GM・フォードの衰退 5月8日

米GMとフォードが、本当に危ない。かつての勢いの面影は、もはやどこにもない。ムーディーズはGMの社債の格付けを、ジャンク債の一歩手前まで引き下げた。S&Pは、フォードの長期債の格付けを、「ネガティブ」まで引き下げたと8日発表した。GMもフォードも、米国内でのシェアは、トヨタ・ホンダ・日産を合わせた日本車の比率よりも低いのだ。

米国車の販売後のアフターケアは、例えばトヨタの痒い所に手が届くそれとは、完全に正反対。米国人といえども、抜群のトヨタ式フォローに、食指が動くのは当たり前。早くて確実な、日本車のアフターサービスは、おそらく世界一。私も三菱車で経験済みだ。1の要請に10のサービスが返ってくるのが日本のディーラーの特徴なのだ。

フォローの悪さもさることながら、米国メーカーの最大の欠点は、ハイブッリドカーの開発に力を入れてこなかった点だ。世界の潮流は、ハイブリッドだ。トヨタが続々とハイブリッド車を上梓していることと対称的に、米国メーカーは一歩も二歩も出遅れている。フォードはハイブリッド車の自社開発をほぼ諦めて、ついにトヨタと技術提携する有様だ。益々高騰する石油に、燃費の悪いアメ車のニーズは、今後も落ち込む一方だろう。

プリウス・エスティマ・ハリアー・クルーガーと、続々と世に送り出されるトヨタのハイブリッド車。来年にはウインダムにもハイブリッド使用車が出る。ハイブリッド車の地球温室効果ガスCO2の排出量は、ガソリン車の1/2以下。石炭から水素をつくる場合、ガソリン車が排出するCO2の8割近くのCO2を排出するので、そのまま実用化することは環境への負荷が大きすぎてあまり意味がない。最も効率が良いのは、バイオマスから水素をつくることだ。しかし、まだまだその技術は発展途上。現段階では、経済性との兼ね合いも避けては通れない。

しかし、徐々にハイブリッドにシフトしていくことは、地球人としての責任だ。日本にしか存在しない「軽」自動車というくくり、小回りがきくので愛用している私にとって、軽のハイブリッドが登場する日が待ち遠しい。宇宙開発や軍需産業は世界のトップなのに、今まさに必要としているハイブリッドの開発を、疎かにするのが米国なのだ。ハイブリッドを日本の独壇場にするくらいの勢いで、日本のメーカーには研究開発に精を出してもらいたい。

米国市場を席巻する日本車や韓国車に対抗して、全米自動車工業会は、日本車の輸入に対してプレッシャーをかけ始めた。日本の当局が、円高を阻止してると言い出したのだ。財務省が為替相場に介入し円安に振れさせ、日本車の米国への輸出を有利にはたらかせていると指摘しているのだ。「本来なら1ドル90円代レベルのはずなのだから、米国での日本車の価格は1割以上割安になっている」と主張。全米自動車工業会は、その結果、米国車が価格競争で負けていると言いたいのだ。しかし、そんなことは、実は枝葉末節にすぎない。

日本人の細やかな気質を習得することは無理だから、GMやフォードのアフターサービスの質は、今後も期待できない。GMやフォードが生き返るには、日産がそうであったように組織の再構築をはかるしかないのだ。徹底的なリストラクチャアと、ハイブリッド車の開発にシフトする以外に、GMやフォードに生き残る道はない。米国は、なんでもかんでも日本に責任を押し付けたがる。GM・フォードの衰退は、決して日本のせいではないのだ。
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イチロー選手に二度惚れ 5月7日

前代未聞のスパイダーキャッチをやってのけたイチロー選手、スゴイ・スゴイ・スゴイ!!!
並の人物じゃないなあ!!尊敬に値する。立派!ファンに支えられての大リーグだということを、これほど明確に理解している選手も少ない。

職場の調剤室に等身大のポスターを数枚貼ったり、日本シリーズでは追っかけをやったりと、当時イチローの大ファンだった私にとって、日本で身近にイチロー選手を見ることができなくなったことは、非常に残念。でも、卓越した能力と精神を持つイチローにとって、日本のプロ野球は、生ぬるくって全然もの足りなかったのだろう。わかるなあ。だって、今のプロ野球、見ていてもちっとも面白くないもの。新庄選手は、そんな中でも頑張っているほうだけれど、でも、やっぱり頑張る方法のピントがずれてる。野球選手としての見せ場がなくっちゃ、ね。

イチロー選手は、あのスパイダーキャッチを見事にキメるために、おそらくそれはもう練習に練習を重ねていたことだろう。イチローのそんな血のにじむ努力が、目に見えるようだ。イチローの、ささやきが聴こえてきそうだ。「すべては、人の何倍も練習した結果さ」と。

ゴジラ松井のお父さんは、松井選手に対して「努力できることが才能なんだ」と言い続けていたそうだ。なるほど、まったくその通りだ。イチローやゴジラ松井が飛びぬけて優れた能力を発揮できるのは、「自分の好きなこと」に対して「自分のペース」で徹底的に打ち込めることが可能だったからだ。誰に迎合することもなく、ひたすら自分の信じた道を突き進む勇気と実行力が、彼らに偉大な成果をもたらしている。

イチローやゴジラ松井のもう一つの特徴は、周囲の雑音に決して動揺しないことだ。当然、彼らに対しても、いろいろと言う人はいるだろう。でも、そんな無責任発言には、一切動揺しない。心に鎧をまとい、それくらい強い人間にならなければ、二人のようにスゴイ結果は出せないのだ。
スパイダーキャッチに、イチローのプロとしての魂の真髄を見た気がした。ファンを魅了し続けるイチロー選手に、完全に脱帽!!

ところがっ!
オープン戦は、5割近い打率。4月は、後半は落ちたけれど彼としては同月最高打率。しかし、5月に入ってからは、20打数3安打と絶不調。昨シーズン、「打撃開眼した」と語っていたイチロー選手なのに、一体どうしちゃったんだろう???ゴジラ松井も不調気味。一方、「最も大リーグ向き」と言われていたホワイトソックスの井口選手は、絶好調。イチローとゴジラの打撃復調に期待!
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食品安全委員会答申 5月6日

BSEの検査対象を月齢21ヶ月以上の牛に限ることを容認する食品安全委員会の答申が、とうとう出た。食品安全委員会は、20ヶ月以下の牛のBSE検査を中止した場合、見逃されるBSEの牛の数は0.3~1.5頭以下と推定した。食品安全委員会は、「特定危険部位は除去され食肉は洗浄される」また「非常に若いために異常プリオンの蓄積も少ない」との見解を示し、20ヶ月以下の牛を検査対象からはずすリスクは極めて低いと結論づけた。

具体的にリスクをどこまで容認するかについては、リスク評価が任務の食品安全委員会の、それは仕事ではないと言い切った。リスク評価に基づいて、施策を講じるのは厚生労働省だと突っぱねた形だ。厚生労働省は、この答申に基づいて、6月には省令を改正し、BSE検査対象を月例21ヶ月以上に限定する。

食品安全委員会はリスクを評価することのみが仕事であって、施策を講じるのは厚生労働省だと言い、厚生労働省は、食品安全委員会の答申に基づき全頭検査を緩和する。よく考えると、ちょっとおかしな話で、お互いに非常に無責任と言えるが、実はすべてがデキレース。そもそも、昨年秋に、食品安全委員会が「全頭検査は必要ない」と自作自演の「中間とりまとめ」を出し諮問への呼び水とし、厚労省と農水省はそれを良いことに、今回の正式な答申を米国の言いなりになるための絶好の口実と考えたのだ。食品安全委員会と厚労省・農水省とのキャッチボールは、完全に互いがもたれ合うデキレースなのである。あさって8日には、厚労省と農水省のBSE調査団が渡米するそうだ。そのお土産に、どうしても今日のこの答申を必要としたのだ。

そもそも、輸入牛肉と国産牛肉とを同等に扱う必要性を、まったく感じない。日本の消費者は、安全性には非常に敏感だ。特定危険部位の除去と今まで通り全頭検査を実施することで、消費者の安心は保証されるのに、無理やり国産牛の全頭検査を解除することは、消費者の心理を傷つけはしても、得るものは何もない。厚生労働省は、自治体が独自に行なう全頭検査に対しては補助金を出すとしているが、だったら、初めから輸入牛肉と国産牛肉とは分けて考えるべきなのだ。

霞ヶ関の机上の空論は、いつもいつもピントがずれている。大手パッカーに支援される米国の国会議員らが、日本に早期の輸入再開を迫ってきた。しかし、米国の中小のパッカーなどは、全頭検査を実施することにやぶさかではないと証言しているのだ。米国の与党共和党議員もまた、日本同様に一部の企業に対する利益誘導マシーンであり、多くの庶民を切り捨てた政治を断行しているのだ。

本当に、こんなことで良いのだろうか。日本の食の安全は崩壊寸前だ。一つ崩れはじめると、いずれ怒涛の如く安全神話は崩壊する。今こそ、日本の国会議員が体を張って、日本国民を守るときだ。外遊結構。しかし、一番大切な日本国民の安全をないがしろにするようでは、そんな国会議員を選んだ国民も立つ瀬がない。議員自らが、高い倫理感と強い責任感とを持って、この難局に立ち向かってもらいたいものだ。
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反省しないJR西日本 5月5日

尼崎列車事故の直後、JR西日本の天王寺車掌区の社員43人が、ボーリング大会と懇親会と称する宴会を開催していたことが、物議をかもしている。そのうち十数名の社員は、事故の重大さを認識しながら2次会まで盛り上がっていたというのだから、やはり相当感覚がズレている!どう考えても、「酒宴」はまずい。

携帯電話が普及した今、こちらが求めなくても、最新ニュースは時々刻々と送信されてくるものだ。ニュース配信の設定をしていなくても、携帯電話のインターネットのニュースサイトに接続すれば、いち早く情報を手に入れることが出来る。ましてや、大阪天王寺車掌区の社員が、尼崎で発生した自社の大事故の状況を、懇親会に参加した区長が言うように、数時間経過してから知らされたり、また他の社員が言うように、新聞の号外を見て初めて事の重大さを知った、などということが本当にあるのだろうか???これが事実なら、JR西日本のエマージェンシー対策は、評価の仕様がないくらい低次元。問題外だ。

しかし、それにしてもだ。事故発生から今日まで、多くの人々が異口同音にJR西日本の対応の悪さを指摘しているにもかかわらず、依然としてその対応ぶりはお粗末だ。JR西日本自らが襟をただし、情報開示して、積極的に行動に移している様子を感じる人は殆どいないだろう。

この連休中は、JR西日本の新幹線を利用した人も多いはずだ。到着駅と到着時刻、そして「自由席が混み合いまして申し訳ありません・・・」と、いつものパターンの社内アナウンスはあっても、事故のお詫びと戒めの言葉は一切なかったのではないか。「部署が違えば関係ない」と言わんばかりのこの態度は、非常識であってJRの最大の欠点だ。連休中に新幹線を利用した乗客に、JR西日本の再生への意欲とメッセージが全く伝わっていないことは、非常に残念だ。

しかも、尼崎の事故から「停止位置オーバーラン」のニュースを聞かない日はない。列車編成を勘違いしたとの運転士の弁には、ちょっと驚いた。電車の車両編成を勘違いしていても、普通に運行できるものなのだろうか?この言い訳は、その運転士にとって最初の駅でしか通用しないはずなのに、実際には、途中の駅でオーバーランしているのだ。ここまで来ると、どこまでが真実でどこからが虚偽の報告なのかさっぱりわからない。

JR西日本の信頼回復は、まだまだほど遠い。体質を考えると内部監査は無意味だし、国土交通省の指導では不十分。しかし、外部に模範となるべき企業が存在するだろうか。航空会社もミスの連続。全体に、日本国そのものが平和ボケしている感じだ。国のリーダーたる小泉総理は、郵政民営化ボケ。明日には、食品安全委員会によって、日本のBSE検査は月齢20ヶ月以下の牛は省いて良い、との答申が出される予定。米国産牛肉の輸入再開のための、お膳立てだ。いったい誰が、国民の安全のために必死にたたかってくれるのだろう。国民の模範となるような「たたかう国会議員」が、もっともっと増えなければ、間違いなくこの国はおかしくなる。
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憲法記念日 5月3日

今日は、憲法記念日。各新聞社とも、憲法特集でにぎわっている。それぞれバラエティに富んだ識者が論説しているが、中には私にはとても納得のいなかい議論もある。

各政党とも、基本方針の羅列をしているが、特に民主党では、党内での意見の一致がなかなかみられないことを誰もが知っている。結果、環境権などについては各党合意できそうだが、肝心の9条と人権については、とても収束する気配はない。

先日も患者さんから「9条は守ってくださいよ」と、念を押された私だが、民主党でも9条2項の堅持については、非常にあやういものだ。戦争の永久放棄をうたった9条1項については、絶対堅持で一致するところだと思うが、陸海空の戦力不保持を明記した2項については、意見がわかれるのだ。

いかなる場合においても、日本国が攻められるような状況にあれば、唯一の存在である自衛隊が国家防衛のため抗戦することは当然だ。かなり具体的に想定される北朝鮮などに対する個別的自衛権について、その行使を否定する日本国民は、多くは存在しないだろう。

一方で、米国は、明らかに戦争容認国家であり、自ら交戦する国家だ。そんな米国の後方支援と称して、世界中に自衛隊が出動することは、日本国のアイデンティティそのものの否定である。私は、2項を修正するかあるいは3項を加憲するかして自衛隊の正当防衛以外の武力行使を明文化することは、戦争の永久放棄をうたった1項の精神に、完全に矛盾するものだと考えている。

戦争を永久放棄した日本の平和原則は、なにものにも揺るがない世界に冠たる精神だ。戦後半世紀以上が経過した今、新たに「安全保障基本法」を制定することで、自衛隊の任務を、「個別的自衛権に基づく防衛」と「国連平和維持活動への参加」との二方面から明確に規定することが、時代が求める形なのではないかと私は考えている。9条を改正しなくても、十分に対応可能なのだ。

まず先に、与野党合意の上で「安全保障基本法」を制定して、21世紀の日本の安全保障原則を世界に明らかにすることが重要だ。その上で、将来、憲法を改正する時にそれを憲法の条文とすることが、正しい方法と言えるのではないだろうか。このままでは、9条をめぐる議論はいつまでも続くことになり、日本国民にとって決して良いことにはならないと思う。

各新聞社は、今日の憲法記念日を迎えるにあたり、世論調査を実施した。朝日新聞によると、憲法に自衛隊の存在を明記することを求めた人が58%もいたのに対して、9条の改正に反対する人が51%、改正賛成は36%に留まっている。矛盾しているように見えるが、国民はよく理解している。各政党とも、慎重かつ十分過ぎるほどの議論を積み重ね、「憲法を改正すること」が主目的にならぬよう、正しい指針を国民に提示して欲しい。

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大変な一日 5月2日

連日、尼崎の列車事故のその後が伝えられている。事故を起した運転士を加害者として報道することに、私はいささか違和感を覚える。伊丹駅でのオーバーランを過小報告しようとした姑息さは、運転士の人間性の未成熟さとJR西日本の非人間的な組織体質を明らかに物語っているが、次第に勤務体制などのバックグラウンドが明らかになるにつれ、この事故は、起こるべくして起こったもので、運転士個人の問題ではないことがはっきりとしてきた。問われるべきは、JR西日本の安全対策の不備であって、過酷な労働を強いられ、なおかつ、過密なダイヤ運行を強制された一運転士だけを、経験が浅いからと言って責めることは非常に酷な話なのだ。

遺族の怒りは、責任回避を前提としたJR西日本幹部の言動を目の当たりにしてやり場がなく、関係のない第三者の私であっても、報道を見るにつけ胸が絞めつけられるほどの切なさを感じる。鉄道に対しては、例えば飛行機などと違って、絶対安全を信じて乗車していた私たちだが、今後はどういう心構えで乗車すれば良いのだろう。事故の尊い犠牲が生かされる十分な対策が講じられることを、とにかく願うばかりだ。

事故と言えば、やっぱり一番身近なものが自動車だ。実は今日、職場から目と鼻の先の国道2号線で、恐怖の玉突き事故が発生した。

昼下がり、やって来た顔面蒼白気味の患者さんに、具合悪そうだなあと思いながら「こんにちは」と言葉をかけるや否や、「そこで、車がグジャグジャになっとるよ」と、驚きと緊張のあまりひっくり返った声が返ってきた。ビックリ。国道2号線が1時間以上も通行不能になるほどの大惨事。隣から外科のドクターが現場に走って行く!ナースも後を追い、走る。たまたま受診していたそのナースの子どもが、母親が事故現場に向かう姿に動揺したのか「おかあさーん」と泣きじゃくる。

大型トラックに激突された軽乗用車を運転していた若い女の子は、頭から血を流し半身大怪我を負っている。見るも無残にへちゃげた車。車から彼女を出すのにも一苦労だったに違いない。信号待ちをしていた何台もの車が、玉突き事故の被害に遭う。なんとか自力で歩きながら、湿布や消炎鎮痛剤を受け取る被害者の方々。しかし、家族や知人の迎えがないと帰ることが出来ない。一様に、車が大きな損傷を負っているからだ。

昼下がりの事故なのに、とっぷりと日が沈んだ頃、一人の若い男性がやって来た。自力で歩ける程度なのだが、話を聴いてビックリ。事故現場に居合わせた彼は、即座に救急車を呼び、頭から血を流し苦しむ女性を優しく介抱し、上下線ともに不通となった道路を、警察が到着するまで必死に交通整理をし、まさに一人何役もの七転八倒の大活躍だったということだ。

怪我人が数台の救急車に分乗し搬送され、暫くしてレッカー車が到着し事故車両の撤去が終わった約2時間後、道路も無事開通したところで、彼は自らに課した任務を終え帰途についた。と、その時、脇道から一旦停止せず飛び出してきた車に、彼の車は横っ腹を激突されてしまったのだ。なんということ!!飛び出してきた車を運転していた女性は、国道2号線がいまだ通行止めになっていると勘違いしていたそうだ。それにしても・・・だ。

そして、あろうことか、その女性は、明日にも出産を控えた妊婦さんだったのだ。駄目押しは、妊婦さんの後部座席にも、別の妊婦さんが乗っていたこと。一旦停止せずに飛び出してきた車に、普通なら激怒するところだが、しかし彼は非常に責任感の強い人で、女性が妊婦であることを確認するや否や、直ちに救急車を呼び、彼女らを病院に搬送したのだ。彼も苦しかったに違いないが、最後の最後まで他人を気遣っていたのだ。ちょっと感動してしまった。

事故が事故を呼び、多くの人を巻き込んだ大変な事態が、私のつい目の前で発生した。しかし、これは、決して他人事ではない。いつ自分が加害者になるかもしれないし、また巻き添えをくらうかもしれない。統計上、連休は非常に事故が多い。行楽中の方、そして勿論そうでない方々も、十分に注意を払った運転をお互い心掛けましょう。運転も、周囲に対する配慮が肝心。利己的で自己顕示欲の強い運転は、絶対にしてはなりません。私も気を付けます。
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診療報酬のバラマキにNO! 5月1日

医療制度改革の一環として、診療報酬の引き上げが着々と進められている。厚生労働省は、診療所での入院医療の報酬を、病院並に引き上げることを発表した。勿論、診療所の人員あるいは設備の充実が条件なのだが、診療所に新たに高い診療報酬体系を盛り込むことに変わりはない。果たしてこれは、本当に医療制度の改革となるのだろうか。

厚生労働省は、人員と設備が充実することで、患者は質の高い医療を享受できると主張している。確かに、設備の乏しい診療所よりは、より整備された診療所の方が一見良いように思える。しかし、医療の質という観点に立つとき、問題は果たしてスタッフの頭数や設備の良し悪しだけで決まるものなのだろうか。どんなに最新型の医療機器を備えていても、診断するのは医師だ。医師が画像や検査数値を正しく解釈する能力を持たなければ、適確な医療行為は行なわれない。更に、知識ばかりではなく、患者が全幅の信頼を置けるだけの人間力も、医師には必要なことだ。

医師免許の更新制度は、医師会の猛反発にあって、規制改革・民間開放推進会議でも先送りされた。しかし、例えば、ガンの治療成績が医療機関によってかなりの格差があることを、私たちは知っている。なかなかオープンにならない限られた情報の中、積極的に情報を収集できる能力を持ちあわせ、更に、知り得た情報を医師にただしながら治療に向かうことのできる患者は、非常に少ないだろう。おそらく多くの患者は、目の前の医師から与えらる流れに乗るしか、選択肢がないのだ。

医師の能力の違いを、患者が一目で理解できれば、患者は医師を選ぶことができるようになる。認定専門医制度は、その意味においても非常に画期的な制度だ。しかし、今のままでは認定専門医とそうではない例えば研修医レベルとの間に、診療報酬の格差は殆ど無い。認定専門医のほうが高くても、治らないまま能力の無い医師にズルズルとかかるよりは、結果的に医療費の抑制につながるだろう。医師から見ても、専門性を深めれば診療報酬が高くなるのだから、理に叶っているはずだ。

市中病院で診療に携わる医師が、日進月歩の医療についていくことは、非常に大変なことだ。だから、それが出来なくても多くの人は文句は言わないが、しかし、それを理由に勉強を怠る医師が、勉強を怠らない医師と同じ報酬を受けれられるシステムは、明らかに間違っている。努力して専門性を追及する医師については、見合った対価が与えられてしかるべきであり、それが医療の発展にもつながるというものだ。日本にガンの専門医が少ないことが、助かる命を助けられない大きな要因になっていることがよい例だ。

人員と設備の改善だけで診療所に対する報酬を引き上げることは、診療報酬のバラマキになりかねない。単純に医療費が嵩むだけの結果に終わりかねない危険をはらんでいる。一方で、医師の能力が診療報酬に跳ね返ることに、誰も文句は言わないだろう。私たちは、質の高い医療を享受したいと、いつも思っているのだから。医師会や製薬会社の圧力に絶対に左右されない厚生労働省でなければならないし、制度を議論する政治家には、患者を主体にした改革を目指す姿勢がなくてはならない。

今回の見直しは、一見、患者にとって利益のあることに思える。が、よくよく考えると、そこに「医師の能力の評価」がなければ、診療報酬のバラマキにすぎないことに気付く。高度な技術が要求される医療の世界だけに、勉強しない医師と勉強する医師とが同じ診療報酬を得られるシステムの見直しこそが、今、一番求められている改革なのではないかと、私は思う。
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民営化が裏目  4月30日

尼崎の列車事故での、JR西日本の対応には、憤りを感じるばかりだ。時々記者会見に応じる垣内剛社長の表情に、心の底からの謝罪の意志は見てとれない。南谷昌二郎会長にいたっては、関西経済連の副会長を続投すると、この時期シャーシャーと述べている。事の重大さと責任を、これっぽちも感じていないようだ。

犠牲になられた遺族に対しては、手土産(お香典)を持参し、型通りのお悔やみを言ってまわったそうだが、むしろ逆効果。かえって遺族の気持ちを逆なでしているようだ。切ないなあ・・・。しかも、凄惨な遺体の状況を、垣内社長も南谷会長も見ていないのではないかと言われており、犠牲者や遺族の無念に、まったく心を寄せる気配がなさそうだ。ひどい話だ。

JRは民営化して、会社の再構築が進み、新幹線の利便性と正確なダイヤとで、利益と信頼を獲得してきたはずだった。しかし、その裏で、在来線では競合する私鉄との過当競争を勝ち抜くため、最も優先されるべき安全性が、最も軽視された運行がまかり通っていたのだから、驚きを隠せない。電車に乗ることが、まさか危険と隣り合わせだなんて、日本人の誰一人として思ってはいなかったはずだ。

地下鉄サリン事件にニアミスしたことを後で知った時は、さすがにドキッとした私だが、痴漢以外で電車内で恐怖を感じたことなど、過去に一度もない。そんな絶対に安全を保証すべきJRが、安全を二の次にしていたことが発覚した今、私たちは民営化について、あらためて考え直さなければならない。民営化には長所もあるが、計り知れない短所を内在していたことが明確になったからだ。

株式会社は、議論になったが、当然、株主の利益を追求する。自己完結で利益を捻出しなければならなくなったJRにとって、コストのかかる安全対策は、後手後手になってしまったのだ。トンネルの内壁の破損など、新幹線の安全神話も実は磐石とは言えないのかもしれない。車両の運転を人間が行なう以上、不測の事態に備えて最後まで乗客の安全が確保される二重三重のセイフティネットを備えることは、ある意味常識であるべきだ。今回の事故は、民営化が裏目に出た最たるものだ。

遺族に対して誠意を尽くせるか否かで、JR西日本の今後の運命は決まる。垣内社長や南谷会長が、心の底から申し訳ないという気持ちを抱かない限り、事態は解決しない。そんな気持ちがこれっぽっちもないのなら、社長や会長の資格なしだ。自分の利益だけを追求する人は、みんな同じような顔になるのかなあ。垣内社長とオリックスの宮内会長、どう見てもソックリだ。きっと、腹の中までソックリなのだろう。
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