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hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

鎧(よろい)と槍 ― 光の補色闇に浮かぶ古(いにしえ)の深海魚は、暁と黄昏の狭間に消えゆく (後/三/四)

2015年02月18日 | 絵画について
カルロ・クリヴェリ Carlo Crivelli (1430 ? - 1495) 聖 ゲオルギウス



Saint George 1472 年 テンペラ・板(金地) Tempera on Wood(Gold ground) 96.5 × 33.7 cm

巻き毛をふんわりと梳(す)き出した、幼顔の聖人は、片手を腰に
小首を傾(かし)げ、どこか気だるげに、観る者を眺めやる。
ウッチェロの神懸(がか)った聖人とは異なり、普通の貴族の男児のようにも見える。

中世の頃より、床屋は歯科医・外科医を兼ね、いつしか
瀉血(しゃけつ) の際、 血を伝わらせた棒に、包帯が巻き付いた
デザイン
サインポール が考案されたというが、それは、
ひょっとして、この麗(うるわ)しき髪形の、若き聖人が、脇(わき)に突き立てている、
(先の折れた)槍から、思いつかれたのでは、と想われたり、しないだろうか。

それとも、元祖 有平飴 × 千歳飴 の特大版を持っていて、
先を食ってしまった (か、食らわせてしまった、龍に)、
訳ではないが、洋装の 五月人形 のようにさえ見えて来るのは、
魚や波を想わせる鎧(よろい)のデザインと、
鋸鮫(ノコギリザメ) のごとく口を開けた、
苔生(む)す緑の、龍が足下に控えて居るからで、
代わりに、ぽっかり口を開いた、大きな が居た
としても、さして不思議はない、だろうか。

鋸鮫(ノコギリザメ)よりも大型で、かつては地中海や、大西洋にも
広く分布、淡水の川を溯(さかのぼ)り、湖で繁殖することもできた
鋸鱏(ノコギリエイ) も、 アルトドルファー の描いた大鯰(ナマズ)
(のような龍)
と共に、龍伝説のモデルたり得ただろうか。
(龍については、次回、更に、妄言を呈させていただくこととし、ここでは、
聖人の鎧(よろい)に幻出される大魚のほうへ、想いを彷徨(さまよ)わせたい)

メトロポリタン美術館のサイト で、画像をクリックすると、全画面で拡大して見られる。
ここでも主調となっているのは、鮮やかで澄んだ、高価な青と金の対比で、
それが、渦巻いたり尖(とが)ったりしながら拡がってゆく、波飛沫(しぶき)や
海の生物を想わせる、奇抜なデザインの鎧(よろい)を具現しつつ、
鎖(とざ)された金地を背景に、美少年に纏(まと)われているために、
ほとんど同じ構図と色彩対比を用いた、天空まで遠く抜け拓(ひら)けていく、
空間に聳(そそ)り立つ、先のミカエル像とは、似て非なる印象を受ける。

青と金の対比を、複雑に結び合わせ引き立たせる、鏤(ちりば)められた
弁柄 (べんがら / Sinopia) の と、 ロゥ・シエナ の黄の上に薄く刷(は)かれた白、
狭い露台の端に立つ聖人の、足のすぐ後ろに蹲(うずくま)る、龍の鈍い淡緑色や、
聖人の鎧(よろい)の端々から覗(のぞ)く 鎖帷子(くさりかたびら) の暗褐色からなる、
バレエかオペラの衣装デザインか、モードやファッションの
イラストを見るようだが、先の、ウッチェロの聖ゲオルギウスと龍と
同じ頃に描かれた、ピエロ・デラ・フランチェスカのミカエルは、
祭壇画全体が仕上がるまでに、十五年を経ているとはいえ、
このクリヴェリの若き聖ゲオルギウス像とは、二年しか隔たっていない。

細い赤いベルトを、肩と腰へ斜めに掛け渡し、暗い赤の盾(たて)を背負い、
抜き身と思(おぼ)しき、赤い両刃(もろは)の細身の剣を、左の腰に下げる。
画面右側、左手で、赤い大理石の床に突き立てた、赤と銀白色の巻き上がる
槍の先は折れ、左下後ろで、口を大きく開いたまま、飼い主の方を見上げて
鳴く猟犬のごとき、死せる緑の龍の、脳天へ突き刺さり、下顎(あご)の奥から、
その切っ先を貫き出したまま、血は 代赭(たいしゃ) の喉元(のどもと)を伝い、
曲げた首へと滴(したた)って、聖人の立つ、赤みがかった大理石の上へ、
目立たず、その模様のように、粘々(ねばねば)と垂れ落ちている。

肩には、獅子(しし)の口から、水飛沫(しぶき)か鰭(ひれ)か
水掻(か)きのような、覆(おお)いが突き出て、先が尖(とが)る。
胸には、蓮弁のような、花のような模様、腹には、噴水などの彫像に見られる、
そこから水が出て来るような、への字口の獅子(しし)の顔がついている。
両側から渦巻模様が出ているので、それが水のようにも、
獅子が羊のようにも、 牧羊神 のようにも見える。

膝(ひざ)下にも、長寿の亀の後ろへ靡(なび)く
藻の房のような、尖(とが)った青い飾りが出ている。
鎧(よろい)の下に着ている、金色の細かい光を含んだ、暗色の
鎖帷子(くさりかたびら)の下から出て来る脚は、金色の鋼(はがね)の
腿(もも)当て、脛(すね)当てに覆(おお)われているが、全体に明るく、
水や光を思わせる、魚のようなデザインと、寛(くつろ)いだポーズから、
重い鎧(よろい)を着ているという感じは受けない。

大魚が居る、そこに。
(両肩の、青い)胸鰭(むなびれ)と、
(胸の上の、ピンクがかった灰白色の)左右の目玉、
(首周りの、灰白色の)ピンクがかった口、
(胸の真ん中で、緩(ゆる)やかに弧を描きながら、降りていく、青い)背鰭(せびれ)、
(腰から下の、青い)尾鰭(おびれ)からなる、
胴全体が、(上向きの)魚を思わせるデザインの、鎧(よろい)。
背鰭(せびれ)が嘴(くちばし)とすれば、梟(フクロウ)にも見えないこともないが、
大魚のイメージは、周囲を捲(ま)き込んで浮上し、表面化を試みるかのよう。

水であると同時に、それを掻(か)く鰭(ひれ)でもある、 ラピスラズリ の青と
光であると同時に、それを反射する鱗(うろこ)でもある、ロゥ・シエナの黄金に
包まれつつ、それらを自らの一部として纏(まと)い、また、離れては、浮かぶ。
肩口の獅子頭の鬣(たてがみ)は、胸鰭(むなびれ)が掻(か)き進む、波頭に
湧(わ)き立ち、渦巻く泡、煌(きら)めき、黄金(こがね)色に染まっている。
尾鰭(おびれ)も、また、波を蹴(け)立て、左右に交わりつつ、後退し、
泡捲(ま)く、波飛沫(しぶき)の航跡を、自らの上から下へと残し、
大魚は踠(もが)きながら上へと昇ってゆく。

それが、 三原色 、あるいは 補色 となる二色を、均等に混ぜ合わせると
できる、泥色のような、えも言われぬ昏(くら)いグレーの、暗褐色の
鎖帷子(くさりかたびら)と、 ドルトン の鋭敏な 桿状体 によれば、
陰の僅(わず)かに明るい部分に過ぎない、暗赤色の盾(たて)に、
取り巻かれているので、光の届かぬ、ゆえに色も形も失われた、
深海の暗闇から、時空を超えて浮かび上がる、 鮟鱇(アンコウ)
虎魚(オコゼ) のように、仄(ほの)かに明滅し、背景へと圧縮され、
鎧(よろい)の上へ二次元化し、凝着するかに見える。

太古の昔 (古生代オルドビス紀からデボン紀) 、その化石から
甲冑(かっちゅう)魚 と呼ばれる大型の魚や、巨大な節足動物が、たくさん居た。

 

ヘミキクラスピス                   ウミサソリ

鋸(ノコギリエイ)や鮟鱇(アンコウ)、虎魚(オコゼ)が漁師の網にかかったり、
海底の異変や捕食者からの逃避行で浮上、座礁してその姿が評判となることも
あったろうし、ウクライナの西の都 テルノーピリ のデボン紀の地層からの
甲冑(かっちゅう)魚の化石は多種に亘(わた)り、1540 年の市の創建前後から、
この世ならぬ不思議な生き物の姿を伝えるものとして、
貴重で高価な顔料となる鉱石と一緒に、各地へ齎(もたら)され、
気鋭の宮廷画家たちの目に、留まる機会もあったに違いない。

クリヴェリのゲオルギウスの両膝には、それぞれ
も居て、上へと泳ぎ昇ろうとするかのよう。
亀がそこから現れ、抜け出して、上へと脛(すね)を昇って行った、
小さな水面も、それぞれ下の方、赤に縁どられた靴の、足の甲にある。
この二匹の亀の、甲羅(こうら)部分と、鎧(よろい)の形作る、大魚の、
最上部にある、目と口の辺りは、うっすらと、真赭 (まそほ) という
辰砂(しんしゃ) の、暗いピンク色を帯びているようにも、見える。

この色は ニュートラル・グレー に僅(わず)かな ヴェネツィアン・レッド
混ぜた、 マウントバッテン・ピンク と呼ばれる、色にも近い。
ルネサンスの画家で、絵画技法と色彩理論についての書を著した
チェンニーノ・チェンニーニ によれば、ヴェネツィアン・レッド自体は、
そこへ白を混ぜてゆくことで、人肌の色調が、様々に
齎(かも)し出されるので、当時は盛んに用いられていた。

マウントバッテン・ピンク Mountbatten Pink (#997A8D) Wikipedia Mountbatten pink

この深い赤を幽(かす)かに秘めた、淡いグレーを塗った船が、
夜明けや黄昏(たそがれ)や曇天の海で、すぐに視界から消えてしまうことに気づき、
第二次世界大戦中、カムフラージュのために、艦隊の駆逐艦をこの色で塗らせた
英国海軍元帥 マウントバッテン伯爵 に因(ちな)み、この名がつけられている。

ヴェネツィアン・レッド(赤)やラピスラズリ(青)、ロゥ・シエナ(黄)等の、
自然の微妙な取り合わせによる、鮮やかで深い発色の顔料を
交易、硬質な煌(きらめ)きを、不透明で滑らかな表面から
弾(はじ)き返す、微細で稠密な描出に適した、堅牢な テンペラ と、
乾きが適度に遅く、柔らかく豊かな耀きを封じ込めるように、薄く、
透明感を維持したまま、塗り重ねることが可能な、 油彩 による、
混合技法を生み出し、大きさも自由に変えられ、開閉や移動可能な
板絵 、さらには、帆布のように巻き拡げて張り、軽々と持ち運べる
カンヴァス 画が、複合的に発展、それを駆使した、目眩(めくるめ)く
作品が隆盛を誇った、イタリアの、海運都市 ヴェネツィア で、
知らず知らず、このことに気づいていた者も、居たに違いない。
この効果は、ヴェネツィア生まれのクリヴェリの、この作品でも、
同じイタリアの シエナ 産のロゥ・シエナの上に、薄く
刷(は)かれた によって、醸(かも)し出されている。

シエナでは、十三世紀から十五世紀にかけ、青と金の荘厳な対比で
知られた シエナ派 が、同時代の フィレンツェ で展開されていた、
力強い ルネサンス の空間構築の、現実感に勝るとも劣らぬ、
夢のように浮遊する、幻想の封じ込まれた泡の、忘れ難(がた)き
永遠性を、 国際ゴシック の装飾性に、見出していたのだった。
白のみならず、上に重ねられた色に、温かみのある黄金(こがね)色の
明るさを含ませる、ロゥ・シエナの元となる 褐鉄鉱 (リモナイト) には、
消臭効果があることも知られている。
存在の気配、痕跡を消す、色たち。

補色残像効果 という、目の中だけの色を生み出す 同時対比 を起こさせ、
深まれば色も形も失われる、真空の闇を生み出す、グレーの効果を共に
用いた、この鎧(よろい)の魚は、青い水の透き通った鰭(ひれ)で、深海の
闇の底から浮かび上がり、夜明けと日没の海の耀きの中に、かき消える。
それは人肌に似た、一滴の血が潜(ひそ)み、溶け消えてゆく、
逢魔(おうま)が刻(とき) の海の淡い灰色。

イラストのような描法と感覚の持ち主のようにも想われる、
クリヴェリは、ピエロ・デラ・フランチェスカの亡くなった
三年後に、六十五歳位で亡くなったとされるが、感覚的には、
この両者は、かなり隔たっているようにも想われる。
ウッチェロや、ピエロ・デラ・フランチェスカが、
光と影と色の耀きで、空と大地を自在に繰り広げ、
物語の劇的瞬間を、常に躍動させているのに対し、
クリヴェリや、 ボッティチェリ は、
その鋼(はがね)のような、線の律動の裡(うち)に、
軽々と柔らかく、動き出す可能性を、
幾何学性や象徴性へと、永遠に封じ込め、
観る者の目の裡(うち)で、幽(かす)かに
揺蕩(たゆた)わせようとするかのよう。

誰かが目を投じた瞬間、ウッチェロのゲオルギウスは、龍に槍を貫き通し、
ピエロ・デラ・フランチェスカのミカエルは、龍の首を断ち切って、
湯気の立ち、血泡を飛ばす、それを下げ、剣を降ろす。
その眸(ひとみ)は既に、天空の青の彼方に坐(おわ)す、
この世を統べる真(まこと)の耀きを見ている。
誰かが見やるまでもなく、クリヴェリのゲオルギウスは、
金地を背に、狭い露台に佇(たたず)み、ボッティチェリの
ヴィーナスや春の女神たちと同じく、あらゆる物語の展開と
可能性を深く裡(うち)に秘めたまま、そこに居て動くことはない。
槍はもう折れている。

あるいは、ゆらゆらと幽(かす)かに、いつまでも揺蕩(たゆた)い続ける。
遊足から力足へ体重が移され、折れた槍の先で振動が収まりつつあり、
見るともなく、遙(はる)かな未来へ投ぜられた、視野を過(よぎ)る
私たちの影に、その視線がふと揺らめき、吐き出されつつあった
息が、いつからか忘れられ止(とど)められていたのが、
想い出されたかのように、幽(かす)かに鼻孔から漂う。

最大限まで拡大する過程で、看(み)て取れるように、
全体は、潰(つぶ)れることなく、細かく重ねられた、
薄く均質な筆触で、覆(おお)われている。
それは、まさに、形体へと投じられる光を、
その宇宙の眼差(まなざ)しの一つ一つを、
心を込め、力を尽くして、再現しようとするかのよう。
鎧(よろい)を打ち出した、鑿(のみ)や鏨(たがね)の跡、
髪の毛の一筋一筋と、皮膚の肌理(きめ)と皺(しわ)に
溜(た)まる、幽(かす)かな光と蔭の集積を、描出する
細く短く、薄塗りのタッチが、形体の起伏に沿って
丹念に重ねられ、埋められていき、そこに再び光が降り注ぎ、
視線が投ぜられる度に、すべてが耀き、生動するように、
存在と動きへの、力の流れと均衡(バランス)の気配が、生成される。

サラマンダー(火蜥蜴/ひとかげ) Salamander



動物寓意譚 Bestiary 1350 年 オランダ国立図書館 Koninklijke Bibliotheek

この、緑色の顔をして、背に、暁(あかつき)と黄昏(たそがれ)の海に消える
ピンク色を、仄(ほの)かに纏(まと)ったサラマンダーは、炎に包まれ、涼しい顔。
尾は、くるくると渦巻いてから、先が画面の外へ垂れている。
サラマンダーは、四大元素の火の精が、顕(あらわ)れたものとされ、
毒龍とは一線を画し、揺らめく炎のような、大きさの定まらぬ、
ほとんどは小さな、蜥蜴(とかげ)のような、姿をしているとされる。
このサラマンダーは、巻いた尾の中に、卵を隠し持っていて、それを
そっと頁(ページ)の外へ、送り出そうとしているのかも知れない。
それとも、その 龍血樹 の根方に、それは未(いま)だ埋(うず)もれているのだろうか。

同じような、緑色をした、クリヴェリの龍も、 メトロポリタン美術館のサイト で、拡大すると、
画面の下、聖人の足の甲の、青い水面を階段状に湛(たた)えたような、縁の赤い、
底裏の黄色い、靴の間から、赤みがかった大理石の張り出しの下へと、尾を垂れ、
はみ出させているが、聖人の左の足先は、尾が画面の外へ出ないよう、見張っている
ようでもあり、黒い針のように尖(とが)った尾の先は、力なく、くねるばかり。
右下奥では何やら、尾の根元が太く外へとうねり、捲き戻って来る、尾の付け根の
辺り、聖人の槍の、床へ立てられた持ち手と、左の脛(すね)覆(おお)いの間に、
覗(のぞ)く、いやに小さく渦巻く、灰色がかったピンク色の、臍(へそ)か、
肛門か、泌尿器の突端のようなものが、描かれているのも、見える。
クリヴェリの龍は、聖人の槍と足に遮(さえぎ)られ、鎖(とざ)され、
封じ込められ、未来永劫、画面の外へ届くことはなく、
何かを遺(のこ)そうとすることも、叶(かな)わぬかのよう。
だがサラマンダーは、聖人の鎧(よろい)と槍が、鍛(きた)えられた
匠(たくみ)の炉の、炎と火花の裡(うち)に顕(あらわ)れて、
暁(あかつき)と黄昏(たそがれ)に消える、その淡いピンク色を、
鎧(よろい)の胸に映し、ちらちらと炎の飛び散り、舞い踊る尾を、
槍に巻き付け、槍を握り締(し)めた聖人の左の掌(たなごころ)か、
腰に当てられた右の掌(たなごころ)に、炎と光を操り制する、
不思議な力を宿した卵を、預けたかも知れない。

クリヴェリは、ウッチェロやピエロ・デラ・フランチェスカらによる、
ルネサンスの、輝かしい色と光に満たされた空間と、ダイナミックな
力動の軌跡を、受け継ぎつつ、マルトレルが根ざしていた、画平面上へ
どこまでも、繰り広げられ、次々と花開く、物語の兆(きざ)しの連なる、
国際ゴシック へと回帰しながらも、間もなくマニエリスムからバロックへと
向かう、光と闇の裡(うち)に溢(あふ)れ、狭間(はざま)より迸(ほとばし)る、
情念の描出という、次代の要請ともいうべきものを、感じていただろうか。

ゴシック時代の、絢爛豪華に彩飾された 写本Illuminated manuscript) や
時祷書Book of hours) に見られるように、光背(こうはい)も、そこへと
一体化するよう、ほとんど黒く見える毛彫(けぼ)りや刻印で文様を施された、
金箔地を背景にしているので、圧倒的な非現実感が鬩(せめ)ぎ合い、
最終的に、この若武者を、聖人へと変容させ昇華させるのだろう。

本の頁(ページ)の上、イニシアルの大文字から、欄外へと渦巻き
零(こぼ)れ拡がっていく、蔓草(つるくさ)文様の間や、挿絵の、
鎖(とざ)された金や色地の背景から、二次元が耀き霞(かす)み、
夜空のように深まり退く、耀きを鏤(ちりば)め秘めた闇の裡(うち)に、
幻や夢が浮かび上がり現出する、国際ゴシックと、
壁面に描き出された窓から、物語や過去の場面が演じられている、
深い空間が穿(うが)たれ、そこに降り注ぐ永遠の光が、
登場人物の躍動する姿と、その意識を照らし出す、ルネサンスは、
二次元上の、塑造と彫刻という、異なる方向から、
同じ確かな存在を構築しようとする、ものだったかも知れない。

ルネサンスの、広やかな薄明に、彼方(かなた)から投じられた
光明で、耀き出(いづ)る存在と、ゴシックの、内なる混沌とした
薄暮明(うすくらがり)の奥底から、幽遠な煌(きらめ)きを宿して
浮かび上がる存在は、共に、自然の妙(たえ)なる取り合わせによって、
遙(はる)かな時を経て、海溝の底へと沈み、隆起し、波に運ばれ、
険しい山奥、谷底に育(はぐく)まれた、石を砕(くだ)き、採り出された
色を、明滅する光に、現れては消える、形を辿(たど)り、
透き通るように、薄く、丹念に塗り重ね、想いを凝らし、
力を尽くし、慈(いつく)しみ、願いを込めて、生み出された。
より良き世界を希求し、時空を超えて、遙(はる)かな未知なる未来へと
流離(さすら)い進む、人類の叡知に支えられた挑戦の、永遠なれ、と。

鎧(よろい)と槍 ― 天空の青の胴着、死せる龍の血のように赤い靴  (前/三/四)

2015年02月06日 | 絵画について
ピエロ・デラ・フランチェスカ Piero della Francesca (c.1415/20 頃 - 1492) 聖 ミカエル



Saint Michael (- 1469 年) 油彩・板(ポプラ材) Oil on Poplar 133 × 59.5 cm

天と人との仲立ちをする、大天使ミカエルも、太古には、天の軍団を率い、
その後は、時に、独り、完全武装して立ち現れ、槍を突き、地を砕き、
剣を翳(かざ)し、毒龍を退治、人の死に際しては、その魂を量り、
盗み去ろうと跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する悪鬼より、保護する。
背には翼があり、聖人ゲオルギウスのように馬に乗ることはない。

ミカエルに冠された頭光(ずこう)を、水のように取り巻く青い大気は、
蔭に包まれた 月桂冠 のようなものを介して、
ミカエルの金髪の巻き毛の間にとり込まれ、透き通った翳(かげ)となる。
その天空の大気の青よりも、幽(かす)かに赤みを帯び、やや暗く紫がかった、
青い胴着には、胸から腹にかけての筋肉のうねりが、
古代の大理石彫刻の トルソー のように浮かび上がり、透けるように望まれる。
実際、古代ローマ皇帝や総督、将軍が出陣する際の出立(いでたち)には、
胸筋や腹筋に合わせ、強靭かつ豪壮に打ち出された、鋼(はがね)の胸当て
用いられたことが、ゲルマニクス の像などからも知られていた。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーのサイト で、拡大して見ると、
関節の覆(おお)いや接(つ)ぎ目、脇の留め金、縁取りは、金で施され、
首周りには、二重(ふたえ)の金の弧の間が 臙脂(えんじ) で埋められ、
中央が雫(しずく)のように垂れ下がって、線香花火のように
耀(かがや)きながら回転する七つの小さな剣か、煌(きらめ)く
翅(はね)を六枚にも震わせながら飛ぶ蜂のような、飾りが金で描かれる。
透き通った 紗(うすぎぬ) が、ギャザーを寄せ、喉元(のどもと)を包みながら
立ち上がり、細い金のモールで縁取られた間に、宝石や真珠が細かく縫い取られ、
その下を、珊瑚(さんご)かルビーと思(おぼ)しき 朱赤 の粒が、点々と廻(めぐ)る。

裾(すそ)には、直垂(ひたたれ) のような、宝石や真珠の縫い取られた、
厚く柔らかな、金に浸された革のような小板が連なる。
下の縁からは、臙脂(えんじ)のモールに縁取られた
艶(つや)やかな深い青が、細く帯状に覗(のぞ)く。
肩口の、鏡のような鋼(はがね)の蛇腹(じゃばら)の下からも、
金色(こんじき)の革のような小板は連なり、半袖のように長く垂れて、
宝石の縫い取りは、肩口から覗(のぞ)く、接(つ)ぎ目の短い列だけに見られる。
金革の袖(そで)の先端には、裾(すそ)と同じ、臙脂(えんじ)のモールに縁取られた青が、
天へと吹き抜ける 超流動 の炎のような薄く淡い青から、ミカエルの胴を包む
深く黙(もだ)した青まで、ちらちらと変化しながら、細く微(かす)かに両肘上を廻(めぐ)る。

空の青は、光の波長よりも小さい大気の粒子による 光の散乱 から生ずるという。
酸素を十分に取り込んで完全燃焼する もまた青い。
それは自然には、ほとんど在り得ない炎だが、硫黄(いおう) が燃えると、その炎は青い。
硫黄(いおう)はまた、液体で血のように赤くなって粘りつつ流れ、固体では、黄色い。
元素記号 S の基となる sulphur は、ラテン語 「燃える石」 を語源とする。
ドルトン の考えていた記号は、○に十字だった。
孤高のドルトンは、あらゆる物理・化学に貢献しつつ、自身の 先天色覚異常 を研究、
他者が赤と呼ぶ色は、自分には単なる影の、やや明るい部分にしか見えず、
オレンジ色、黄色、緑は、様々な明るさの黄色にしか見えない、と記した。


硫黄(いおう)は融解すると血赤色の液体となり、燃やすと青い炎を上げる Wikipedia 硫黄(いおう)

物質の三相 を、人間を最も震撼させるような形で、三原色で現す、この驚くべき元素は、
硫酸 の原料で、火山ガスで 硫化水素 となり、噴火する山という龍の、毒液にも比せられる。
エトナ山 で知られる シチリア島知床硫黄山 などで見られるという
黄色い硫黄(いおう)の結晶が ステゴサウルス の背のように、でこぼこと連なり、
暗く赤い粘り気のある血が、噴煙を上げ沸々(ふつふつ)と滾(たぎ)る岩肌を突如伝う
光景は、毒液を吐く黄色い腹の龍伝説を生むに足るものだったかもしれない。
木星の月の一つ、イオ にある 硫黄の火山 も、確かに、そのようなものを想起させる。


Galileo image of Tupan Patera taken in October 2001 Wikipedia Tupan patera

それは、龍の元祖ともいうべき太古の、蛇に近いもので、ウロボロス と呼ばれる。
ウロボロスには、一匹で己(おの)が尾を食(は)み、輪を形作るのと、
二匹が相食(あいは)みつつ、輪となっているものが、あるらしい。
後者の場合、互いに相手の尾を咬(か)んで繋(つな)がるはずだが、イオの二匹は、
黄色い方が、黒い方の頭を喰(く)らいつつ、尾で番(つが)うかに見える。

ミカエルの肩の金革の下から現れる腕も、喉元(のどもと)と同じく、透けるような
紗(うすぎぬ)に覆(おお)われ、小さな丸い、粒状の珊瑚(さんご)かルビーの朱赤の
珠(たま)が、腕の外縁に沿って点々と白い細糸に通され、留め付けられていき、
手首の上の辺(あた)りの、繊細な金のモールの間で宝石や真珠の縫い取られる
手前で、喉元(のどもと)と同様、ぐるりと数珠(じゅず)状に連なって終わる。
腰の辺(あた)りで V 字に下がる、直垂(ひたたれ)の裾(すそ)と同じ、
艶(つや)やかな深い青の部分には、ANGEL(天使)、POTENTIA(力)、
というような言葉が、金糸で縫い取られていく。
直垂(ひたたれ)の下からは、腿(もも)は覆(おお)われているが、
膝(ひざ)は出ていて、脛(すね)もそのままの素足が
赤い布靴を履(は)いて、龍を踏みしめる。

赤い靴には、真珠や金の細かな縫い取りや、青い紐(ひも)が見てとれ、
シンプルだが凝った、上靴のような造りとなっている。
それは、ウッチェロの、聖ゲオルギウスと龍の絵で、洞窟の前で
聖人の槍に刺し貫かれた龍の脇に佇(たたず)む、姫君の履(は)く、
龍の滴(したた)る血と同じ色をした、赤い靴に似る。
晩年のウッチェロが、その聖ゲオルギウスと龍を
描いたのは、壮年のピエロ・デラ・フランチェスカが、
このミカエルのいる 祭壇画 を仕上げたのと、ほぼ同じ頃だった。

左下で、踏みつけられた龍の胴から、尻尾が、ゆらりと立ち上がっているが、
頭は、もう切り取られていて、その細長い左耳を、
ミカエルは左の拳(こぶし)に握り込み、ぶら下げて、ぱっくり開いた龍の口の前で、
薄(うっす)らと血糊(ちのり)のついた白い剣を、緩(ゆる)く曲げた右腕に握る。
どんよりと生気なく開かれた龍の半眼が見ている、剣の、青と金の柄に、
細い白の握りの交差する、反った片刃は、古代ローマの グラディウス よりも、
更に古い、古代ギリシャの、内刃の コーピス や、イベリアの ファルカタ を想わせる。

この分断された龍もまた、マルトレルの聖ゲオルギウスの
龍退治の絵の、右下で、迫り来る槍に向かい、咢(あぎと)を開く、
腹の黄色く、背の黒い、顔も胴も長く、蛇のような、龍に似る。
ここでは、龍はもう死んでいて、切断された首は、眼(まなこ)を開いたまま、
血泡巻く喉(のど)の奥から、顎(あご)の先へ、舌先のようなものが垂れ出た、
更にその先の、宙に、時を超え、いまだ一滴の血が、舞い落ち続けている。



龍の首の後ろの、白大理石の露台の壁柱の、正面の長方形を縁取る、
左側の二本の線が陰になり、ちょうど龍の下顎(したあご)の先から、
下がっていくように見える、その二本のうちの右側の線の上を、伝い降りていく、
ピンク色の蛞蝓(なめくじ)のような、一片(ひとひら)の血が、見えるだろうか。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーのサイト で、最大限まで拡大すると、はっきりと見える。

つまり画家が、それを、剣の刃先の、微(かす)かな血飛沫(ちしぶき)や、
切り取られたばかりの首の、切り口の周りに仄(ほの)かに噴(ふ)き廻(めぐ)る
血煙や、踏みしめている龍の、背に鏤(ちりば)められた鱗(うろこ)と同じく、
筆と意志を以(もっ)て、そこに描いたのである。
右下の、金襴(きんらん)の布の掛けられた、切り石の、左下の縁の脇に、
不意に滲(にじ)み出した、小さな血溜(ちだま)りのようなものが、
首の切り取られた胴体の端が、その後ろにあると示すかのごとく。
いまだ柔らかく、滑(ぬめ)るような胴に生えていたはずの
翼も、おそらく、この切石の陰になり、見えない。

ピエロ・デラ・フランチェスカも、この黒死病の時代に、八十歳まで生き、
四十二歳から十五年をかけて、このミカエルの祭壇画を仕上げたとされる。
ここで死んでいる、黒い龍の親戚が、聖ゲオルギウスの槍を受ける直前、
まだ生きているかのような、祭壇画を、壮年のマルトレルがバルセロナで
描いたのは、マルトレルより七歳程年下のウッチェロが、やがて、先の
聖ゲオルギウスと龍を描き、更に年若く、当時、まだ十歳から十五歳だった
ピエロ・デラ・フランチェスカが、この、死んだ龍の胴を踏んまえ、切り落した
その首を持つ、ミカエルの祭壇画を描き終える頃に、四十年程先立つ。

鎧(よろい) と 槍 ―― 白い岩屋、 黒の龍  (二/四)

2015年01月22日 | 絵画について
ベルナート・マルトレル Bernat Martorell (1390-1452) 聖ゲオルギウスと龍 Saint George



Killing the Dragon 1430-1435 年 テンペラ・板 Tempera on Panel 155.6 × 98.1 cm  

黒装束の聖人が馬上から近々と体を傾け、足下に翼を広げた、
黒犬と蝙蝠(こうもり)、鰐(わに)が合体したような、在り得べからざる
龍の、かっと開いた喉元へ、貫き通さんと、槍を構える。
流れ、踊るような、その肢体と、無駄のない動きは、
卓越した踊り手、運動家、戦士のもの。
右脚は、見えない左脚と一つになり、半眼に捉えられた
龍の開いた喉の奥へ、疾走しつつ身を翻(ひるがえ)す、馬の
動きを左手で導き、棚引(たなび)き翻(ひるがえ)る白絹の蔭で、
微動だにしない、長く鋭い槍が、発止と掲げられる。

龍の生贄(いけにえ)となるべく居合わせた姫は、小さな両手を
胸の前に開き、祈るというよりは、あまりのことに為す術もなく、
慄(おのの)き悲嘆に暮れるよう。
蒼白き顔(かんばせ)を縁取る、金髪の周りには、
聖人の篤(あつ)く、耀き亘(わた)る光背に、
幽(かす)かに応えるかのように、繊細な冠が広がる。
その後ろには、遠く故郷の城の、白壁が聳(そび)え、
人々が鈴なりになって、固唾(かたず)を呑み、見つめている。
姫が、倒れまいと、立ち竦(すく)んで居るのは、
龍の棲(す)み処(か)らしき岩窟の割れ目の上、
傍らに純白の羊も項垂(うなだ)れている。
割れ目の周りからは、小さな蜥蜴(とかげ)のようなものが
三匹、這(は)い出して来ていて、様々な大きさをした
異なる段階の、龍の子のようにも見える。



城の周囲には、濠(ほり)が廻(めぐ)らされ、
何も知らな気な白鳥や鴨が、長閑(のどか)に浮かんでいる。
マルトレル は、スペイン・国際ゴシックの画家で、
カタロニア地方サン・セローニの町の肉屋の息子だったとされる。
イタリア・ルネサンスのウッチェロより、二十年程前に
亡くなっているが、1427年にバルセロナに来るまでの
修業時代については、ほとんど知られていない。
ここでは、等身大程の大画面に、黒頭巾に黒装束、
白地に十字の縫い取られた胸元の覆(おお)いから
棚引(たなび)く白絹という姿の聖人が、
純白の駿馬に跨(またが)って身を反らし、
槍を構える姿が、ほぼ対角線上一杯に描き出される。
龍は、右下の画面の最前部、観る者に最も近い処(ところ)で、
観る者に背を向けて、蹲(うずくま)り、観る者と同じように、
迫り来る騎士を見上げ、目を逸(そ)らすことはない。
やはり入口は、ぎざぎざの、龍の棲(す)む洞窟は、
水辺の向こうの、姫の足下にあり、姫と龍の間に
聖人が白馬を乗り入れる、構図となっている。

聖人は、全身を、黒い頭巾と黒い鎧に覆(おお)われ、
十字の縫い取られた、白い当て布を胸に付け、その端が、
高く揚げた槍を構える右腕の下で、華麗に靡(なび)き、
頭も首元も覆(おお)い尽くされているが、面頬から覗(のぞ)く
蒼白い顔は、ウッチェロの聖人よりは、やや大人の青年のように
見え、伏し目がちに、這(は)いつくばった龍を見据(す)えている。
左手で手綱を引き、全幅の信頼を以て龍の胸元へ飛び込む
愛馬を切り返し、右足首を伸ばし、右手で高く槍を構え、
威嚇するように翼を拡げ、かっと牙を剥(む)き出した
龍の咢(あぎと)へ、切っ先が滑るように繰り出される。



身のこなしの軽く柔らかな騎士の、対角線上に一直線に
流れるように伸ばされた肢体は、静謐な黒と幽(かす)かな金に
包まれ、白々と閃(ひらめ)く、絹と馬体の波打つ耀きの蔭から
光と闇の波動となって、龍の喉笛の奥へと到達する
軌跡は、最早(もはや)描かれ終わっている。
ここには、不確定性は無い。
これは既に起こったことであり、この不滅の瞬間を流れる
波動の肢体に支えられた槍から逃れる術(すべ)はなく、
龍は何が起こるかを知るよりも疾(と)く早く息絶えている。

しかし、ここでは、龍はいまだ槍に刺し貫かれてはおらず、
血は一滴も流れていない。
あくまでも白い、城壁や岩場、羊や白馬の間で、
聖人と龍の黒が対峙し、龍の拡げた翅(はね)の周りに、
かつて捧げられた羊や犠牲者の亡骸が、白骨化して
石礫(つぶて)の中に、散らばっているのみ。
白、白、白、そして黒と黒、金が、そこここに、
姫の幽(かす)かな薔薇色と、蜥蜴(とかげ)のままであろう、
小さきものの、朧(おぼろ)なグレー。

黒死病聖アントニウスの火の病が、突如、町に国に襲いかかり、
数多(あまた)の犠牲者が、富める者も貧しき者も、
幼き者も老いたる人も、正しき人も迷える者も、
奪う者も与える者も、苦しみの裡(うち)に亡くなっていった。
その最中(さなか)、色は失われ、闇の黒と骨の白が、音の絶えた
破壊と荒廃に埋(うず)められた視野を、瞼(まぶた)の下の風景を、覆(おお)う。
この未知なる聖人の黒尽くめの裡(うち)に翻(ひるがえ)る白の波から
繰り出される死が、いつしかどこかから生み出された病の
息の根を止める時、視野の縁から流れ出し、遠ざかる
色の裡(うち)に、懐かしい人の顔が仄(ほの)見えるのかも知れない。

鎧(よろい) と 槍 ―― 洞窟に、 赤い靴  (一/四)

2015年01月21日 | 絵画について

パオロ・ウッチェロ Paolo Uccello (1397-1475) 聖ゲオルギウス と 龍 Saint George



and the Dragon c.1470 年頃 油彩・カンヴァス Oil on Canvas 55.6 × 74.2 cm 

龍が棲(す)みついていたのは、トルコの カッパドキア という。
天然の白い塔のような、岩山が連なる異界の地。
洞窟を利用した地下街が造られ、迫害された初期キリスト教徒が隠れ住んだ。
そのどこかから、龍は山裾(やますそ)の人里へ飛来し、毒液を吐く。
数多(あまた)の勇者を失った王は、手立てに窮し、羊を供えることで、
無暗(むやみ)と暴れ回るのを控えさせようとした。
哀れ羊は竟(つい)に尽き、乙女を差し出すこととなり、籤(くじ)で王の娘が当たってしまう。
この時、同じ 黒海 沿いの グルジア を故郷とする、流離(さすらい)の 聖人 が通りかかる。
毒液を吐かんとする咢(あぎと)を槍で貫き、聖人は見事、龍を屠(ほふ)り、乙女と国を救う。

十二世紀後半-十三世紀初頭のグルジアに、タマル という女王が居た。
十代の頃より父王に重んじられ、共に国を治め、父亡き跡、玉座に就いた。
強く正しく、宗教と政治を峻別し、国を広げ、封建領主らの主張にも耳を傾け、
立法権を保持する代わりに、国政については彼らとの合議制をとった。
優れた女王には、古くは シバの女王 が、最果ての南の国(エチオピア)に在り、
チュニジアには、父亡き跡、兄に狙われテュロスから流れ着いた、
後のカルタゴの女王 ディードー も居た。
二人とも、尊崇する 勇者 とは縁が薄かった。
タマルの最初の夫は、勇士だったが、その他には才覚が無く、運も無いようだった。
二人目の夫は、由緒正しき一族の王で、子宝にも恵まれ、その子に
王冠を授け、臣下と政策について協議中、不意の病に斃(たお)れ、
女王でなく王と呼ばれたタマルは、壮年で亡くなった。
その署名の、何と音楽的なことか。



捨てられしディードー という、
Tartini - Violin Sonata in g-minor Op.1 No.10 "Didone abbandonataa"
Isaac stern (violin), Alexander Zakin (piano) 1952

由来も、年代も知られていない、 タルティーニ の曲が、想い起こされるかも知れない。
ヴァイオリンの名手タルティーニは、17世紀末、スロベニアとクロアチアの境から
海へ突き出たイストリア半島の北の海辺の町に生まれ、修道士になるべく音楽を学び、
フェンシングの名手となり、父亡き跡、強大な貴族の愛顧を受けていた女性と結婚し、
誘拐の濡れ衣を着せられかけ、修道会に入って難を逃れた。
あるいは、生涯独身で、子の無かった、ヘンデルの。
Handel - Violin Sonata Op.1 No.13
Henryk Szeryng (violin), Huguette Dreyfus (Harpsichord)


画面の右、巨躯の白馬に跨(またが)った聖人は、
全身鏡のような、金属の鎧(よろい)に身を包む。
一筋の髪も覗(のぞか)ぬ、白き顔(かんばせ)は少年のよう。
背後で、時空を超え、渦巻き披(ひら)く、雲を冠した
鬱蒼(うっそう)たる森が、聖人を引き揚げ、推し出し、力を注ぐ。
うっすらと白雲棚引(たなび)く、蒼白き天空には、地球照 の裡(うち)に消えなん
とする、朔(さく) も間近な 三日月 が高く、淡く馨(かお)るように懸(かか)る。
その幽(かす)かな弧は、渦巻く雲や、森の重なり合う木の葉、
聖人の兜(かぶと)や、白馬の頸(くび)や尾に、繰り返される。
画面の左やや中央寄りに、二足を踏ん張って仁王立ちになった龍は、
緑色に捩(よじ)れ、表裏に目玉模様の翼を閃(ひらめ)かす。
片方の鼻の穴から上顎(うわあご)、喉(のど)の奥まで槍に刺し貫かれ、
垂れた舌の奥に血飛沫(ちしぶき)が溢(あふ)れ、下顎(したあご)より血が滴(したた)る。
その声なき咆哮が大地を揺るがし、黒雲となって天空へと吸い込まれ、
洞窟は裂け、目眩(めくるめ)く雲々の背後で、日蝕が熾(おこ)るかのよう。

龍の棲(す)む洞窟の入口がぎざぎざなのは、天上からの円弧、渦との対比だろうか。
飼い犬が小屋の入口を噛(か)んで、縁を広げてしまうのにも似ている。
洞窟の奥には、ひたひたと水が湧き、泡と渦を巻いているようだ。
龍の左に、生贄(いけにえ)にされた姫君は佇(たたず)む。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーのサイト で、拡大して見られるのだが、姫の白い喉元と
項(うなじ)を挟み、泡巻く水の渦は、洞窟の暮明(くらがり)の奥から波紋を広げ、寄せて来る。
龍が洞窟の水底深くから現れた、余韻が今も木霊(こだま)しているかのように。
あるいは、そこにはまだ何かが、潜(ひそ)んでいるかのように。
姫は龍に繋(つな)がれ、憂(うれ)わし気(げ)な様子。
あるいは、飼い犬のように繋(つな)いだ龍が、悪さをして
懲らしめられ、困惑している飼い主のようにも見える。
この後、聖人が姫の帯で、まだ止めを刺していない龍を繋(つな)ぎ、
町へ曳(ひ)いていくという、逸話(いつわ)を先取りしているようでもある。

姫の、右手で浮かせた裳裾(もすそ)の先が、龍の右の肢の、甲の外側アーチと、
平面上で、触れ合うように描かれている。
その上下で、裳裾を束ねながら胸を抑えている、姫の丸められた右手と、
龍のほうへ幽(かす)かに差し出され、開かれた左手の、小さく儚(はかな)げな白い指が、
龍の肢の、角張りつつ丸まった、奇妙に野太く白い鉤爪と、対比されている。
姫の、赤く透き通るように、象(かたど)られた靴は、
龍の咢(あぎと)から、粘々(ねばねば)と滴(したた)る血と、同じ色である。



梢(こずえ)の葉叢(はむら)の楕円の連なりから、聖人の雫(しずく)形の兜(かぶと)、
蟀谷(こめかみ)や脇や肘の丸い防具、馬の頸元の締め帯の円板が、
肩や、そこここに走る反射の煌(きらめ)きで、
力と耀きを槍へ集束させ、雷(いかづち)のように龍を貫き透す。
巨大な白馬は、聖人を背に、弩(いしゆみ)のように頸(くび)を曲げ、
耳を伏せ、目を怒らせ、鼻筋に皴寄せ、鼻孔を歪め膨らませ、歯を剥(む)き、
両の前脚を引き揚げて棹(さお)立ちになり、盾(たて)のように、龍の前に立ちはだかる。
姫は、口を微(かす)かに開き、半ば伏せた眼で、痛ましげに龍を見ている。
カンヴァスに油彩で描かれた、このかなり小さな絵は、55.6 × 74.2 cm。
画家は、ペストが猛威を振るったこの時代に、七十代末まで生き、描いた。
最晩年の、七十三歳頃の作とされる。

明星 と 篝火  (3)  (承前)

2014年10月22日 | 絵画について
5 世紀 ギリシャ の ムーサイオス の 詩 に、 女神 アプロディーテー (ビーナス) を 祀 (まつ) る
セストス の 神殿 の 巫女と、 対岸の アビュドス (へレスポントス) から アドニス 復活祭 の ため
に やって来た 青年 が、 一目で 恋に おち、 海峡を 越え、 逢瀬を 重ねる という 物語 が ある
夜ごと ダーダネルス 海峡 を 泳ぎ渡って来る 恋人のために 巫女は 塔に 灯火を 掲げた という
やがて 季節は 移り、 嵐の 晩、 塔の 灯も 吹き消され、 天地も 沸き返る 高波に 力尽きた 恋人
の 遺体が 濱に 打ち上げられる と、 巫女は 塔から 海へ 身を 投げ、 後を 追った と される

Wikipedia に よると、 フランツ・リスト の 「バラード 第 2 番 ロ 短調」 (S. 171) は、 (少年 時代
リスト の 直 弟子の 一人である、 マルティン・クラウゼ の 教えを 受けた) クラウディオ・アラウ
に よれば、 この 神話を ベースとしている ことが、 リスト の 専門家 の 間では 知られている
レアンドロス が ヘレスポントス を 泳ぐ 様子を 表す、 うねる ような テーマ と、 ロマンティック な
ヘーロー の テーマ が 交互に 現れ、 曲が 進むに 従い、 嵐のように 激しさを 増していく
終結部では 同じ テーマ が がらりと 雰囲気を 変えて 表わされ、 レアンドロス への 追悼の
哀歌を 思わせる という (ジョーゼフ・ホロヴィッツ 「リスト」 『アラウ との 対話』 みすず 書房)

Claudio Arrau - F. Liszt Ballade no.2 S.171 B minor
チリ 出身 の ピアニスト 80 歳 の 記念 リサイタル の 演奏で、 翌日が 誕生日 だった そうだ
基と された 神話に 異論も ある ようだが、 演奏は アラウ には 太刀打ち できない ように 思える

海峡は その辺り でも 5 キロ は あった というが、 紀元前 30 年 頃 の ウェルギリウス
『農耕詩』 にも 言及された、 この逸話 の 真相 を 巡り、 19 世紀 英国の 詩人 バイロン が、
自ら 泳ぎ渡って みせた こと でも 知られる

ダーダネルス海峡 の 明かり   Çanakkale’de Boğazın Işıkları   Lights of Dardanelles

開催中の ホドラー 展 で、 初めて 出逢った 作品に、 「傷ついた 若者」 が ある
比較的 最初の ほうに あり、 階を 移動する 前に、 戻って もう 一度 観た
後に なって、 ヘーロー と レアンドロス の 物語 を 描いた 絵が 何か ないか と、 探していた 時
いずれも この 「傷ついた 若者」 を 想起させ、 ホドラー に 相 前後する 画家たち に よる、
海辺に 場面を 置いた、 二つの 作品に 出逢った
一つは、 題に レアンドロス の 名を 冠し、 ホドラー に より 近いが、 もっと 血の気の 失せた
白い肌の もの で、 「傷ついた 若者」 に 二年 先立つ、 ホドラー より 6 年後に 生まれ、 6 年後
に 亡くなる J. A. G. Acke という スウェーデン の 画家による、 1884 年 制作のもの だったが、
心に 残った のは、 6 歳 違い の 彼らに 対して、 更に 20 歳 以上 年長の 不詳の Ferdinand
Schauss という ベルリン 生まれ の ドイツ の 画家 の 作品
だった  ホドラー と 同じ名を 持つ
シャゥス は、 Weimar Saxon-Grand Ducal Art School という 1860 - 1910 年 まで
ワイマール に あった ザクセン 大公 美術 学院 で 1873 - 76 年 の 三年間、 教鞭を 執った
記録が 残る  同 美術学院 の 建物は、 今では バウハウス 大学 の 校舎と なっている そうだ
嵐の後 (の 静けさ) と 題された シャゥス の 作品では、 捻じ曲げられた 右足の 翳に 包まれた
描写が 痛々しく、 遠い水平線の 静謐な耀きが 遠ざかる嵐と 共に 去った 魂の 残光を 思わせる




フェルディナント・ホドラー Ferdinand Hodler (1853 - 1918) 傷ついた 若者 Wounded Youth
1886 油彩・カンヴァス Oil on Canvas 102.5 × 172.5 cm ベルン美術館 Kunstmuseum Bern




J.A.G アッケ Johan Axel Gustaf Acke (1859 - 1924) 渚に打ち寄せられた死せるレアンドロス
Leander's body washed ashore 1884 油彩・カンヴァス Oil on Canvas (108.0 × 168.0 cm?)




フェルディナント・シャゥス Ferdinand Schauss (1832 - 1916) 嵐の後 (の静けさ)
Peace after the Storm 油彩・カンヴァス Oil on Canvas 109.2 x 195.6 cm


更に、 偶々 (たまたま) 注文した CD が 届いた ので、 開梱し、 少なからず 驚いた ジャケット
聊 (いささ) か 摩訶 不思議な 共感覚性 とも いうべき ものも 感じられた ので、 記しておく
Bat for Lashes - The Haunted Man

小泉 八雲 が (静岡県) 焼津 に 取材した と される、 熱海 沖の 端島 (初島) の 娘の 話
では、 漁師の 娘が 網代 の 男と 恋仲に なり、 夜ごと 数里を 泳いで 逢いに 行っては 朝方
泳いで 戻って来た という   地図で 見ると 5 キロ 以上は あり、 水道 では なく
大洋上を、 夜ごと 泳ぎ渡っていく のは 娘の ほう である   男は 道標と なるよう 濱で
火を 焚いていたが、 ある夜、 その火を 忘れた か、 風に 消されて しまい、 娘は 方向を 見失い
昏 (くら) い 海に 命を 落とす   男が その後、 どうしたか は 伝えられて いない

再び Wikipedia によれば、 小泉 八雲 は 短編集 『霊の日本にて』 (In Ghostly Japan 1899 年)
の 一篇 「焼津にて」 (At Yaidzu) に、 宿の お内儀 から 聞いた 端島 の 娘 の 話を 書いている
漁師の 娘が 何里か 離れた 網代 の 男と 恋仲になり、 夜毎 泳いで 逢いに 行っては
朝方 泳いで 戻って来る という 話で、 やはり 男は 道しるべに 火を 燃やしていたが
ある夜 その火を 忘れたか 風が 消してしまった ために 娘は 溺れ死んでしまう   筆者は
「では 極東では ヘーロー の方が 泳いで レアンドロス に 逢いに 行くのか」 と 同情する

新潮文庫 の 上田 和夫 訳 小泉 八雲 集 の 最後に 載せられていて、 高校生 位で 読んだ
のだったろうか、 改めて 読むと、 上記 Wikipedia に 掲載されている 数行しか、 端島 の 娘 の
物語には 言及されておらず、 圧巻は、 冒頭の、 焼津の漁村の 描写、 中程の、 沖へ 遠ざかる
精霊舟を 追って、 盂蘭盆の 夜半の海を 抜き手を 切って 泳ぎ、 仄光りながら 漂い去る 精霊舟
を 詳細に 観察する 筆者の 姿であり、 翌日、 荒れて 咆哮する 昏い海の 轟きを 眺め 聴いて
「淵淵 呼びこたえる」 (旧約 聖書 詩篇 第 四十二 篇 七 節) との 想いに 到る 叙述 である

詩篇 第 四十二 篇 を 探し、 ルター の ドイツ語 訳 による メンデルスゾーン の 楽曲に 出逢った
Mendelssohn - Psalm 42-1 Wie der Hirsch schreit nach frischem Wasser
Mendelssohn - Psalm 42-7 Was betrübst du dich meine Seele & bist so unruhig in mir?
1 は 画面に、 7 は 下の 解説欄 に、 それぞれ ドイツ語 訳 が 掲載されている
1 鹿が 爽やかな 潺 (せせらぎ) に 鳴く ように、 神よ 私の 魂は あなたを 称え謳う
7 神よ 何故 私の魂を 嘆き悲しませられるのですか、 何故 心の奥で 煩悶させられるのですか ?

鹿の 鳴く声 と 水で、 想い出してしまう のは、 解釈の違いで 異なる光景が 呼び覚まされる
万葉集 巻七 一四一七 挽歌 大坂 羈旅歌  たいへん 繊細 稠密な 訳注 解説 にも 出逢えた

名兒乃海乎 朝榜来者 海中尓 鹿子曽鳴成 怜其水手

名児の海を 朝 漕ぎ来れば 海中に 鹿子ぞ 鳴くなる あはれ その水手 (漕手) 
なこのうみを あさ こぎくれば わたなかに かこぞ なくなる あはれ そのかこ

名児の海を 朝 漕ぎ来れば 鹿の 鳴く声が 海を 渡っていく
心して 聴くべし 海中に 眠る 水手の 霊魂の 澄み切った 声を



古くなった 白黒 写真  雨の 降りしきる 夜明けの 濱で 渚への 砂を 掃き清めている ような
姿が 見え隠れ する  脚を 曳き摺っている  髪は 灰色で 片側が 焼け焦げている
伊弉冉 (いざなみ) の 末子が 顔を 持っていたら  そんな 風貌 だった かも しれない
生まれる ことで 傷つけてしまった 母が  彼が 来た 焼け爛れた 途を 去ってゆく のを
去りつつも 去り難く 顧みる のを  いまだ 開かぬ 瞼に 焼き付け いまだ 出ぬ 聲で 呼ぶ
伊弉諾 (いざなぎ) が 叩きつけ  砕ける までの 僅かな 間    月の 明るい 晩に 渚で

波に 触れている と  波のようで 波ではない  水のように 指の間で 解けない ものが 海から
上がって 近づいて 来て  温かな 翳りを 帯びて 傍らに 立った  見えないのね と 海からの
聲は 言い  聴こえるよ と 渚の 翳は 言った  嗄れ 声で  海からの 聲は 笑った  波間に
巻き 転がる 泡の ように  貝から 聴いた  という  不思議な 遠い  昔の 想い出 話を
語ってくれた  聲は 掌に 置かれた  様々な 貝 から 解けて  海へと 帰っていく  色のない
白黒の  少しずつ 異なる  翳りを 持った 風の すじを  朧に 白く たなびかせ  耀き たゆたふ
月の いる 空に 結び 解け 弧を 描き ながら  波へと 長い 髪のように 浸され  打ち寄せる 砂に
遠く 円く 弓なりに 重なってゆく 痕を  残す   話が 聴きたく なったら 火を 焚いてね と

冷たくなった 手が 眠りに 落ちていく 額に 触れ ず に 微かな 上を 舞う  火には 全ての
色が あるのよ  近くへと やって来る 時の 色 は 青  遠くへ 去って 行ってしまう 色 は
赤  夜の 限りない 闇の 中へ 大きな 光の 球が 去っていく 時  最後に 境界を 越えた
向う側から あなたを 顧みる 光は 緑  光の 色は 全部 混じると 消える  あなたには
それ だけが 見えている  目に 見える 色は 吸い込まれて 無くなり 跳ね返され 去っていく
光を 見送る 影の 色   火は 光なの と 聲は 言う   光は 時間なの  風の ように
言葉の ように 早く 速く 舞っている のが 光で あなたは 知らず 知らず それを 発し
発されている  水の ように 血の ように ゆっくりと 遅く 流れている のが 火で  あなたは
知らず 知らず それを 灯し 灯されている  砂の ように 貝の ように 小さく 遠く 触れている
のが 時間で あなたは 知らず 知らず それを 生み出し 生み出されている  それらは
皆 同じもので 最初は 皆 あなたの すぐ 側に いて  いつしか 皆 あなたから 離れていき
去っていく けれど あなたは そこから 来た ので 最後には 皆 居なくなって しまった
と 思ったら 不意に 皆の 中に あなたは 居て あなたは そこへ 帰り着いている

夢には 色が ある  夢では ない 全て には 色が ない  それで 夢と 判る  聲は どちらでも
なく  色は ある のに 形が なく  貝 ばかり が 渚に 円く 並んで 聲に 耳を 傾けている
貝 たち は 彼の 夢の 中で いつも 話が 終わる 前に 眠り込んでしまう 彼を 笑っている
波も 辿り着く のに 何年も 何年も かかる という 遠い 遠い 国の 彼 や 彼女 の 母 の 母 の
母 の 母 が 生まれる ずっと 前の  どんな 波よりも 高く 目眩 (めくるめ) く 上の ほう まで ある
灯台 から 何人もの 大人の 両手に やっと 持てる 程の 奇蹟的に 見つけられ 大切に されて
いた 鏡を いずこ よりも 深く 果てし ない 水底へ 投げ捨てた という 男も そんな 貌 (かお) を
していた かも しれない  なぜ そんな ことを した のか という 彼の 問いに 海上よりも 水底で
辿り 着けぬ 者たちを 導く もう一つの 月の面 (おもて) が 必要だった から  と 聲は 言った

無明の 群れが  彼女が 嵐の 海を 渡って 来るのを 待って  彼の 焚火を 熾した  夕べ
その炎を 消したのは どちらの 月 だった の だろう  砕かれた 身は 深い 火傷を 負って 倒れて
いた   水平線に 真っ暗な 山脈を 拵えながら 渦巻く  嵐の 長い腕の 一本が 不意に 解かれ
濱へと 伸ばされて 土砂降りの 大粒の 雨を 叩き落した  無明の 群れが 嵐の 向かう 村外れへ
と 逃げ帰っていった 後  誰も 居なくなった 濱に 彼女が 遺した 貝殻の 群れが 彼の 身体を
下から 持ち上げ 転がし 曳き摺り 押し遣って  渚まで 運び 波間へと 沈めた
嵐の 遠い 轟きの 鳴り渡る 夜半 胸騒ぎに 苛まれ 家を 飛び出すと 焚火が 見えた  少年が
灼かれている  来ては いけない と 閃く 灼熱の 沈黙が 澄んだ 透明な 眼差しのように 耀き
燃え 響いていた  なぜ 見えたのか  遮二無二 飛び込んだ  遠い 轟きに 引き裂かれていく
水の 峪間  昇り下る その先に 燃える 炎の孔が  いつしか  叩きつける 大粒の 雨に
煤よりも 黒く 冷たく 粘り付く 水の向こうには 燻る煙が 闇に 融けて 燃え盛る 孔は 消えていた

少年の 鹿の ような 呼び声が 海の底の 鏡のような もう一つの 光る 水面から 響いて来る
そっち じゃ ない  そっちへ 行っては いけない  どうしても 来てくれる なら  昔 投げ捨てた
鏡 の ところ  そこから 行こう  遠い 昔の 国へ 一緒に 行こう  そこなら あなたの 聲が
見える  耀いて 幾つも 色を 吐き 重ね 引き揚げて 弧を 描く あなたの 眩い 聲が  私も
あなたの 目が 私の 聲を 映すのが 見える  私の 聲が あなたの 目から 耀くのが 見える
着いた   海の 底は とても 静かで 少年と 娘の 目は 鏡の ようで 鹿の ように 笑っていた
  


嵐の 晩に、 籠に 乗り、 岩棚へ 命綱を 下して 漁を する 夫を、 迎えに 来た 妻が、 風に
負けじと 呼ばわる と、 いつに なく 大漁 だから、 もう 少しだけ 獲って から 帰る、 先に
帰り 待て と 言う のが 聴こえる ので、 持ってきた 二本の 松明の 一つを、 近くの 枝に 挿して
帰り、 温かい 食事の 支度を して 待つ 間に、 その松明が 燃え落ちて、 命綱を 焼き切り
夫を亡くす 『北越 雪譜』 の 逸話も ある  その話は 前に 書いた

アプロディーテー (ビーナス) の 星、 金星 は 時期に よって 宵の 明星 とも 明けの 明星 とも
なるが、 父 ゼウス (ジュピター) の 星、 木星 と、 間近に 会合 する ことも ある
最も 近くに 寄れば、 一つの 大きな 星のように 見える ことも ある かも しれない
これから 冬に かけては 太陽の 東に 位置し、 晩方に マイナス 4 等級 代の 明るさ と なる
逆巻く 波間や 沸き立つ 雲の 切れ間の 低い 水平線上に 急に 覗くと、 灯火と 見紛う ばかりに
輝く こと だろう   自らの 神殿の 巫女と 逢瀬を 重ねる 青年に 業を 煮やした 女神が
行く手を 見誤らせた と 考えられなくもない   ゼウスも その様子を 眺めていた かも しれない

私たちの 星々の 棲まう 太陽系は 天の川 銀河 の 渦の 腕の 縁の 一つの 端に 位置している
が、 天の川 銀河 自体は 外側も 内側も 同じ 速度で 渦巻き 自らの 中心へ と 落ち込み ながら
全体として、 ラニアケア 超 銀河団 の はずれの 超 空洞 を 覗き込み つつ、
近傍の アンドロメダ 銀河 等 と 共に、 おとめ座 銀河団 へと 連なり、
シャプレー 超 銀河団 目がけて 落ちていっている らしい

Laniakea: Our home supercluster

どうも その先は もう一つの ペルセウス・うお座 超 銀河団 が 収束して来る 先へと 繋がっている
らしい  糸を 曳く ような その 二つの 巴の姿は いつまでも 惹かれ合い どこまでも 離れては
また 廻り還る  星々の 舞いのようでもある   微かに 握りしめられた  眠る 赤子の 手のように
触れ合うように 寄り添いつつ  その掌の 裡で  その夢の 中で  私たちは 廻る