ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞのこれる (徳大寺 実定 千載161)
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
雲のいづこに 月やどるらむ (清原 深養父 古今166)
ゆくすゑは 空もひとつの 武蔵野に
草の原より いづる月かげ (九条 良経 新古422)
五月闇(さつきやみ) くらはし山の 時鳥(ほととぎす)
おほつかなくも 鳴き渡るかな (藤原 実方 拾遺124)
五月山(さつきやま) 弓末(ゆすゑ)ふりたて ともす火に
鹿やはかなく 目をあはすらむ (崇徳院 新拾遺274)
十三夜 月に追はれし 走り藤
素足に響く 淺紫の音
木霊追ひ 碧潭過(よき)る かげ昏(くら)し
せせらき縺(もつ)る 弱法師月夜
玉よする 浦わの風に 空はれて
光をかはす 秋の夜の月 (崇徳院 千載282)
ゆく螢 雲のうへまで いぬべくは
秋風吹くと 雁に告げこせ (在原 業平 後撰252)
ながむれば かすめる空の うき雲と
ひとつになりぬ かへる雁がね (九条 良経 千載37)
望月夜 たつ雁がねと ささなみの
譜より放れて 陸離 盈(み)つ こゑ
つらなれば こずゑ葉むらも 羽搏きて
つぎつ飛びたつ ゆふまぐれ月
達人輕祿位 居住傍林泉
洗硯魚吞墨 烹茶鶴避煙
嫻惟歌聖代 老不恨流年
靜想閑來者 還應我最偏
達観した君は官位に目もくれず 世を離れ林に近い泉の傍らに住まう
硯を洗えば魚が來て墨を呑み 茶をたてれば鶴が湯気を避け飛び去る
閑雅な境地で太平の世を詩に詠い 老いても過ぎゆく歳月を恨まぬ
想えば君を訪ね來る者のなかで 一番の偏屈者はやはり私か
の一節に基づき
侍童がひとり
物想いに耽りながら 老師の 硯を洗っている
水辺へ降りる 石段
その右下 水面下
ちょうど 侍童の真下より
水面を 石段三段分くらい 隔たった辺り に
右向きに 漂い去る鯉の姿が描かれている
すでに いくたびも 墨が流れ來るのを知っていて
遠巻きにするようだ
むしろ墨が おのづから鯉の姿となり
しばし流れに たゆたい游んで
画面の外へ漂い出る辺りで かき消えるのか
いくたびも 鯉となって游ぶうち 生命を宿らせ
この流れに 棲まうようになり
やがて友や 連合いを求め
侍童の跫(あしおと)に 潭(ふち)より浮び上るも
かつて自らを 形づくった
力強く しなやかな墨が
この頃では 月光や花びらや
風や聲を 綴りかけては
水に呑まれ 消えてしまうのを
腑に落ちぬ様子で 見守り
泳ぎ去ってゆくのかもしれぬ
さわさわと 竹の葉を鳴らす風
雨粒が 流れを窪ませ
墨の渦の先を 逸らせてゆく
尾が一瞬 ゆらめき 見えなくなる
つかのまの 闇のうつつも まだ知らぬ
夢より夢に まよひぬるかな (式子内親王 続拾遺913)
それはなほ 夢のなごりも ながめけり
雨のゆふべも 雲のあしたも (九条 良経 月清集)
浮雲を 風にまかする 大空の
行方も知らぬ 果てぞ悲しき (式子内親王)
対岸の 白い港町を 見下ろす辺り
振り仰ぎ 立待つ 羊飼いには見えぬ
頭上 背後の 空の一角 には
翼を拡げ 手を取りあう ごとく 天翔ける
二体の姿のような 雲が漂う
帆船のなびく旗
打ち寄せる白波
渦巻く波濤 に交じり
はらはらと 羽が落ちてくる
光を浴びて きらめき そこに ない かのように
翳(かげ)に包まれ 朧(おぼろ)に耀(かがよ)い 砕け 煙り 消える ごとく
いま 水面に飛び込み
足をばたつかせる イカロスだけが 動いている
光速で 事象の地平面へ突入してゆく イカロスの
周囲では 光さえも歪み
画面に近い 上空から 突如 降り落ち
悠久の歩みへと逸れ 遠ざかる 畑を耕す農夫と 畝の影を
伸び縮みする手前で とどめおく
帆船は いましも 残る一つの帆を 解き拡げ
順風満帆 海を渡り 世界一周 いつしか
対岸の白い港町へと 未來永劫 帰還する
その姿も もう見えている 昇ることも 沈むことも なき
冷たく 眩(まばゆ)き 陽の光に 透過され
波止場には 帆をすべて降ろし 着岸した姿もある
過去 現在 未來が 集い 移り変わり ともに憩いつづける
朧(おぼろ)に 明滅する 輪舞のうちに
港町自体が 時間の海を漂う 仄白き蜃気楼なのか
蚕のように 蠢(うごめ)く 羊の群は 止まったまま
白化し 死にゆく珊瑚のごとく 手前の崖地を はつかに移動
出帆しつつ 帰帆する船や 昇らず 沈まぬ陽と ともに
海面下で たちまち 地球を ぐるり一周 もとへと戻る
黒い羊は 黒い羊のまま 遠ざかってゆき
同じ瞬間 もろともに もとへと戻る
白い羊の 残像のごとく 世代交代しつつ
白河夜船と 目覚めておらぬ 桿状体から
うとうとし 舟漕ぐ 桿状体へと
錐状体は 虎渓三笑 谿(たに)に木霊す
いまは 昔 昔も いまも
羊飼いの脇に 居待つ犬の 頭部は 白骨化して
いぬが
畑の脇の 森の暗がりで 仰向けに斃(たお)れ
臥(ふし)待つ 男 の
闇の漲(みなぎ)る 眸の穿(うが)たれた 顔は
耀きの失せた 肌の弛みを 硬直させる間もなく
イカロスが突入した拍子に 黄泉から地上へ
押し戻されてしまったか
波乱万丈 生き抜いた 生涯のすべての瞬間を
洩れ出ゆく 生命の息吹きの 渦に
巻き込まれつつ 観ていたところで
時が 無限に引き延ばされてしまったため
無限に 生き直すこととなってしまったのか
皆 なにを待っているのか 知らぬようだ
立待月(十七日月) 居待月(十八日月) 臥待月(十九日月)
イカロスが落ちてきた その時から
この海の轟き響く 辺りの陸(おか)に 日は沈まず 月は出ぬ
物皆 無関心なのではない
見えぬのだ
光の速度は 波動を放ち 空間を歪め
通過する光の周囲の 時間を 限りなく遅くする
光になったイカロスは 時空を貫き 事象の地平面へと吸い込まれ
そこは 折り畳まれてしまった
かのように もはや 感知できぬ次元となり 永遠の瞬間
イカロスだけが落ちつづけ それ以外のすべては止まっている
に等しい
昇らぬ月の 眸の中で
錐状体は 三者三様 意気投合し お喋りに夢中で どこかへ行ってしまう
桿状体は まだ 目覚めていないか もう 眠りかけている
秋はなほ 夕まぐれこそ ただならね
荻の上風(うはかぜ) はぎの下露 (藤原 義孝 義孝集)
萩を詠んだ 後半の句は 二十歳で 九月の夕べ 没した 藤原 義孝
十三歳の折 摂政だった父の邸で催された 連歌の会で
苦心する連衆の前に進み出 詠んだとされる
死後間もなく 周囲の人の夢に現れて 詠んだという歌も 数多伝わる
時雨(しぐれ)とは 千草の花ぞ ちりまがふ
何ふる里の 袖ぬらすらむ (藤原 義孝 後拾遺500)
この歌、義孝かくれ侍りてのち、十月ばかりに、賀縁法師の夢に
心ちよげにて笙をふくと見るほどに、口をただ鳴らすになむ侍りける
「母のかくばかり恋ふるを、心ちよげにていかに」といひ侍りければ
立つをひきとどめて、かくよめるとなむ、言ひ伝へたる
ただならぬ 萩の上風と はぎの下露は
同じ場所にあって 異なる時を内包しているのかも知れぬ
降り落つ 雪片と 舞い散る 花びらのように
異なる時にあって 同じ空間を占め
時空の記憶の中で 重なり合うのかも知れぬ
冬ながら 空より花の 散りくるは
雲のあなたは 春にやあるらむ (清原 深養父 古今330)
空やうみ 海や空とも えぞわかぬ
霞も波も たちみちにつつ (源 実朝)
薄霧の 麓にしづむ 山の端に
ひとりはなれて のぼる月かげ (九条 良経 月清集)
霧のなかで 墨が放たれ 輪を描く
問われて初めて 考え 答えることができる
未來のどこかで 恐れが放つ 死を
あなたが 掌に受け止め 放さぬならば
それを止められぬなら
それでも そこに居たい
わたしたちは 不死身でなく
理解を 天啓のように 届けることもできぬ
ただ すべてを見て そのときに すべきことを
しなければならぬことを 知るだけだ
あなたは 言の葉の道を渡し
未來を守り 過去を救った
受け入れ 伝え 助くため ひらかれた
道は 死を以てしても 壊されず 鎖されぬ
恐れず 拒まず 受け入れ
助け ともに力を尽くし
生きつづけ 世代を重ねれば
だれも なにも 苦痛と哀しみの中に取り残されぬ
世界へと 変容するかも知れぬ
わたしにとって この旅は 驚異でも神秘でも 使命ですらなく
あなたとの別れだった
この旅に來なければ あなたの最期に寄り添えなかった
その瞬間に あなたを救う なにかが できるのではないか とも 想っていた
だが できなかった
あなたの決意と命令に わたしは全力で その場から遠ざかった
あなたのあとを ひき継ぐため
それしか なかった と わかっていても わたしは悔しい
すべてを呪い 憎むほど
だが それでは あなたがしたことが 無になってしまう
憎んで あなたが生き返ろうか
憎しみの中に あなたの心は帰ってこない
知り得なかった あなたの心が いつの日か わたしのところへ伝わってきて
赦し 導いてくれることを 願い 祈り
あなたの聲に 耳を澄まし 待ちつづける
日に千たび 心は谷に 投げ果てて
あるにもあらず 過ぐる我が身は (式子内親王)
もののふの 矢並つくろふ 籠手のうへに
霰たばしる 那須の篠原 (源 実朝)
見しことも 見ぬ行く末も かりそめの
枕に浮ぶ まぼろしの中 (式子内親王)
そのために 來た 伝え 掌をひらき 手をのべ
ともに 未來を支えるため
そのために 行く いつなりと いくたびなりと
過去も 未來も いま ここを通じ 連なる
ゆらいでも 頽(くづお)れることなき
しなやかに 解けては 連なり めぐり逢う
一瞬と 永劫の 結び目
夢ならで 夢なることを なげきつつ
春のはかなき 物思ふかな (藤原 義孝 義孝集)
はじめなき 夢を夢とも 知らずして
この終りにや 覚めはてぬべき (式子内親王)
見し夢の 春のわかれの かなしきは
長きねぶりの 覚むと聞くまで (九条 良経 月清集)
そよぎ 連なり 離れゆく
霧に点(とも)る水滴
中で なにか振り返っている
焦点を解くと 羽も滴も消え かすかな淺紫の翳が残る
それを踏んで 飛行士たちが出てくる
時間の海を渡る飛行士は 飛沫で肌を濡らすことはない
飛沫は奥深く すべてを見透す目の潭(ふち)へ 無限に散り落ちてゆく
目の後ろから あふれ滴る水は
折り畳まれた 時空の端から なびく
遠い潮になる
長く傾けられた記憶を 登りつめる
渦巻く風と ゆらめいて灯る明り
雲の中 霧の中 眸の中 涙の中 海の中 氷の中
すべての水の中に 記憶の杜は 眠っている
映り 夢見 拡がっている 目覚めるときへ と
重力波の漣を過ると
カタコンベのように 冷たく 古びた匂いがする
眠くなり 重くなり 軽くなる 振り子のように
眸が 心臓が ぶら下がる
頭を廻らすと
微小な耀きでできた 鰭龍が 星々の雲間に沈んでゆく
広大無辺を貫ける間
針も文字盤もない 時計のように 雲の入り江に 掛かる月は
遠すぎる鏡を抱いて 息をつめ 輝いていた
尋ね求めるものは 尋ね求められるものに
近づき 重なる道は 自らの眸の中に
谿底で 水面に浸り 木霊が響む 古の言の葉
水鏡の縁が 月の光にひらき そよぐ
辺りが薄暗くなり なにか白いものが降ってくる
それは空間の あらゆる位置に浮いている
小さな羽 間近に照らし出される とまった計器や
白くなった関節の上にも のっている
ひとつひとつに 目を凝らすと
間に もっと昏く淡い 淺紫の翳の羽があって
すべて 連なっている
ふいに 眸だけになって 宙に躍り出
碧々と凍りつく
ひとすじの光に照らされ
たなびくものに 眸をのせ
波のように進む
記憶の杜の奥深く 言の葉を裏返している
鳥に出逢った 木霊だろうか
木洩れ月を透かし
なにも憶えていない眸で見返した
いつか 帰ってくる
いつか 記憶は 芽吹く
古の瞼が ひらかれると
碧く澄んだ湖が どこまでも広がっている
翠の葉が 海と湖の間を 満たしてゆく
望月夜 散り終えた記憶の羽が 虹になる
虹の弧の 内側の端 淺紫の翳の縁から
失われた想い出や 夢だったものが
帰ってくる音がする
童は いつ 帰ってしまったのだろう
雨がやんで 古びた木戸が軋み
竹の根方で 朽ちた硯が 月光を集めている
ただ有明の 月ぞのこれる (徳大寺 実定 千載161)
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
雲のいづこに 月やどるらむ (清原 深養父 古今166)
ゆくすゑは 空もひとつの 武蔵野に
草の原より いづる月かげ (九条 良経 新古422)
五月闇(さつきやみ) くらはし山の 時鳥(ほととぎす)
おほつかなくも 鳴き渡るかな (藤原 実方 拾遺124)
五月山(さつきやま) 弓末(ゆすゑ)ふりたて ともす火に
鹿やはかなく 目をあはすらむ (崇徳院 新拾遺274)
十三夜 月に追はれし 走り藤
素足に響く 淺紫の音
木霊追ひ 碧潭過(よき)る かげ昏(くら)し
せせらき縺(もつ)る 弱法師月夜
玉よする 浦わの風に 空はれて
光をかはす 秋の夜の月 (崇徳院 千載282)
ゆく螢 雲のうへまで いぬべくは
秋風吹くと 雁に告げこせ (在原 業平 後撰252)
ながむれば かすめる空の うき雲と
ひとつになりぬ かへる雁がね (九条 良経 千載37)
望月夜 たつ雁がねと ささなみの
譜より放れて 陸離 盈(み)つ こゑ
つらなれば こずゑ葉むらも 羽搏きて
つぎつ飛びたつ ゆふまぐれ月
宮城 道雄 - 水の変態より 雨 霰 (箏・唄:宮城 道雄)
下村 観山 月の出 絹本 水墨
北宋 魏野(960ー1019)の詩達人輕祿位 居住傍林泉
洗硯魚吞墨 烹茶鶴避煙
嫻惟歌聖代 老不恨流年
靜想閑來者 還應我最偏
達観した君は官位に目もくれず 世を離れ林に近い泉の傍らに住まう
硯を洗えば魚が來て墨を呑み 茶をたてれば鶴が湯気を避け飛び去る
閑雅な境地で太平の世を詩に詠い 老いても過ぎゆく歳月を恨まぬ
想えば君を訪ね來る者のなかで 一番の偏屈者はやはり私か
の一節に基づき
侍童がひとり
物想いに耽りながら 老師の 硯を洗っている
水辺へ降りる 石段
その右下 水面下
ちょうど 侍童の真下より
水面を 石段三段分くらい 隔たった辺り に
右向きに 漂い去る鯉の姿が描かれている
橋本 雅邦 洗硯魚呑墨図(部分)
鯉の姿は 気配のみですでに いくたびも 墨が流れ來るのを知っていて
遠巻きにするようだ
むしろ墨が おのづから鯉の姿となり
しばし流れに たゆたい游んで
画面の外へ漂い出る辺りで かき消えるのか
いくたびも 鯉となって游ぶうち 生命を宿らせ
この流れに 棲まうようになり
やがて友や 連合いを求め
侍童の跫(あしおと)に 潭(ふち)より浮び上るも
かつて自らを 形づくった
力強く しなやかな墨が
この頃では 月光や花びらや
風や聲を 綴りかけては
水に呑まれ 消えてしまうのを
腑に落ちぬ様子で 見守り
泳ぎ去ってゆくのかもしれぬ
さわさわと 竹の葉を鳴らす風
雨粒が 流れを窪ませ
墨の渦の先を 逸らせてゆく
尾が一瞬 ゆらめき 見えなくなる
橋本 雅邦 洗硯魚呑墨図 絹本着色 縦 三尺 横 九寸
つかのまの 闇のうつつも まだ知らぬ
夢より夢に まよひぬるかな (式子内親王 続拾遺913)
それはなほ 夢のなごりも ながめけり
雨のゆふべも 雲のあしたも (九条 良経 月清集)
浮雲を 風にまかする 大空の
行方も知らぬ 果てぞ悲しき (式子内親王)
対岸の 白い港町を 見下ろす辺り
振り仰ぎ 立待つ 羊飼いには見えぬ
頭上 背後の 空の一角 には
翼を拡げ 手を取りあう ごとく 天翔ける
二体の姿のような 雲が漂う
帆船のなびく旗
打ち寄せる白波
渦巻く波濤 に交じり
はらはらと 羽が落ちてくる
光を浴びて きらめき そこに ない かのように
翳(かげ)に包まれ 朧(おぼろ)に耀(かがよ)い 砕け 煙り 消える ごとく
いま 水面に飛び込み
足をばたつかせる イカロスだけが 動いている
光速で 事象の地平面へ突入してゆく イカロスの
周囲では 光さえも歪み
画面に近い 上空から 突如 降り落ち
悠久の歩みへと逸れ 遠ざかる 畑を耕す農夫と 畝の影を
伸び縮みする手前で とどめおく
帆船は いましも 残る一つの帆を 解き拡げ
順風満帆 海を渡り 世界一周 いつしか
対岸の白い港町へと 未來永劫 帰還する
その姿も もう見えている 昇ることも 沈むことも なき
冷たく 眩(まばゆ)き 陽の光に 透過され
波止場には 帆をすべて降ろし 着岸した姿もある
過去 現在 未來が 集い 移り変わり ともに憩いつづける
朧(おぼろ)に 明滅する 輪舞のうちに
港町自体が 時間の海を漂う 仄白き蜃気楼なのか
蚕のように 蠢(うごめ)く 羊の群は 止まったまま
白化し 死にゆく珊瑚のごとく 手前の崖地を はつかに移動
出帆しつつ 帰帆する船や 昇らず 沈まぬ陽と ともに
海面下で たちまち 地球を ぐるり一周 もとへと戻る
黒い羊は 黒い羊のまま 遠ざかってゆき
同じ瞬間 もろともに もとへと戻る
白い羊の 残像のごとく 世代交代しつつ
白河夜船と 目覚めておらぬ 桿状体から
うとうとし 舟漕ぐ 桿状体へと
錐状体は 虎渓三笑 谿(たに)に木霊す
いまは 昔 昔も いまも
羊飼いの脇に 居待つ犬の 頭部は 白骨化して
いぬが
畑の脇の 森の暗がりで 仰向けに斃(たお)れ
臥(ふし)待つ 男 の
闇の漲(みなぎ)る 眸の穿(うが)たれた 顔は
耀きの失せた 肌の弛みを 硬直させる間もなく
イカロスが突入した拍子に 黄泉から地上へ
押し戻されてしまったか
波乱万丈 生き抜いた 生涯のすべての瞬間を
洩れ出ゆく 生命の息吹きの 渦に
巻き込まれつつ 観ていたところで
時が 無限に引き延ばされてしまったため
無限に 生き直すこととなってしまったのか
Claude Debussy - La soirée dans Grenade(グラナダの夕べ)(pf:Claude Debussy)
ヒエロニムス・ボス 放浪者(Museum Boijmans Van Beuningen)
皆 なにを待っているのか 知らぬようだ
立待月(十七日月) 居待月(十八日月) 臥待月(十九日月)
イカロスが落ちてきた その時から
この海の轟き響く 辺りの陸(おか)に 日は沈まず 月は出ぬ
物皆 無関心なのではない
見えぬのだ
光の速度は 波動を放ち 空間を歪め
通過する光の周囲の 時間を 限りなく遅くする
光になったイカロスは 時空を貫き 事象の地平面へと吸い込まれ
そこは 折り畳まれてしまった
かのように もはや 感知できぬ次元となり 永遠の瞬間
イカロスだけが落ちつづけ それ以外のすべては止まっている
に等しい
昇らぬ月の 眸の中で
錐状体は 三者三様 意気投合し お喋りに夢中で どこかへ行ってしまう
桿状体は まだ 目覚めていないか もう 眠りかけている
秋はなほ 夕まぐれこそ ただならね
荻の上風(うはかぜ) はぎの下露 (藤原 義孝 義孝集)
萩を詠んだ 後半の句は 二十歳で 九月の夕べ 没した 藤原 義孝
十三歳の折 摂政だった父の邸で催された 連歌の会で
苦心する連衆の前に進み出 詠んだとされる
死後間もなく 周囲の人の夢に現れて 詠んだという歌も 数多伝わる
時雨(しぐれ)とは 千草の花ぞ ちりまがふ
何ふる里の 袖ぬらすらむ (藤原 義孝 後拾遺500)
この歌、義孝かくれ侍りてのち、十月ばかりに、賀縁法師の夢に
心ちよげにて笙をふくと見るほどに、口をただ鳴らすになむ侍りける
「母のかくばかり恋ふるを、心ちよげにていかに」といひ侍りければ
立つをひきとどめて、かくよめるとなむ、言ひ伝へたる
ただならぬ 萩の上風と はぎの下露は
同じ場所にあって 異なる時を内包しているのかも知れぬ
降り落つ 雪片と 舞い散る 花びらのように
異なる時にあって 同じ空間を占め
時空の記憶の中で 重なり合うのかも知れぬ
冬ながら 空より花の 散りくるは
雲のあなたは 春にやあるらむ (清原 深養父 古今330)
空やうみ 海や空とも えぞわかぬ
霞も波も たちみちにつつ (源 実朝)
薄霧の 麓にしづむ 山の端に
ひとりはなれて のぼる月かげ (九条 良経 月清集)
霧のなかで 墨が放たれ 輪を描く
問われて初めて 考え 答えることができる
未來のどこかで 恐れが放つ 死を
あなたが 掌に受け止め 放さぬならば
それを止められぬなら
それでも そこに居たい
わたしたちは 不死身でなく
理解を 天啓のように 届けることもできぬ
ただ すべてを見て そのときに すべきことを
しなければならぬことを 知るだけだ
あなたは 言の葉の道を渡し
未來を守り 過去を救った
受け入れ 伝え 助くため ひらかれた
道は 死を以てしても 壊されず 鎖されぬ
恐れず 拒まず 受け入れ
助け ともに力を尽くし
生きつづけ 世代を重ねれば
だれも なにも 苦痛と哀しみの中に取り残されぬ
世界へと 変容するかも知れぬ
わたしにとって この旅は 驚異でも神秘でも 使命ですらなく
あなたとの別れだった
この旅に來なければ あなたの最期に寄り添えなかった
その瞬間に あなたを救う なにかが できるのではないか とも 想っていた
だが できなかった
あなたの決意と命令に わたしは全力で その場から遠ざかった
あなたのあとを ひき継ぐため
それしか なかった と わかっていても わたしは悔しい
すべてを呪い 憎むほど
だが それでは あなたがしたことが 無になってしまう
憎んで あなたが生き返ろうか
憎しみの中に あなたの心は帰ってこない
知り得なかった あなたの心が いつの日か わたしのところへ伝わってきて
赦し 導いてくれることを 願い 祈り
あなたの聲に 耳を澄まし 待ちつづける
日に千たび 心は谷に 投げ果てて
あるにもあらず 過ぐる我が身は (式子内親王)
もののふの 矢並つくろふ 籠手のうへに
霰たばしる 那須の篠原 (源 実朝)
見しことも 見ぬ行く末も かりそめの
枕に浮ぶ まぼろしの中 (式子内親王)
そのために 來た 伝え 掌をひらき 手をのべ
ともに 未來を支えるため
そのために 行く いつなりと いくたびなりと
過去も 未來も いま ここを通じ 連なる
ゆらいでも 頽(くづお)れることなき
しなやかに 解けては 連なり めぐり逢う
一瞬と 永劫の 結び目
夢ならで 夢なることを なげきつつ
春のはかなき 物思ふかな (藤原 義孝 義孝集)
はじめなき 夢を夢とも 知らずして
この終りにや 覚めはてぬべき (式子内親王)
見し夢の 春のわかれの かなしきは
長きねぶりの 覚むと聞くまで (九条 良経 月清集)
Jan Zrzavý Kytice(Bouquet)
通路に 羽が散らばっているそよぎ 連なり 離れゆく
霧に点(とも)る水滴
中で なにか振り返っている
焦点を解くと 羽も滴も消え かすかな淺紫の翳が残る
それを踏んで 飛行士たちが出てくる
時間の海を渡る飛行士は 飛沫で肌を濡らすことはない
飛沫は奥深く すべてを見透す目の潭(ふち)へ 無限に散り落ちてゆく
目の後ろから あふれ滴る水は
折り畳まれた 時空の端から なびく
遠い潮になる
長く傾けられた記憶を 登りつめる
渦巻く風と ゆらめいて灯る明り
雲の中 霧の中 眸の中 涙の中 海の中 氷の中
すべての水の中に 記憶の杜は 眠っている
映り 夢見 拡がっている 目覚めるときへ と
重力波の漣を過ると
カタコンベのように 冷たく 古びた匂いがする
眠くなり 重くなり 軽くなる 振り子のように
眸が 心臓が ぶら下がる
頭を廻らすと
微小な耀きでできた 鰭龍が 星々の雲間に沈んでゆく
広大無辺を貫ける間
針も文字盤もない 時計のように 雲の入り江に 掛かる月は
遠すぎる鏡を抱いて 息をつめ 輝いていた
尋ね求めるものは 尋ね求められるものに
近づき 重なる道は 自らの眸の中に
谿底で 水面に浸り 木霊が響む 古の言の葉
水鏡の縁が 月の光にひらき そよぐ
辺りが薄暗くなり なにか白いものが降ってくる
それは空間の あらゆる位置に浮いている
小さな羽 間近に照らし出される とまった計器や
白くなった関節の上にも のっている
ひとつひとつに 目を凝らすと
間に もっと昏く淡い 淺紫の翳の羽があって
すべて 連なっている
ふいに 眸だけになって 宙に躍り出
碧々と凍りつく
ひとすじの光に照らされ
たなびくものに 眸をのせ
波のように進む
記憶の杜の奥深く 言の葉を裏返している
鳥に出逢った 木霊だろうか
木洩れ月を透かし
なにも憶えていない眸で見返した
いつか 帰ってくる
いつか 記憶は 芽吹く
古の瞼が ひらかれると
碧く澄んだ湖が どこまでも広がっている
翠の葉が 海と湖の間を 満たしてゆく
望月夜 散り終えた記憶の羽が 虹になる
虹の弧の 内側の端 淺紫の翳の縁から
失われた想い出や 夢だったものが
帰ってくる音がする
童は いつ 帰ってしまったのだろう
雨がやんで 古びた木戸が軋み
竹の根方で 朽ちた硯が 月光を集めている
Booker Little - The Legendary Quartet B3. Who Can I Turn to? 29:57