ただの碁好きな麺や親父の雑記

麺や食堂爺のひねもすのたりのたりかな

半世紀に及ぶラーメン屋

2010-12-16 23:04:53 | らーめん

麺や食堂の前の道路は旧国道129線でした。

麺や食堂が昭和31年に開店した当時は、町の商店が元気でどこのお店も家族総出でやっていました。

魚や、八百屋、電機や、大工さん、水道やさん、金物やさん、クリーニングさん、皆さんそれぞれお互いに、

助け合って暮らしていたように思います。

今思えばいい時代だったのでしょうか?・・・

その中で麺や食堂も家族が力を合わせて頑張っていました。

屋号も喫茶店をやっていた時のまま、 (ブラジル)を引き継いで、

中華そばやなのにブラジルこのアンバランス、ミスマッチ。

ブラジルで半世紀にわたってラーメン屋をやっていました。

そしていま麺や食堂はブラジルから脱皮してさらに、さらに美味しいラーメンを提供できるように、

3代目が頑張っています。

その第一歩がうづまきです。


麺や食堂の生い立ち

2010-12-15 21:48:48 | 歴史

麺や食堂の初代が立ち上げたお店がコーヒを売り物にした喫茶店でした。

昭和30年12月に今の厚木中央図書館の1階辺りで喫茶ブラジルという名で始めました。

主なメニューは、コーヒー、紅茶(レモン、ミルク)、ソフトクリーム、あんみつ、お汁粉、トースト、

お餅(黄粉、安倍川もち、お雑煮)、ケーキ

ジュースはオレンジ(バヤリーズ)、サイダー、ソーダ水、クリームソーダー、

何を食べてもおいしかった、特にソフトクリームは何とも言えずおいしい;;:>>

全て手作りの本物です。材料も当時は中国産なんて存在してなかった。

国産のいいものばかり。

お汁粉などは,小豆から煮て絞り作るものだから出来上がってお椀に盛りつけて時間がたっても

分離しない、あんこが下に沈まない、これは本物のお汁粉です。

コーヒーはブラジル、モカ、コロンビアのミックスでした,おいしかったです。

当時の世相は食べるものを求めて東奔西走する時代でした。

コーヒーよりうどん、そば、おにぎり、を求めるのが当たり前です。

喫茶店を始めるのが10年、20年,早すぎたのでしょうか。

1年半ほど後に今の場所で中華そばや始めたのが麺や食堂の始めです。

現在は3代目が代表になって頑張っています。

これからも一生懸命精進してまいりますので応援よろしくお願いいたします。

昭和30年ころからの世相の移り変わりと当店の変遷を語れたらと思います。

 

 

 

 

 

 


毎日笑顔で元気に。

2010-12-14 19:06:12 | 日記

今日は、朝から雨が降りうっとうしい一日がはじまりそうですね。

こんな日は元気に明るい気持ちで仕事に入らないといいものができません。

ましてお客様は、雨の中を来てくださるのですから、感謝の気持ちを持って応接しなければと、

思います。

上の写真は開店前日の店の奥から撮ったもの。

 

 

花をカウンターに飾ってみました・・・


おいしい中華そば

2010-12-11 21:17:09 | 日記

12月3日に開店して1週間がたちましたお客様は順調に来ていただきまして、大変うれしく思います。責任も感じますよりおいしい中華そばを提供できるようにしなければいけないと思います。
うづまきの開店に刺激を受けて麺や食堂も新たな気持ちで頑張っています。

うづまきの味と麺や食堂の味の食べ比べ、これはお客様にとって、大変面白いと思います。使う材料も少し変えています。うづまきの目指すものと、麺や食堂の目指すものは<おいしい中華そばを提供する>という基本は同じです。

そのほかの部分では違いますそれは次回で・・・・・・・・。