はな to つき

花鳥風月

Gravity Blue 10

2012-05-06 02:33:43 | 【Gravity Blue】
冗談ではなかった。

本当に、私には、
教科書以外の記憶は厖大な量が蓄積されていた。

当然、家族で旅行に行った時のものは、
ことのほか、くまなく網羅されている。

それどころか、自分の歳すら勘定できないくらいの頃の、
母と姉と3人で行った近所の公園での初夏の昼下がりの何気ない光景や、
日曜の夕方におじいちゃんの膝の上で観た千秋楽のこと、
海が母から九九算を教わると1回で覚えてしまって奇妙がられたことなど、
そんな些細な日常生活のワンシーンでさえも、
まるで8mm映画のように少しざらついた映像で、
いつでもどこでも再生できるようになっている。

その話になると、いつも家族から驚かれるが、
そんな時はいつでも得意満面だった。
そして、そういう鮮明な映像の記憶をたくさん持っていることが、
私には無形の財産で、私をいつでも温めてくれるものだった。

それに比べると、
海の生涯記憶というものは信じられないくらいに、乏しかった。

それは、あの頭脳明晰な人が、
どうしてっていうくらいに見事なものだった。
あの時はこうだったよねとか、
あそこに行った時に出かけたレストランの
海に突き出したテラス席で見た夕陽が
息を飲むほどきれいだったよねなどと言っても、
からっきし忘れてしまっている。

私の記憶量も、憶えようとして憶えられる量ではないけれど、
彼女の、起こったそばから溶けていってしまうかのような速度で、
あらゆることを海の藻屑にしてしまう記憶装置も、
あそこまでいくと芸術の域に達していると思えてしまう。