よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

料理上手の基準とは

2018年01月06日 | コラム
片づけの上手、下手の差異は歴然としている。

料理下手の定義もわかる。

しかし料理上手の基準というのが今一つ判然としない。

味付けが良いことなのか。
レパートリーが豊富なことなのか。
手早く作業できることなのか。
基礎的なモノが創れることなのか。
他所では食べられない献立を編み出せることなのか。
安い食材でもうまくアレンジできることなのか。
栄養バランスがよいメニューを繰り出せることなのか。

「あの人は料理上手よ」と称賛される場合、
概ね完成品を食しているのだろうから
制作過程は評価されていないのだろう。

「私は料理が苦手で」という人が、意外に綺麗に
食材を利活用しているのを知ることもある。

皆、どんな基準で判断しているのか。


こんなことを書いているのは、今年の目標に
料理の腕を上げると書いたためである。

しかし、私の目指すところはどこにあるのだろう、考えたときに
何か壁にぶち当たった気がしたのだ。

食べることが趣味というほどの固執はなく
あまり時間を費やすほどの関心はなく
味付けの濃いものや身体に悪いものは敬遠する。

となると、スピード料理かつヘルシーメニューを
繰り出すほかはない。




もともと好き嫌いはなかったのだが、
最近砂糖を摂りすぎると気分が悪くなる。

だから甘いものもそれほど食べない。

塩分を摂りすぎるとだるくなる。

焼き魚と味噌汁で「摂りすぎ」警報が鳴った。

非常に便利な健康体質になったこともあり
ひたすら薄味道を極めることになりそうだ。

先ほど料理本をパラパラ読んでいたのだが、
肉や魚を見てもあまり食べたいと思わないのだった。
(味が強すぎるので)


そういえば、森のイスキアの故佐藤初女さんが
「料理のレパートリーを増やす必要はありません」
と書いていた気がする。

健康的な献立を、継続して、スピーディに。
これを目指すことにしよう。



あと色彩にもこだわっているな♪

海外旅行は単なる散歩に過ぎない

2018年01月06日 | コラム
身の上相談をたまに読む。

私だけかもしれないが、著名人のアドバイスよりも
無名の人の意見に煌めきを感じることが多い。



昨日ネットで読んだ投稿に
「何度も海外旅行をしている夫婦が幸せそうでうらやましい」というものがあった。

それに対し
「表面的なところだけを見て、羨んでいるだけでは」
「人間の幸福・不幸などちょっと逢っただけではわからない」
という非常に深い意見が多数寄せられていた。

最近の傾向として
「個人の幸せは人それぞれである。一方的に断じることはない」
という気風があり、非常に良いことだなと感じる。

たまたま私が巡るサイトがそうなのかもしれない。

自分の波長に合ったものに遭遇しているのなら、なお良し。

さてその中で名言過ぎて、ツボにはまったのがこちら。

海外旅行なんて、周囲の風景が変わるだけで、要はお散歩。
 そんなことがうらやましいの?」

言い得て妙なり!

いや、ここまでバッサリ行くと本当に心地いいというか
面白すぎるというか、核心を突きすぎているというか。

私も20か国くらい訪れたが、次第に慣れや飽きを感じるようになり
最近は旅行熱もさめてきている。

だから、この方の言うことはとても腑に落ちる。


ネットの一文だったり、電車の中の他愛ない会話だったり。

何気ない場面で、はっとするような面白い言葉を拾えることがあるものだ。


写真は上野の清水観音堂♪