ここ数年、はまっている心屋仁之助さんのブログに
「すきなことをする」「すきなものを選ぶ」(そこに、我慢とか、世間体とか、気遣いとか、無理してるとか、そういうのはいらない)
そうしていると、こちらに我慢がないので、ややこしくない。みたいなのがあって、
例えば家の掃除しかり。やらなきゃ~やらなきゃ~と思っていても、どうしても手が出ない床拭き。
そんなの人に頼んだら恥ずかしい。情けない。かっこ悪い。世間体も悪い。まだ若いのに。といろいろな感情が渦巻きましたが、
お願いしたらすっとしました。
何年か前までやっていた普通の事務の仕事も、やめた時すっとしました。
めんどくさい人と付き合うのやめたらすっとしました。
反対に我慢すると私の場合胸が苦しくなり、ぜん息の症状が出ます。
人によって出る場所も違いますが、我慢する人は、病気になることも多いです。
本当は嫌なのに、「ここは我慢しといたほうが、角が立たないから~」とお腹の中に持ってしまうと、あとでたいへんです。
で、好きなものちゃんと選択してるかな?
いやだなと思うこと、ちゃんといやだと言えてるかな?と考えていました。
これって、ちゃんと考えると、とってもたいへんです。
例えば「料理は好きだけど、片付けはめんどう。」と言う時、
料理をしないという選択をすると、好きなことができないからストレス。
片付けをするとストレスがたまるから、料理が嫌いになってしまう。
誰かに頼むか、ストレスのたまらない片付け方法を考えるか。
お皿をたくさん出さないでワンディっシュ料理にするか。
または、片付いていなくてもOKにするか・・・・
自分にちょうどいい選択をするのって以外にたいへん。
で、選択できない自分にストレスが出るので、それに関しては「答えが出なくても適当でOK」にしておかないと何のための選択かわからない。
もうケーキバイキングは食べられないから、おいしいケーキだけチョイスするとか、
半額シールにつられて、欲しくないのに買うのはやめるとか。
行きたくない飲み会には行かない(前からだけど)。
そして、誰かに言われた名言「選んだら、それがベストと思うこと。」
(行かないを選択したけど~~~、今頃、飲み会で悪口言われてるんだろうなぁ・・・は、考えないことです。)
ほんとそう。