あるがままに高齢を生きる! シャンソン、菜園とともに・・

予測不可能な未来のドラマに期待を寄せつつ、明日を見つめてまだまだ濃い時間を紡げたらとブログを書き続けます。

滝川西高校の選手宣誓に拍手!!

2017-08-08 10:19:33 | 日記
今朝は高校野球の開会式がありました。

この時ばかりは身じろぎもせず、テレビにくぎ付けです。

私はテニスプレイヤーとして、おおむね選手として延べ30年のキャリアがあります。シニアになってからは、全日本選手権その他の試合で、全国を飛び回っていました。

高齢になっても、開会式と表彰式は興奮するのです。椅子で姿勢を正して見てしまいます。引退して18年も経つというのに?!


今年の選手宣誓はよかったですね。

毎年、叫ぶように宣誓をする彼らの言葉の意味がはっきりせず、何とも残念でしようがなかったので、今年の滝川西高の語るような言葉での宣誓に、拍手を送ります。

ブラボー!!

ふと思い出すこと!

2017-08-08 06:55:42 | 日記
女学校に入学すると、多くの時間を勤労奉仕と称して、農家の手伝いに行かされていました。

現代の若い世代には理解できないでしょうが、勤労奉仕は小学校4年生から実施されていました。私たちは土地柄もあって農作業が主たる奉仕でした。田植え、稲刈りなど。

それは女学校1年生の、終戦の時まで続きました。

爆弾が数個落とされたことはありましたが、大きな被害をうけた記憶はありません。



すでに警戒警報や空襲警報のサイレンの回数が増えてきていた初夏の頃だったと思います。

当時私は、熊本県立八代高等女学校に通っていました。

終戦前の昭和20年12歳の夏のはじめ。その日農作業の奉仕が終わって、小川の脇の細い道を自転車で岐路についていた時のことです。

警戒警報が鳴って、気ぜわしくペダルを踏んでドキドキしながら急いでいると、飛行機が1機、低空飛行で私に向かってきました。

とっさに私は自転車を倒し、道端に生えている小さな木につかまりながら、滑るように川の水に首まで浸かり、震えていました。


そして飛行機は何事もなかったかのごとく、私の上をスルーして飛び去って行きました。


細かいことは覚えていません。

覚えているのは、低空飛行の1機と、それが上昇していった姿。そしてその後、びしょ濡れの格好でで帰った私に質問の嵐を浴びせる、母の怖いような顔!

これだけは忘れることができません!!