Justice! 社会正義の実現!所得充実政策!ワクチンより検査を積極的に推奨! / 薬剤師・元参議院議員・消防団
ひらがな5文字の「はたともこ」ブログ
靖国神社の春の梢に咲いて会おう 6月21日
靖国神社に「代わる」新たな追悼施設という表現は、適切でない。先の大戦を侵略戦争ではなかったとし、中国や韓国に日本は謝罪すべきではないとする靖国神社の主張は、広く一般に受け入れられるものではない。従軍慰安婦をなかったとする靖国神社の歴史認識は、明らかに暴論だ。そんな靖国神社が、250万柱の戦没者の合祀の権利を手放さない以上、内外に正々堂々と誇れる追悼施設をつくることは必然だ。靖国神社に「代わる」ではなく、靖国神社から「脱却する」ための新たな施設が必要なのだ。
確かに、大戦当時、靖国神社は、戦場に今散らんとする兵士たちの心のより所になっていたかもしれない。麻生総務大臣が期せずして述べていたが、「靖国で会おう」と約束し合い、戦友たちはそれぞれに散っていったのだ。西條八十氏の詞にあるように、同期の桜たちは、たとえ離れ離れに散ろうとも、花の都の靖国神社の、春の梢に咲いて会うのだ。
私は、靖国神社にも千鳥が淵戦没者墓苑にも参拝している。どこに参拝しようとも、戦没者に対する私の哀悼の念は変わらない。小泉総理の気持ちもわからないではないが、一国の総理大臣である間は、アジア諸国に対する配慮があってしかるべきなのだ。朝鮮半島や大陸で次々と女性を犯した日本軍の罪を、私たちは絶対に忘れてはならない。先の大戦に思いを馳せるとき、戦場に散った日本兵のことを思うと同時に、同じく犠牲になった朝鮮半島や大陸の人々へも、私たちは心を寄せることを忘れてはならないのだ。
確かに、大戦当時、靖国神社は、戦場に今散らんとする兵士たちの心のより所になっていたかもしれない。麻生総務大臣が期せずして述べていたが、「靖国で会おう」と約束し合い、戦友たちはそれぞれに散っていったのだ。西條八十氏の詞にあるように、同期の桜たちは、たとえ離れ離れに散ろうとも、花の都の靖国神社の、春の梢に咲いて会うのだ。
私は、靖国神社にも千鳥が淵戦没者墓苑にも参拝している。どこに参拝しようとも、戦没者に対する私の哀悼の念は変わらない。小泉総理の気持ちもわからないではないが、一国の総理大臣である間は、アジア諸国に対する配慮があってしかるべきなのだ。朝鮮半島や大陸で次々と女性を犯した日本軍の罪を、私たちは絶対に忘れてはならない。先の大戦に思いを馳せるとき、戦場に散った日本兵のことを思うと同時に、同じく犠牲になった朝鮮半島や大陸の人々へも、私たちは心を寄せることを忘れてはならないのだ。
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