とざされた 目に 蠅が とまっている
骨から はなれ ひとひら の 雲と なって
ふき上がろう と する 皮を
冷たい 足で おさえている
くらく 傾いた 目の 水が
映す はずだった すべて は
小さな 跫(あしおと) に なって 少しずつ 風に 散ってゆく
夜 空を 裂いて あふれる 寒さ の 中で
骨が 皮を はい出て
砂の 上を よろめき 去ってゆく
闇に ちりばめられた 水の 匂ひ
高く かすかな 水音を ささやき ながら
空で まわっている もの を
持ち帰りたい
手を 伸ばし 指を 曲げた まま
踊る よう に 同じ 道を めぐる
遠く まで 行けず 倒れた ところへ
皮が 追ひついて かぶさる
昼は ふらふら と 皮が のがれ出て
後から ぎくしゃく と 骨が ついていく
皮は 焔(ほむら)の 帆
骨は 氷の 檣(ほばしら)
白く 曇った 瓶の 底で
さかさに 凍りついたまま 燃える
折り紙の 舟
いつか 追ひつけず 別別に なる
双方から 命が たなびき 流れ
ひとつに 戻ろうと 身を よじり
顧みた 刹那(せつな)
一陣の つむじ風に
巻き つづられ 飛ばされる
まばらな草が ひらめく
骨が 夜 砂山を よろめき下る
日の出とともに くづほれ
熱風に吹かれ かなたより
皮と髪が かぎろひ となり
追ひすがる
日没まで 骨の辺りを舞ひ
ふわりと 倒れふす
かつて ひとりの幼な子
あるか なきかの かげ
ものいはぬ 魂を包み 降り來る
深更と 暁(あかつき)
黄昏(たそかれ)と夜の間(あはひ)
ふたりに 別れし身
手をつなぎ
ひとり たたずむ
かわいた泥が 灰のように
こぼれ落ち
かすかに 舞い上がる
井戸の 底へ
腕が たれ下がってゆき
頭を つれてゆきそうになる
水が満ち來る 音がひびき
すずやかな風が まぶたをふき抜け
とざされた目の水に
はてしなく遠くの 井戸の底に
だれかいる のが映る
水に かこまれ
水だけに かこまれ
泡のように ふるえている
もう 風に なる
柔らかく 日がふり落ち
たなごころに 水が満ちる ところへ
泡を 運んでゆける かも知れぬ
ほとんど同時に
おもく 水にぬれた手が
天へ差しのばされ
あつく 砂にまみれた腕が
井戸の底へ のばされる
指先がふるえ しづくを生み
波紋をひろげ 時はたゆたひ
同期する
骨は 水の中に さかさに立ち
皮は 水の上で ふくれ
つながったまま うごけぬ
水に 沈もうとする 骨
空へ ふきとぼうとする 皮
いつから こんな おかしな
つながり方に なったのか
油が 水面に ひろがり
煙が 斜めに黒く 雲の下を流れ
空と海も よじれたまま
つながっている
こんな何もないところまで
蠅が來る
ゴーグルをつけた天使
目にとまって
代わりに見てくれる
あたたかな足で ひっぱるので
皮の方が先に 出てゆきそうだ
命は 小さな泡になって
目の天蓋裏に 集まっている
ばらばらになったら
ひっかかっていた足も抜け
すべてが流れ出すだろうか
澹(あはひ)を 抜ける 陸離(りくり)の 波に
運ばれ よぎる ポンペーイイー の上に
淡い光が ふりそそぐ
ポンペーイイー には i が ふたつ
凍りつき
かすかに ゆっくりと
ゆれうごく
光と かげの ふたへの らせんに
よじれた 陽陰(あは)の 泡が
きらめき まつわる
ちりの 雪の 灰の ように
水面に映る 寄り添ふ かげの街
ポンペーイイー の街に 雨が降る
はっと振り向いた 窓の外で
雨が 降っている
ねじ曲げた首が やはらぐ
パン種を こねていた手が
また うごきはじめる
また ふり向く瞬間まで
海は ずっと ゆれている
どこか遠くの海と つながって
ずっと ゆれている
雲が切れ 小さくまばゆい太陽が見える
蠅のとまっている まぶただけが あたたかい
眼の底に くらい しみが でき
その向うで だれかが のぞいていた
海よりも 広い太陽の中で
光だけに かこまれて ゆらめいている
ひとから あたたかな 風がふいてくる
泡になって 昇ってゆけば
すべての水が 消え去っても
足跡でとじた 目の水は残って
そのひとに とどく かも知れぬ
たれこめた 雲の上には
ふとった 蠅のように
きらめく 飛行機が とんでいる
瓶をのせた 手押し車が
かたかた ゆれながら
あつい絨毯の 上を進む
きき取りづらい 言葉に
身が 乗り出され
水滴のついた 一杯の水が
紙ナプキンを添えて 渡される
光が 一面に満ちて 息のように 白い
水滴の塊りが 漂い流れてゆく
はりつめた鉄の中に とじこもり
空の中庭を そぞろ歩く人人
傷つき ふるえる鉄の翼が
薄い大気を 突き破り
渦巻き脈打つ 潮の中を
もがき進んでゆく
夜が たれこめて來る
ボーボリ の グロッタ
ひろやかな庭園の 入口の脇
壁の中から 手が あらはれ
やがて それ以上 差しのべるのを やめ
指先から つぼみを出し
したたり落ちる しづくのように
みひらかれたままの 視線をぶら下げる
音もなく 石の花が ひらく
縁の赤い目が とざされた岩のかげから
視線を 送る
ふいに 明りが消える
月は どこへ行ったのか
もう 逃れるすべは ない
あまたの 悲鳴が こゑもなく
大地の下で とどろき わたる
ブオンタレンティ は 幼い頃
アルノ河 のほとりの館で
雨の降りしきる空に
灰色の雲雲が 渦巻き流れるのを
壁龕のように くぼんだ
窓辺に 膝をかかえて 坐り
見上げていた かも知れぬ
一瞬ののち 館を 濁流が おし流した
瓦礫の洞穴から 救い出されたのは
ベルナルド ひとり だった
よみのくに にも 女神ありて
乙女の昔 百のうてなの
花をつみ さらわれし
百のうてなの花 彼岸花
火炎木 の下 絶滅せる頭蓋より 萌え出づ
長江 の流れにそって 視線を のばし
やがて 眼窩を満たす
黒く つややかな実を すて
後ろ姿の 東大寺 戒壇院 四天王 広目天 が
渦巻き あらはれ出でようとする 龍 を
見すゑ 封じ込めている 洞窟
九龍図巻 陳容(南宋) 1244 年 紙本墨画 46.3×1096.4cm ボストン 美術館 蔵
Nine dragons Chen Rong Chinese Southern Song dynasty dated 1244
Museum of Fine Arts Bostonよみの王 肩越に まく らせん
こぼれても こぼれても なほ 光芒 連ね
彼岸花 赤き 風車のごと かかげ
はしり過ぐ子の背 青く透き
辺り一面 彼岸花
時折 白き 鐘馗 の子
畦道 河原 線路 端
並んでは 途切れ
明るいうちに かがり火をたき
夏の名残と ともに
さまよふものを いざなふ
遠雷に 早瀬も 夏の さりゆきて
まぼろし ともる橋 いちしろく
かがり火の花 消えて
たたずむ うてな
流れを すかしかげの かがよふ
暁を告げる鳥も さめやらぬ
まったき静寂の 青の瞬間(とき)
一面に 残りし雪も
白山 の 頂き 下 の 青石 よりは 消え
菊理媛神(くくりひめのかみ) の 言の葉 消えて
百のうてな より 花散りぬ
緑濃き 水面に やすらふ
オフヱリア 媛か
朽木の 水に さらされし
うてな と なりて
首に 小さき 玉葛 まき
白藤 の 伝ひ降りたる 崖下の
流れ 消えゆく 髪のながきに
かがやける 波また波を
かけくだり
しづめたまひし 媛(ひめ)
髪の かがよふ
道の向うで
一枚の羽をつけた実が
こもれびの中を
まわりながら 落ちてきた
ため息のような音が
記憶の 霧の中を かけ抜ける
木の実だけが くっきりと
金色と 黄土色を帯び
はるかな 昔が
未來へと 返る
光と土の 間(あはひ)に 人は息づき
混り合い 刻刻と移りかわる
水と光の 澹(あはひ)の ほとり
くるくるとまわりながら
光のすじをつけ
驚きにひらく 闇の口を
かすめて 落ちていった
ふんわりと
やはらかな土の 日だまりの上へ
実は 着地した
ボーボリ庭園 Boboli Gardens
いまも 森の中で
身をかがめ
木の間を のぞき込んでいる
夢の中 森へ続く
壁の前に 立つと
まばゆい光の中で
流れてゆく 目や耳
みひらかれたままの 目が
光と闇の中で 憩うところ
鳥や魚や 木の実
食事の支度をし 庭を歩む人人が
色鮮やかに あらはれる
きらめく光と
あふれる水を 越えて
命を運ぶため 永遠はいつも
ポンペーイイー のように 廃墟を通る
森へ 帰るためには
壁を 抜けなければ
記憶だけの姿で 空の中庭へ
液晶の画面上で 砂漠を越えた機影が
熱帯の島々へ 重なってゆく
波紋を 薄く ひろげ
月の光が 机の上で波立つ
なにか ばらばらと出ていく
音符か 数式か 言葉のようなもの
透明な中 かすかに赤い
ざくろ の粒と
かすかに 白く かげった
柔らかな くぼみ
霧にかげった 鏡の奥から
夜半から深更までの どこかで
できる 踊り場に
夢の庭園への 入口はある
扉に 埋もれかけた姿で
呼びかけよう と
言葉を探し ためらう
息のような 気配
かさこそ と 脚を踏みかえ
垂れた 髪を払い
しづくの落ちる 音
時の巻きひげから
長い ひとしづくが
したたりそうに なって
また凍りつく 間(あはひ)にも
央も端も 同じ速さで
まわっている 銀河
明け方近くにも なにか きこえる
小さな 余分な段に
うづくまっている 幼い姿で
探さずに 想い出して
訊かずに 聴いて
時の澹(あはひ)から のびた
巻きひげの か細い先が
夢の くづれかけた きざはしへ
捲きつこう と している
沈む 新月が 翼になり
無限に とびつづける
蠅の飛行機に なる
足下に 口を開いた
身ひとつ分の クレバスから
はるかな氷河の 底へおち
歳月をへて 地表へと運ばれし 乙女 御
避難を呼びかけつづけ 津波にさらわれし 乙女 御
エウリュディケー ペルセフォネー
ヘーロー セイレーン
伊弉冉(いざなみ)
弟橘媛(おとたちばなひめ)
こぼれ 目もくらむ 光
破壊する 見ざる者 ハーデース
すべての 音を包み消し
かくし 巻き上げられてゆく
次元へ 封じ込め
しじまの中で
そばだてさせる
季節が めぐり
こゑが遠ざかる と
時折 忘れられぬ耳が
時の氷河を 流れ下ってゆく
超流動の火が波立ち 燃える氷河
天の川銀河
闇の片すみから くらい目がみつめる
オルフヱウス ハーデース
レアンドロス オデュッセウス
伊弉諾(いざなぎ)
倭建命(やまと たける の みこと)
消えた月に呼びかける こゑ
海の底の 鏡のように
こゑが かがやく夢幻に
おちてゆく水
音が高く 深過ぎて なにもきこえぬ
瀧壺の 奥では
こゑのように 夢のように
月の光が ひそかに
ひびきわたる 神殿がある
あけては ならぬ箱
といては ならぬ謎
見ぬように きき
聴かぬように みる
近づいては ならぬ
ふり返っては ならぬ
たすけに來ようとしては ならぬ
呼びかけながら あなたは來てくれる
あなただけが
津波を おしとどめ
地吹雪と氷河と超流動を 退け
崩壊し ゆがむ
時のはざまから
おだやかな光で 生へと導く こゑ
そのこゑが ひとり
かすかな かがやきで きりひらいた
淡く細く はてしなく
照らし続ける みち
あなたが 最期に呼びかけた
生きよ しづまりたまへ
人人を 生かすため
という こゑは
オルフヱウス を 沈黙させる
闇は ふり返る
こゑは はるかに
遠く かすかで おそく
もう そこに居た
いつも すぐ うしろに
そのこゑは すべての風の中に
映り移ろう 光の上に
波の下に 氷の奥に
水と大気の 響きのうちに
しじまと闇を 貫き
ひびき よみがへる 母なる渦潮
時を返す 長潮
月夜 見知らぬ花のかおりが
満ちる 地の底から
探す ハーデース の
かげに おおわれた
ひとみが ひらく
土が ぼろぼろ と こぼれ落ち
消えゆく こゑを求め ふり返る
オルフヱウス の こゑは
もう 自由だ あなたが
飛翔する まわりで
芳しき いぶきが泡立ち
笑み ほころびつつ
しっかりと 支えてくれる
いつまでも どこまでも
ほの白き 半月にじみ
わだかまる
おぐらき段に
銀梅花(ミルテ) の かおり
菊理媛神(くくりひめのかみ) の
取りなしの言葉は
地の底の 水音の
こだまに 吸い込まれ
さざなみと 波紋をひろげつつ
いつしか消えて 月のみ映る
朝もやに かげ 巻き うごめき
息 ただよひ 消ゆる
低く とぶ かげ
わたる 荒海
こゑ なく 水面ゆれ
音もなく 月のしづくの こぼれ落ち
伝い降りつつ 咲きつ 凍りつ
深更の しづもり返る 銀盃花
月を汲み 水面の遅遅に千切れけり
茫然と 群れ立つ 阿修羅(あしゅら) 彼岸花
こゑなき 笑みは
散りしく かげのかたへにて
あかつきに消え なみだの結ぶ
闇一輪 自ら手向く 山法師 (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
眼差し ほのか 風花車
転輪 祖天に舞い昇り (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
希釈の魂魄 又 集めん (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
見上げよ 虚空羂索の (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
散華(さんげ)の かおりも なつかしき (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
花天より 散り落ち そよぐ羽衣の (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
端切れを 掃きて なほ 立つ 残り香 (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
母なる指か わが髪をなでたまふ
合歓(ねむ) まぶた まき昇り來し
唇の 汝(な)が名 ささやく
長潮 ほのか
波の上を ゆったりと とぶ
跫(あしおと)が とよもす
胸にひらめく 搏(はく)に重なり
遠く 高く 想いを凝らし
ひとみをひらかず
空の らせんの きざはしを降り來たる
時の 風に 髪 なびき
かがやく 明明と
深深と
木立の中より 水をうくる 手ありて
岩から水が 流れおちている
すきとおり きらめいて
たえまなく たなごころに満ちる
近づいてゆく と 手が ひらめいて
だれか が 立っている
顔を上げる と その ひとも
顔を上げる ところだった
井戸の向うに 居た ひとだった
ここは 空の中庭
はてしなき壁を 抜けたものが來るところ
四方には 若木がしげり
風と季節が 生れている
央には ひときわ高き
古木が そびえ
日と月と星星が なっている
一面に 草が やはらかく
ひっそりとして 時折 ざはめく
赤や 白や 黄や 青や 紫や 橙の
花花が 群れ咲き
ふりかえると そこには なく
もっと遠くで 咲いている
歩みはじめると 腕が風をはらんで
木の間を とび立つ
枝に降りれば ふさふさと尾がゆれ
やがて 固い実になって ぶら下がる
葉の間におちて 水となり 流れる
立ち上がると
足の裏で 草が また やはらかい
すべての記憶が
あなたの中を流れてゆく
くらく まばゆく はてしなく
熱く 冷たい みちを 通ってくる間に
ばらばらに 眠っていた 記憶が
きらめき 始める
たなごころに 満ち
また 流れゆく 水のように
骨から はなれ ひとひら の 雲と なって
ふき上がろう と する 皮を
冷たい 足で おさえている
くらく 傾いた 目の 水が
映す はずだった すべて は
小さな 跫(あしおと) に なって 少しずつ 風に 散ってゆく
夜 空を 裂いて あふれる 寒さ の 中で
骨が 皮を はい出て
砂の 上を よろめき 去ってゆく
闇に ちりばめられた 水の 匂ひ
高く かすかな 水音を ささやき ながら
空で まわっている もの を
持ち帰りたい
手を 伸ばし 指を 曲げた まま
踊る よう に 同じ 道を めぐる
遠く まで 行けず 倒れた ところへ
皮が 追ひついて かぶさる
昼は ふらふら と 皮が のがれ出て
後から ぎくしゃく と 骨が ついていく
皮は 焔(ほむら)の 帆
骨は 氷の 檣(ほばしら)
白く 曇った 瓶の 底で
さかさに 凍りついたまま 燃える
折り紙の 舟
いつか 追ひつけず 別別に なる
双方から 命が たなびき 流れ
ひとつに 戻ろうと 身を よじり
顧みた 刹那(せつな)
一陣の つむじ風に
巻き つづられ 飛ばされる
まばらな草が ひらめく
骨が 夜 砂山を よろめき下る
日の出とともに くづほれ
熱風に吹かれ かなたより
皮と髪が かぎろひ となり
追ひすがる
日没まで 骨の辺りを舞ひ
ふわりと 倒れふす
かつて ひとりの幼な子
あるか なきかの かげ
ものいはぬ 魂を包み 降り來る
深更と 暁(あかつき)
黄昏(たそかれ)と夜の間(あはひ)
ふたりに 別れし身
手をつなぎ
ひとり たたずむ
かわいた泥が 灰のように
こぼれ落ち
かすかに 舞い上がる
井戸の 底へ
腕が たれ下がってゆき
頭を つれてゆきそうになる
軍神 マールス 像 の
ある 庭園 の フレスコ 壁画 Garden's fresco with a Statue of Mars 貝に のり 天がける
美と 愛の 女神 ウェヌス の 家 House of Floating Venus in the Shell
ポンペーイイー Pompeii
ふいに 井戸の底に美と 愛の 女神 ウェヌス の 家 House of Floating Venus in the Shell
ポンペーイイー Pompeii
水が満ち來る 音がひびき
すずやかな風が まぶたをふき抜け
とざされた目の水に
はてしなく遠くの 井戸の底に
だれかいる のが映る
水に かこまれ
水だけに かこまれ
泡のように ふるえている
もう 風に なる
柔らかく 日がふり落ち
たなごころに 水が満ちる ところへ
泡を 運んでゆける かも知れぬ
ほとんど同時に
おもく 水にぬれた手が
天へ差しのばされ
あつく 砂にまみれた腕が
井戸の底へ のばされる
指先がふるえ しづくを生み
波紋をひろげ 時はたゆたひ
同期する
パーオロ・ウッチェロ Paolo Uccello (1397 - 1475) フレスコ Fresco 1436-1440
サンタ・マリア・ノヴェッラ 教会 Chiostro Verde di Santa Maria Novella a Firenze
大洪水と終息 Stories of Noa Arvo Pärt - De Profundis
くらい水に 骨が映るサンタ・マリア・ノヴェッラ 教会 Chiostro Verde di Santa Maria Novella a Firenze
大洪水と終息 Stories of Noa Arvo Pärt - De Profundis
骨は 水の中に さかさに立ち
皮は 水の上で ふくれ
つながったまま うごけぬ
水に 沈もうとする 骨
空へ ふきとぼうとする 皮
いつから こんな おかしな
つながり方に なったのか
油が 水面に ひろがり
煙が 斜めに黒く 雲の下を流れ
空と海も よじれたまま
つながっている
こんな何もないところまで
蠅が來る
ゴーグルをつけた天使
目にとまって
代わりに見てくれる
あたたかな足で ひっぱるので
皮の方が先に 出てゆきそうだ
命は 小さな泡になって
目の天蓋裏に 集まっている
ばらばらになったら
ひっかかっていた足も抜け
すべてが流れ出すだろうか
Narkissos フレスコ fresco House of M.Lucretius Fronto の 家
ポンペーイイー Pompeii
時の 間(あはひ)に かがやくポンペーイイー Pompeii
澹(あはひ)を 抜ける 陸離(りくり)の 波に
運ばれ よぎる ポンペーイイー の上に
淡い光が ふりそそぐ
ポンペーイイー には i が ふたつ
凍りつき
かすかに ゆっくりと
ゆれうごく
光と かげの ふたへの らせんに
よじれた 陽陰(あは)の 泡が
きらめき まつわる
ちりの 雪の 灰の ように
水面に映る 寄り添ふ かげの街
ポンペーイイー の街に 雨が降る
はっと振り向いた 窓の外で
雨が 降っている
ねじ曲げた首が やはらぐ
パン種を こねていた手が
また うごきはじめる
また ふり向く瞬間まで
海は ずっと ゆれている
どこか遠くの海と つながって
ずっと ゆれている
雲が切れ 小さくまばゆい太陽が見える
蠅のとまっている まぶただけが あたたかい
眼の底に くらい しみが でき
その向うで だれかが のぞいていた
海よりも 広い太陽の中で
光だけに かこまれて ゆらめいている
ひとから あたたかな 風がふいてくる
泡になって 昇ってゆけば
すべての水が 消え去っても
足跡でとじた 目の水は残って
そのひとに とどく かも知れぬ
たれこめた 雲の上には
ふとった 蠅のように
きらめく 飛行機が とんでいる
瓶をのせた 手押し車が
かたかた ゆれながら
あつい絨毯の 上を進む
きき取りづらい 言葉に
身が 乗り出され
水滴のついた 一杯の水が
紙ナプキンを添えて 渡される
フレスコ fresco House of Octavius Quario の 家
ポンペーイイー Pompeii
翼の下には 雲海が広がっているポンペーイイー Pompeii
光が 一面に満ちて 息のように 白い
水滴の塊りが 漂い流れてゆく
はりつめた鉄の中に とじこもり
空の中庭を そぞろ歩く人人
傷つき ふるえる鉄の翼が
薄い大気を 突き破り
渦巻き脈打つ 潮の中を
もがき進んでゆく
夜が たれこめて來る
ボーボリ の グロッタ
ひろやかな庭園の 入口の脇
壁の中から 手が あらはれ
やがて それ以上 差しのべるのを やめ
指先から つぼみを出し
したたり落ちる しづくのように
みひらかれたままの 視線をぶら下げる
音もなく 石の花が ひらく
縁の赤い目が とざされた岩のかげから
視線を 送る
ふいに 明りが消える
月は どこへ行ったのか
もう 逃れるすべは ない
あまたの 悲鳴が こゑもなく
大地の下で とどろき わたる
ブオンタレンティ は 幼い頃
アルノ河 のほとりの館で
雨の降りしきる空に
灰色の雲雲が 渦巻き流れるのを
壁龕のように くぼんだ
窓辺に 膝をかかえて 坐り
見上げていた かも知れぬ
一瞬ののち 館を 濁流が おし流した
瓦礫の洞穴から 救い出されたのは
ベルナルド ひとり だった
よみのくに にも 女神ありて
乙女の昔 百のうてなの
花をつみ さらわれし
百のうてなの花 彼岸花
火炎木 の下 絶滅せる頭蓋より 萌え出づ
長江 の流れにそって 視線を のばし
やがて 眼窩を満たす
黒く つややかな実を すて
後ろ姿の 東大寺 戒壇院 四天王 広目天 が
渦巻き あらはれ出でようとする 龍 を
見すゑ 封じ込めている 洞窟
九龍図巻 陳容(南宋) 1244 年 紙本墨画 46.3×1096.4cm ボストン 美術館 蔵
Nine dragons Chen Rong Chinese Southern Song dynasty dated 1244
Museum of Fine Arts Bostonよみの王 肩越に まく らせん
こぼれても こぼれても なほ 光芒 連ね
彼岸花 赤き 風車のごと かかげ
はしり過ぐ子の背 青く透き
辺り一面 彼岸花
時折 白き 鐘馗 の子
畦道 河原 線路 端
並んでは 途切れ
明るいうちに かがり火をたき
夏の名残と ともに
さまよふものを いざなふ
遠雷に 早瀬も 夏の さりゆきて
まぼろし ともる橋 いちしろく
かがり火の花 消えて
たたずむ うてな
流れを すかしかげの かがよふ
レンブラント・ファン・レイン Rembrandt van Rijn (1606 - 1669)
ペルセフォネ― の 略奪 The Abduction of Proserpina 1631 年 油彩・板 oil on panel
ベルリン 国立 絵画館 蔵 Gemäldegalerie Berlin
夜のしじまに すだく虫も 寝しづまりペルセフォネ― の 略奪 The Abduction of Proserpina 1631 年 油彩・板 oil on panel
ベルリン 国立 絵画館 蔵 Gemäldegalerie Berlin
暁を告げる鳥も さめやらぬ
まったき静寂の 青の瞬間(とき)
一面に 残りし雪も
白山 の 頂き 下 の 青石 よりは 消え
菊理媛神(くくりひめのかみ) の 言の葉 消えて
百のうてな より 花散りぬ
緑濃き 水面に やすらふ
オフヱリア 媛か
朽木の 水に さらされし
うてな と なりて
首に 小さき 玉葛 まき
白藤 の 伝ひ降りたる 崖下の
流れ 消えゆく 髪のながきに
かがやける 波また波を
かけくだり
しづめたまひし 媛(ひめ)
髪の かがよふ
鏑木 清方 Kaburaki Kiyokata (1878 - 1972) 金色夜叉
急いで 通り過ぎようとした道の向うで
一枚の羽をつけた実が
こもれびの中を
まわりながら 落ちてきた
ため息のような音が
記憶の 霧の中を かけ抜ける
木の実だけが くっきりと
金色と 黄土色を帯び
はるかな 昔が
未來へと 返る
光と土の 間(あはひ)に 人は息づき
混り合い 刻刻と移りかわる
水と光の 澹(あはひ)の ほとり
くるくるとまわりながら
光のすじをつけ
驚きにひらく 闇の口を
かすめて 落ちていった
ふんわりと
やはらかな土の 日だまりの上へ
実は 着地した
ボーボリ庭園 Boboli Gardens
いまも 森の中で
身をかがめ
木の間を のぞき込んでいる
夢の中 森へ続く
壁の前に 立つと
まばゆい光の中で
流れてゆく 目や耳
みひらかれたままの 目が
光と闇の中で 憩うところ
鳥や魚や 木の実
食事の支度をし 庭を歩む人人が
色鮮やかに あらはれる
きらめく光と
あふれる水を 越えて
命を運ぶため 永遠はいつも
ポンペーイイー のように 廃墟を通る
森へ 帰るためには
壁を 抜けなければ
記憶だけの姿で 空の中庭へ
液晶の画面上で 砂漠を越えた機影が
熱帯の島々へ 重なってゆく
波紋を 薄く ひろげ
月の光が 机の上で波立つ
なにか ばらばらと出ていく
音符か 数式か 言葉のようなもの
透明な中 かすかに赤い
ざくろ の粒と
かすかに 白く かげった
柔らかな くぼみ
霧にかげった 鏡の奥から
夜半から深更までの どこかで
できる 踊り場に
夢の庭園への 入口はある
扉に 埋もれかけた姿で
呼びかけよう と
言葉を探し ためらう
息のような 気配
かさこそ と 脚を踏みかえ
垂れた 髪を払い
しづくの落ちる 音
時の巻きひげから
長い ひとしづくが
したたりそうに なって
また凍りつく 間(あはひ)にも
央も端も 同じ速さで
まわっている 銀河
明け方近くにも なにか きこえる
小さな 余分な段に
うづくまっている 幼い姿で
探さずに 想い出して
訊かずに 聴いて
時の澹(あはひ)から のびた
巻きひげの か細い先が
夢の くづれかけた きざはしへ
捲きつこう と している
沈む 新月が 翼になり
無限に とびつづける
蠅の飛行機に なる
足下に 口を開いた
身ひとつ分の クレバスから
はるかな氷河の 底へおち
歳月をへて 地表へと運ばれし 乙女 御
避難を呼びかけつづけ 津波にさらわれし 乙女 御
エウリュディケー ペルセフォネー
ヘーロー セイレーン
伊弉冉(いざなみ)
弟橘媛(おとたちばなひめ)
こぼれ 目もくらむ 光
破壊する 見ざる者 ハーデース
セイレーン Siren
オルフヱウス のこゑは かすかにすべての 音を包み消し
かくし 巻き上げられてゆく
次元へ 封じ込め
しじまの中で
そばだてさせる
季節が めぐり
こゑが遠ざかる と
時折 忘れられぬ耳が
時の氷河を 流れ下ってゆく
超流動の火が波立ち 燃える氷河
天の川銀河
闇の片すみから くらい目がみつめる
オルフヱウス ハーデース
レアンドロス オデュッセウス
伊弉諾(いざなぎ)
倭建命(やまと たける の みこと)
消えた月に呼びかける こゑ
仮面 の ある 庭園 の フレスコ 壁画 Garden's fresco with a Mask
貝に のり 天がける 美と 愛の 女神 ウェヌス の 家
House of Floating Venus in the Shell ポンペーイイー Pompeii
氷河の奥の 反映のように貝に のり 天がける 美と 愛の 女神 ウェヌス の 家
House of Floating Venus in the Shell ポンペーイイー Pompeii
海の底の 鏡のように
こゑが かがやく夢幻に
おちてゆく水
音が高く 深過ぎて なにもきこえぬ
瀧壺の 奥では
こゑのように 夢のように
月の光が ひそかに
ひびきわたる 神殿がある
あけては ならぬ箱
といては ならぬ謎
見ぬように きき
聴かぬように みる
近づいては ならぬ
ふり返っては ならぬ
たすけに來ようとしては ならぬ
呼びかけながら あなたは來てくれる
あなただけが
津波を おしとどめ
地吹雪と氷河と超流動を 退け
崩壊し ゆがむ
時のはざまから
おだやかな光で 生へと導く こゑ
そのこゑが ひとり
かすかな かがやきで きりひらいた
淡く細く はてしなく
照らし続ける みち
あなたが 最期に呼びかけた
生きよ しづまりたまへ
人人を 生かすため
という こゑは
オルフヱウス を 沈黙させる
闇は ふり返る
こゑは はるかに
遠く かすかで おそく
もう そこに居た
いつも すぐ うしろに
そのこゑは すべての風の中に
映り移ろう 光の上に
波の下に 氷の奥に
水と大気の 響きのうちに
しじまと闇を 貫き
ひびき よみがへる 母なる渦潮
時を返す 長潮
月夜 見知らぬ花のかおりが
満ちる 地の底から
探す ハーデース の
かげに おおわれた
ひとみが ひらく
土が ぼろぼろ と こぼれ落ち
消えゆく こゑを求め ふり返る
オルフヱウス の こゑは
もう 自由だ あなたが
飛翔する まわりで
芳しき いぶきが泡立ち
笑み ほころびつつ
しっかりと 支えてくれる
いつまでも どこまでも
ほの白き 半月にじみ
わだかまる
おぐらき段に
銀梅花(ミルテ) の かおり
ジョン・エヴァレット・ミレー Sir John Everett Millais (1829 - 1896)
オフィーリア Ophelia
曲り角に たたずむオフィーリア Ophelia
菊理媛神(くくりひめのかみ) の
取りなしの言葉は
地の底の 水音の
こだまに 吸い込まれ
さざなみと 波紋をひろげつつ
いつしか消えて 月のみ映る
朝もやに かげ 巻き うごめき
息 ただよひ 消ゆる
低く とぶ かげ
わたる 荒海
こゑ なく 水面ゆれ
音もなく 月のしづくの こぼれ落ち
伝い降りつつ 咲きつ 凍りつ
深更の しづもり返る 銀盃花
月を汲み 水面の遅遅に千切れけり
茫然と 群れ立つ 阿修羅(あしゅら) 彼岸花
こゑなき 笑みは
散りしく かげのかたへにて
あかつきに消え なみだの結ぶ
闇一輪 自ら手向く 山法師 (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
眼差し ほのか 風花車
転輪 祖天に舞い昇り (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
希釈の魂魄 又 集めん (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
見上げよ 虚空羂索の (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
散華(さんげ)の かおりも なつかしき (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
花天より 散り落ち そよぐ羽衣の (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
端切れを 掃きて なほ 立つ 残り香 (marc 一字 金輪 bhruuM 猿若 童子)
母なる指か わが髪をなでたまふ
合歓(ねむ) まぶた まき昇り來し
唇の 汝(な)が名 ささやく
長潮 ほのか
波の上を ゆったりと とぶ
跫(あしおと)が とよもす
胸にひらめく 搏(はく)に重なり
遠く 高く 想いを凝らし
ひとみをひらかず
空の らせんの きざはしを降り來たる
時の 風に 髪 なびき
かがやく 明明と
深深と
木立の中より 水をうくる 手ありて
岩から水が 流れおちている
すきとおり きらめいて
たえまなく たなごころに満ちる
近づいてゆく と 手が ひらめいて
だれか が 立っている
顔を上げる と その ひとも
顔を上げる ところだった
井戸の向うに 居た ひとだった
ここは 空の中庭
はてしなき壁を 抜けたものが來るところ
四方には 若木がしげり
風と季節が 生れている
央には ひときわ高き
古木が そびえ
日と月と星星が なっている
一面に 草が やはらかく
ひっそりとして 時折 ざはめく
赤や 白や 黄や 青や 紫や 橙の
花花が 群れ咲き
ふりかえると そこには なく
もっと遠くで 咲いている
(1874 - 1911) 夾竹桃 Nerium
立っているだけで 花になる歩みはじめると 腕が風をはらんで
木の間を とび立つ
枝に降りれば ふさふさと尾がゆれ
やがて 固い実になって ぶら下がる
葉の間におちて 水となり 流れる
立ち上がると
足の裏で 草が また やはらかい
すべての記憶が
あなたの中を流れてゆく
くらく まばゆく はてしなく
熱く 冷たい みちを 通ってくる間に
ばらばらに 眠っていた 記憶が
きらめき 始める
たなごころに 満ち
また 流れゆく 水のように
チェコ の 森 (ベーマー の 森 Bohemian Forest: Šumava
ゴールデン・マウンテンズ Golden Mountains: Góry Złote, Rychlebské hory)
ゴールデン・マウンテンズ Golden Mountains: Góry Złote, Rychlebské hory)