から解決する課題を見つけ出してそれらを学び原点にするということは簡単な様でなかなか時間がかかることである。ここに来て、発想と言えばよいのか、アイデアと言えばよいか、は別にして加速度的に増えてきているではないか。

個人のレベルで特許出願できるアイデア並びにデザイン等の意匠、新案を含めれば明細書の数にして120件、明細書なしのものを入れるともう20件ほどあることになる。商標をいれるともう60件ほど多くなる(この部分に関しては、なにぶん費用かかりすぎることと、実施していないものは拒否されるということがあるので自分なり周りの人が使いたいといわなければ登録ということはしていない。)。その上に著作権で対応出来そうなものが相当眠っている【本書を初めとした文章やフィクション、俳句、短歌などである。】。

弁証法の量的な確保が質に転化しているのかもしれない。価値が質的な転化をしているのかもしれない。華昇という異質なものを生み出す原子転換に似た現象が起こっているのかもしれない。科学や物理学の概念であるが、学びの分野においても通用するのではないかと考えられる。昔、その道の奥義を窮めようとした求道学の精神を垣間見たような気になっている。

若い頃、いつかこの時が必ず来るという確信めいたものがあった。情報や、知恵、知識を量的に確保しさえすれば、いつかそのようなことになるという予感である。どんな人の前でも、大学の教授達の前でもゆるぎない確信になっていると思われる。科学的にどこまで証明できるかはわからない。しかし、実生活に根ざした浮き草でない学び方をしてきたと考えている。

 注 原子転換 核融合反応のことである。4H→HE+2eは太陽で起きている核融合反応である。


トラックバックに対するお礼とお願い

2009-05-02 13:59:26 | インポート

 「現代版徒然草素描」に沢山のトラックバックを有難うございます。まことに有難いのですが、出来れば、よほど特殊な事情の無い限り、(後から10件ほどしか表示されないために欠落していく部分を補いたいetc)、一つのブログに対して一社一件にしていただきたいと思っております。「アイデア夜話、千と一夜の物語」「面白中学の三年間とその後」「ジャンボを釣った人々」の方にしていただければまだ余裕があります。「と、」言っても、トラックバックに関連する記事を投稿できるかは確約できません。なにとぞ、ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。

                      不思議な玉手箱より


知らないことで超えられるハードルはそれほど高くは無い

2009-05-01 10:20:58 | 生涯学習の決意

 「知らなかった。」と言ってはばからない人たちがいる。確かに、知らなかったのかもしれない。知る為の努力をしてこなかっただけなのかもしれない。感心が無かった為に素通りしてしまったのかもしれない。何回かそういう人たちに出会ってきた。今でも時々会うことがある。人の事を批判するつもりはない。人のことはどうでも良い。

 若い頃、「お前、この世の中に知らなくて良いことなんかない。」とアドバイスしてくれた何人かの先輩達がいた。「いくら知識、知恵を詰め込んだ所で重くはないだろう。」表現こそ違うものの同じ事を言っている。「いったん覚えて、忘れなくする方法を会得することだ。」ある学者はそんなような事を言っていた。情報の整理に係わる事柄だろうと思っていた。忙しさのあまりにしばらく忘れていたが、「この事を言ったのだろう。」と言う体験をすることになる。記録して後は忘れていると言うことである必要に成った時に引っ張り出して来れば良いではないか。

 具体的には「玉を拾う屑籠とその手法」の事である。脳の整理学だったのかもしれない。余白を常に用意しておくと言うことだろう。時間的にも、精神的にも・・・。ノイローゼなどに成らなくてすむではないか。そうする事で新たな事を受け付けることが出来ることに気が付かされた。

 人の言っていることはひとまず全部聞いて理解しよう。その次に、私だったらこうすると言う自分のアイデアを付け加えて立ち上がってこようではないかと言う態度である。教えを請う時自分の先入観をなるべく差し込まないようにしよう。判断を曇らせてしまう可能性がある。

 立ち上がってくるときに彼の言ったことと、自分の知識、知恵、経験知、予測、集めてある情報などで濾過すれば新しい創造物が出来ることになる。最初は模倣でもよかろう。模倣なくして新たな創造は無かろう。

 以前、この国や、開発途上国はその道を歩んできたではないか。知らないことはあくまでも知らないことであり、そこから出発しさえすれば大きな間違いは犯さなくて済むではないか。必要な情報は自ら集めてくれば済むことである。