hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

夜雨  (坤)   (承前)

2017年09月18日 | 映画について
より つづく)              Max Richter - The Twins
ロベルト・アンドー 監督告解」に心打たれ DVDを観た「ローマに消えた男Viva la libertà)」 双子の主人公が 折にふれ口誦む交響楽は ヴェルディ「運命の力」 序曲
こちらにも不思議な因縁があるようだ  (以下 Wikipedia 「運命の力」 より引用)

 〔作曲の経緯〕  『仮面舞踏会』 の初演 (1859年) から二年が経ち
 ヴェルディ は まるで作曲を忘れたかのようだった  新設されたイタリア国会の
 議員だったし 農園に近代的設備を導入する仕事にも忙殺されていた
 しかしまさにその農園改造に必要な資金調達のため 彼を政治の世界に引き立てた
 首相 カヴール が急逝した1861年頃になると オペラの虫がまた騒ぎ出すのだった

 〔ロシアからの委嘱〕  ちょうどその年の六月頃 サンクトペテルブルクの
 マリインスキー劇場から 新作オペラを作曲してもらえないだろうか との
 打診がもたらされた  イタリアの誇るテノール エンリーコ・タンベルリック
 息子アキッレが依頼状を携え 帰国したのだった  題材および台本作家の選定は
 一任するとされたことも ヴェルディ の心を動かしたのだろう

映画で エンリーコは 兄の名だ
歴代神聖ローマ帝国皇帝の名でもある ドイツ名 ハインリヒ のイタリア語版で
中高ドイツ語の ハイミリヒ (Haimirich) に由来する
「haim」 (家) と 「rich」 (力強い) が合わさり 「家長・家主」 の意だが
ヘンリー (英) アンリ (仏) エンリーコ (伊) エンリケ (西) と 南下するにつれ
h が失われてゆく

haim や home の h は 「曰 (いはく)」 や 「」 のように
吐き出される気息や ゆらめき上る湿気を 表してもいただろうか
暁や黄昏時 家々の竈(かまど)より立ち昇る炊煙
屋根の下で籠った蒸気の間に 赤子を抱いた母親の胸元より漂い上る
温もりと乳の香 赤子の口元に浮ぶ小さな泡 微笑み 子守唄をささやく息遣い
あふれきらめく湯気と息吹き 滴(しづく)に浮び たゆたう命

北の鬱蒼とした山間の 日暮れから明け方 霧や雨の季節の冷たさに
ほの白く煙り灯っていた 肌の温もりと息も
潮風の吹きめぐる 南の海辺へ渡るに従い 鎮まり
小さく丸まり 見えなくなって h は消えゆく のだろうか

イタリアの誇るテノールで エンリーコといえば カルーソー
 (以下 Wikipedia 「運命の力」 より引用) Verdi - La forza del destino - ouverture

 〔『運命の力』〕  リバス公 のこの戯曲は 1835年マドリードで上演され
 スペインで大評判 あるいは 大スキャンダルとなった話題作
 カラトラーバ侯爵の娘レオノーラは インカ の血を引くドン・アルバーロとの
 恋が認められず 侯爵はアルバーロの短銃の暴発で死亡
 侯爵の 2人の息子ドン・カルロスとドン・アルフォンソ兄弟が アルバーロを付け狙う
 カルロスはイタリア戦線の陣中で アルフォンソは修道院でアルバーロに返り討ちに遭い
 女主人公レオノーラは 絶命寸前のアルフォンソの刃に斃れ
 アルバーロは 酷い運命を呪い 崖から身を投げ自殺する
 つまり主要登場人物がすべて死ぬという 陰惨極まりない劇であったこと
 アルバーロの最期の言葉が 「自分は地獄からの使者だ 人類は皆滅びるがよい」
 という冒瀆的なものだったことが 物議を醸した

不運なアルバーロの最期は 不敵なドン・ジョヴァンニのそれと 似ていないだろうか
心根が正反対の二人が運命によって これほど相似た業火にのたうつ
魂となり果てるなら すべての人は同じ澄んだ傷つきやすい
柔らかな魂を生れ持っていると言えるのではないか

この結末は改作され そのとき最初ほんの数節に過ぎなかった 序曲
人々を翻弄する大波とその間から差す ひとときの えも言われぬ
黄昏のかがやきのような 自在に変転する曲になった

映画で 失踪中の兄が 無言で電話をかけた相手で
彼と わかったのは 妻に掛けたとき 傍らに居て
「息をしてるだけ」 と携帯を手渡され
耳に当てるなり 「君か」 と声をかけた 弟だけだった

その後 成り代わって以来 持っていた兄の携帯が鳴り 弟が耳に当てると
すぐに 「私だ」 と兄は言い 「元気か ジョヴァンニ」 と勞う
なんの応えもない
「礼を言いたい」 と兄が言った直後 弟は無言のまま接続を切る

切ったのは同時だったのだろう
「だれから」 と兄の妻に問われ 「散歩に行こう」 と
ともに脱ぎ捨てた靴が砂に埋もれ 兄の妻は弟の腕をとる

自分を取り戻し帰ってくることが わかった 舞台は変わり 出番は終わる
だが なぜ弟は兄の影として 生きることを選ばねばならぬのか
二人同時には 同じ人 同じもの 同じことを 同じ情熱を以て
目指し求めることは叶わぬからだろうか それは畢竟 自己否定の争いになると

一人が自らを取り戻した瞬間 もう一人は
自らを遺棄せねばならぬ あるいは自らに遺棄される
一人が不安に苛まれ 狂気の劫火に灼かれている間だけ もう一人は
才能をすべて縦横無尽 変幻自在に発揮しつつ正気を保っていられる

兄弟の魂は なぜ二人でなく独りなのか 独りだけのものなのか
それとも兄弟は ほんとうは一人なのか いつから

シュレーディンガーの 生きていて かつ死んでいる猫
一匹で二匹 二匹で一匹の猫 とじ込められた箱を開けるまでは

どちらかを選ぶのではなく助け補い バランスを取り合い
ともに進めるのではないか 二つあって初めて ゆらいでも倒れることなく
前に進める 深淵や絶壁を越え 止まることなく 舞うように

弟は裸足で 暗くなる浜辺を歩いてゆく
テラスに立った兄の妻は 彼の靴がまだそこにあるのを見て
遠くの波打ち際に居る人影に 駆け寄りながら 「ジョヴァンニ」 と呼びかける

振り返った顔は どちらでもない
「また 居なくなってしまった」 と秘書に電話する後ろ姿が 震える 「また」 と

探し回り 車内で眠りに落ちた秘書は 翌朝
執務室で独り 交響楽に耳を傾ける党首を 目にする
「疲れているようだね」 と声をかける 穏やかな眼差しを
見つめ返しても どちらなのか わからない

扉を閉めようとし あの 序曲 を口誦むのが聴こえる
手を止め 隙間から党首の横顔にそって視線を下ろす と
机の下の薄暗がりに 靴を履いた足が見える
Wintergatan - Marble Machine       

あちこち引き出しを開けてみても どこにもない
引き出し自体 どれも空だ

使われぬまま詰め込まれていたものは どこへ行ったのか
静かに暗闇を穿ち 必要とされ大切に使われているものへ辿り着いて
自らを注ぎ足し消え去った 安息の残り香 が漂っているか

牛糞を燃やしても発生しうるという バニリン が 人間の鼻に感ぜられ始めるのは
0.000000032 ppm だそうだが それは
記憶の中から やって來はしないか あるいは記憶が探し当てずとも つくり出す

引き開けつづけていれば ふりでも信じると信じていさえすれば
なにを探していたか いつ なぜ失くしたか問われることもなく ただ赦され
それがそこに変わらず待っていてくれるかのように

空っぽの引き出しは水の流れたあとかも知れず
水がこれから流れてゆくようにも見え
それは受け継いだものを引き渡す可能性かも知れぬ
いつからか枯れ絶え果て ただ眺めていてもやって來はせぬが

だれかがあなたのために心から信じ願ってくれたから
その水路ができ あなたが流れて來た
そのあともそこに水路があるのは あなたのために
いつまでもずっと そのように願ってくれる人が居たからだ
自らのことは想いもよらず ただあなたのことを

空っぽの隅を埃っぽい靄が ふわふわと逃げ惑う
どこかで引き出しの中を ビー玉が転がって
硬い音を立てて下へ落ち また転がってゆく

奥で落ちたのに 下の引き出しの手前のほうから
また奥へと転がってゆく
また下へ落ちる ずしりと硬い音

穴が開いているわけでもないのに 奥まで転がって
階段のように落ちてゆくのが 一瞬見えただろうか
ゆっくりと昏く きらめくものが転がる音

街灯が瞬いて消える 雨のそぼ降る横丁
空っぽの引き出しで出來た 古めかしい図書館で
読まれたことのない本を積み重ねた 厳めしい司書の
眼鏡の奥で闇が光を吸い込み その一瞬前に 闇でも光でもない
翳のような鏡像のような 淡い なにかが ゆらめく

古ぼけた鏡に映る眸の奥に おぼろに辺りを映す
ビー玉が ゆっくりと転がって落ちてゆく

丸めた肩が透け 鋭く眼光を放ったまま眠れる大脳は解け
あばらから引き出しが弛んで少しずつ飛び出し
たくさんの羽毛のような灰がこぼれる

一度に一つずつと想った途端 四方八方へ
様々な ゆっくりした 角速度 で かすかな光を宿した
ビー玉が 緩んだ引き出しの奥へ転がり始める いまは
まっすぐに見えるが まわっている 時の逆数の次元を

転がる音は重なり合い 深く響む どれ一つとして
引き出しの手前 外へ向かって転がるものはなく

カイロス Καιρός という神は
前髪だけがあり 翼のある
時を司る神の一人で
千載一遇の瞬間で穿たれた 永遠を受け持つ
イーカロス Ἴκαρος と同じ文字が入れ替わった名のように見える

もう一人の時の神 クロノス Χρόνος
無窮の時間を受け持つ
巨人族の クロノス Κρόνος ではない
紀元前 6世紀の哲学者 シュロスのペレキュデース
Φερεκύδης ὁ Σύριος が神格化した
クロノス Χρόνος の時は ただ流れ來り 流れ去る どこからともなく どこへともなく

古ギリシア語では κは無気音 χは帯気音を表していた
イーカロスクロノス は 気息を帯びているが カイロス は 息をしない
カイロスシュレーディンガーの猫 だろうか
前髪がなびくのは 時の流れの巻き起こす風だろうか 翳になった眸は
その一瞬の重なる 遙かな渦の奥へ吹き抜ける 風を見ている 息をせずに

イソップ 「寓話」 第5巻 第8話 に カイロスについての詩 があるそうだ
  
〔ラテン語 in Latin〕     ベラスケス Velázquez アイソーポス (イソップ)Αἴσωπος
Tempus
Cursu uolucri, pendens in nouacula,
caluus, comosa fronte, nudo corpore,
quem si occuparis, teneas, elapsum semel
non ipse possit Iuppiter reprehendere,
occasionem rerum significat breuem.
Effectus impediret ne segnis mora,
finxere antiqui talem effigiem Temporis.

The moment
In flying sprint, balancing on the edge of the cut,
Bald with a hair lock on his forehead, exposing the body
Grab him beforehand, hold him, but escape once
Can not Jupiter even retrieve him?
Thus he expresses the short moment that deeds are possible.
To avoid results by mistake
In the past one thought of this image of the Moment.


最高速で飛び出し 一瞬一瞬 切っ先でバランス取りながら
前髪一房 額へなびかせ あとはきれいさっぱり 裸一貫
カイロス を先んじて掴め がっちりと組み止めろ ひとたび逃がしたら
ゼウス とて取り戻すことはできぬだろう
ゆえに カイロス は 物事をなし得る一瞬を表す
過誤の末路を避けるため
昔人は 時をそんな姿形で考えたのだ

アルゴス Ἄργος は目がいくつもあり いつもどれか目覚めている
ゆえに時間的にも 空間的にも死角がないという
古代都市アルゴス Άργοςヘーラー 神殿の巫女 イーオー
ゼウス に目をつけられ愛されたが 妻 ヘーラー の目を欺くため ゼウス に牛にされた
アルゴス は この牛を見張るよう ヘーラー に言いつかったが
ゼウス に遣わされた ヘルメース の葦笛の音に すべての目を眠らされ 首斬られた

アルゴスに見張られるイーオー Io being watched over by Argos ナポリ国立考古学博物館
AD 1C Naples National Archaeological Museum

イーオー は いくつも海を渡り 広大な地を彷徨い
岩山に縛られた プロメーテウス に会う
エジプトで女神 イシス となり 子孫 ヘーラクレースプロメーテウス を解き放つ
Io は イタリア語で一人称と同じだが なぜだろう
相手にのみ必要とされた愛を受け入れ 追われ 遙かに旅した
難儀を分かち合い 助け合おうとする 心と力を出逢う人々の裡より解き放った

ヘルメース の異名 「アルゲイポンテース (Argeiphontes)」 は 「アルゴス を殺した者」
と解されてきたが より古いインド・ヨーロッパ祖語の arg-(arǵ- 転じて argyros は 銀の意)
を語源とする形容詞の argós (ちらちら光る 動きの速い) は 「明るく かがやく」 意だった

アルゴン という気体を憶えているだろうか
宇宙には 超新星爆発で元素合成された アルゴン(36) が数多ある
地球大気中にも 窒素・酸素に次いで三番目に多く含まれ
二酸化炭素より遙かに遍く存在する気体 アルゴン(40) は
地殻中の カリウム(40) の崩壊で生成する

もっとも外側を回る電子は八個で 八隅則 を満たし
化学反応をほとんど起こさず 安定し他の元素と結合しにくい
偏在したまま ほとんど気づかれぬ

αργο(ό) ς は 「slow lingering otiose ゆっくりした ひまな
不活発な 不活性の」 意へ転ぜられてゆくが それらは同じものを
別な方向から見ているに過ぎぬかも知れぬ

アルゴン は 励起 されると ライラック色に輝く
常温常圧で凝固しない唯一の金属 水銀
ヘルメース と同化した メルクリウス の名で呼ばれる
argentum vivum 「生きている銀」

速過ぎて 動かぬように見えるかも知れぬ
相対するものが背中合せに凭れ合い 融合しつつあり
別々で 一つであることを忘れるかも知れぬ
生きてかがやき 変容し別れ 出逢い合一する

ちらちら瞬いているのは だれか だれが アルゴス で ヘルメース なのか
ちらちら かがやくのは数多の眸か 彼らは皆同じ一人だったかも知れぬ

ヘルメースメルクリウス とともに大気中に居て 音楽で
アルゴス の目を鎖し 夢見たものを探しに行かせた 深奥の道を透り
解放者だったのか だれの イーオー の アルゴス の 己の 魂の

ブリューゲルイーカロスの墜落のある風景 の暗い森の端で斃れている男の頭は
アルゴス なのかも知れぬ転がり落ちるビー玉を追うように
空の引き出しを 次々と開けてゆく裡
頭がいくつも ビー玉のような目の玉になって
眠りの薄明の中 転がり昇ってゆく

アルゴス の目は ヘルメース の笛の音に乗り 眠りの中を流れゆく
ふいに帰り道を断ち切られ 夢の中 世界中へ散らばった
帰り道を探しながら彷徨う アルゴス の目たちは
なにを見ているのか どこへ帰ろうとしているのか 急速に忘れる

世界の不思議の数だけ アルゴス の目は あるかも知れぬ
イーカロス は まだ飛んでいる
アルゴス の目に映ったものは 目から目へ飛び映りゆき
無限に木霊し もはや失われることはない
目から目へ 滴から滴 光から光へ

アルゴス の目を数多集め アントニオ・タブッキ
夢の中の夢」 のはじめに ダイダロス の夢を見たかも知れぬ

そこには イーカロスアリアドネー も居らず ミーノータウロス だけが居て
迷宮を出て月の光を浴びたいと願う 青年
死へと導く扉と 生(自由)へとつながる扉の
眞実のみを答える門番と 嘘しか言えぬ 双子の門番の前で
絶望し まだ扉を選べないままで居る

老人 は 一人の門番に
「向こうにいる君の同僚なら 自由へつながる扉は どちらと言うか」 と問い
眞実を探し当てる
たぶん眞実は 二つの相対する表裏一体のものとの関わりにおいて見出されるものであり
そのとき問いは光となり波動となって すべての扉をひらき通りぬけ
過去と未來を いまこのときに結び連ね 進む
カイロス の後ろ姿を 垣間見るかも知れぬ

自分用に茂みに隠してあった羽を ミーノータウロス の背につけてやり
彼がどこまでも飛んで 月へと向かうのを見送る
夜更け 月の光は 眞実と偽りの間(あわい)をとかし 眞実を波打たせ 偽りをも包み込む
そのとき偽りは偽りでなく 過ちも悲しみも 嫉妬も後悔も 憎しみも怒りも
その裡に消え 眞実を一層かがやかせ 取り巻く翳となり その縁にわだかまり 黙し沈む

眞実は かぎりなく惜しみない喜びであり そのかがやきは 光のとどく処 とどく間つづく
眞実の穏やかな反映であり 木霊である 玲瓏な月の光は 何処までもつづく夢の中で
淡く儚く羽をつないだ蠟を溶かすことはない
緩やかに自在に一つ一つしっかりと結びつけ 羽の一枚一枚は
宇宙の背景放射 の楽の音を奏でる光と風の鍵盤のごとく
色のささなみを放ちつつ 羽搏きつづける

ヘーシオドス によれば ニュクス (夜) の息子 ヒュプノス (眠り) と
タナトス (死) の兄弟神で 夢に現れる姿が 人 獣 事物ごとに 少なくとも三柱いるという

ヒュプノス Hypnos AD 120-130 大理石 Marble 150×55cm       
プラド美術館 Museo del Prado       

シャヴァンヌ の 「夢」 の三美神の真ん中に似る
あとの二人は タナトス と 人の姿をした夢の神 モルペウス

オデュッセイア』 によれば  は オーケアノス の遙か西の彼方
陽が沈むところ 死の国に程近い 洞窟に住まい
二つの門のどちらかを潜り 人の世を訪れる
象牙の門から出てくる は 実のない偽りを人に伝え
磨かれた角の門から出てくる は 眞実を伝えるという
彷徨える イーオー のかがやく角 ミーノータウロス の暗闇を映す角 の 間

  

イカルス ヒメシジミ は 翅の天の側が空色で 地の側に無数の目のような斑がある
ゆえに イタリア語 で Icaro (イーカロス) または Argo Azzurro (空色の アルゴス) という
アルゴスヘルメース に首斬られたのち ヘーラー は その散らばった目を
自らの鳥 クジャク の羽に置いたというが すべてではなかったのだろう


ダイダロス が 夢の 迷宮 の底から バベルの塔 の天辺へ浮び出たとき
アルゴス の目はすべて そこへと吸い寄せられ
ダイダロス のつくり出した翼が 重合した 妙なる 蜜蠟 の滴の連なる波の底から
アルゴンプラズマ を帯びた ビルケランド電流三角波 となって高く舞い上がり
飛んでゆくのを見たかも知れぬ

すべてを浄化する炎の翼の下を アルゴス の目は転がり 巻き上がり 支える風となり
波となり それを映す霞一滴ごとの水玉となり 時雨連なる鉛直の水柱を自在にゆらし
遙かに渦巻く波動となり 時空をひらき つないでゆく

イーカロス は翼をつけて飛び 墜ちて命を失い
ミーノータウロス は若き健常者の刃に斃れる そうだったのだろうか
アルゴス の目の中で ダイダロス は 繰り返し考えたのではないか
生れることなく天空から大地へ還った子の 聡明で勇敢な魂は
迷宮の底で苦しむ異形の短命な若者の 繊細で哀しみに満ちた魂と同期し
薄霞と時雨の間(あわい)に 自らと母の角の間の 眞実の夢の門を潜り
支え合い大海と山脈を越え 嵐と虚空を羽搏いていったと
イーカロスの目指した天空の彼方の宇宙を映す 青き一ひらの翼の裏で
来し方行く末をめぐる大地の全球を見つめ
翼を上昇させつづける アルゴスの尽きせぬ眸のきらめきを

あなたの夢の中を アルゴス の目が透るかも知れぬ
あなたが一度幼い頃目にし ずっと探しているものは そこに映っていたもので
飛びつづける イーカロス のように 消え去る後ろ姿が
見えた気がし きらめく前髪に隠された カイロス の顔のように
あなたの中にはなく 母の胎内の羊水の裡に失われたのかも知れぬ
同期し鼓動する 硝子体 を透かし見たときにだけ その眼差しの重なりに
その翳が木霊して見えるのかも知れぬ 深く遙かな夢のどこかで


夜雨  (乾)

2017年09月02日 | 映画について
ぐんぐん飛ぶ龍の 角に しがみつき はりついて
角の一本と化し 息もつけず
漂い まつわりつく雲を つきぬけ
それとも 目の玉だろうか
かたつむりや なめくじのように 角の先に ゆらめく

身を よじると 大波しぶきの はね注ぐ中 おぼろに見える
もう一本の角に しがみつく姿が
遠い過去か はるかな未來の 夢の中の 自分のように
もはや ふれることも 能はず 知る由も なき

夜明けは近いのか 雲 かきわける まるく ひらかれた 爪の下
青暗い海に包まれ ほの光る玉は  として ゆれ まわる
めざす 時に対し 鉛直 の門へ たどりつけば
雨のあわいに 流れる鏡像は消え ひとりに なるだろうか
  前田 青邨 暁

ローマに消えた男」 という映画で
蒸発した野党党首の兄に 成り代わった双子の弟が
党内会議の席を中座する際 ふいに交響楽の数節を口誦み
振り返って詠唱した 俳句は 字幕では つぎのとおりだった

  ときは春 淡霧は 名もなき山を包む
  わが姿なりや 背を向け 雨に去りゆくは

イタリア語では つぎのように聴こえる

  E' primavera, sottili veli di nebbia circondano anche la montagna senza nome.
  E, la mia, questa figura di spalle, si ne va nella pioggia.

前半は 芭蕉野ざらし紀行」 の

  春なれや 名もなき山の 薄霞

後半は 元の句に見当らぬものの 前半を受けた 続き としか想われぬので
もしや 詞書だろうか

 (奈良に 出(いづ)る 道の ほど)
 春なれや 名もなき山の 薄霞

かも知れぬ
奈良へ向かう道中 見知らぬ山の春霞を しばし眺め
それを あとに ふたたび道をたどる 旅人 芭蕉

だが 雨は どこから來たのだろう
野ざらし紀行」 次の句 は

  (二月堂に 籠りて)
  水取りや 氷の僧の 沓の音

こちらの句には 水に因む文字が いくつも見受けられる
が 実際に 間近に 修二会 を拝すなら

 3月1日 深夜 あたりの気を払い 11人の僧侶が 次々と お堂に入って行く
 ドッドッドッドッ と 床を踏み鳴らす音が 響く
 14日にわたる 大法会 「お水取り=修二会」 の 始まりである
 (佐藤 道子 「東大寺お水取り」 ) と あるごとく

冷え冷えとする 寒さの中 白の紙衣をまとい 修法に打ち込む 練行衆の姿や
高鳴りする 差懸(さしかけ)という 歯のない下駄の音が 冷厳を極む
松尾芭蕉の旅 野ざらし紀行 俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース) ように
腹の底に 物音や人声 寒さの響く 情景だろうか

前田 青邨 御水取 第十一段   
青邨 によれば
  御水取の儀は 真の闇のなかで 物音ひとつなく行われる
  しかし この若狭井の建物には 水を汲む数人の僧以外には
  なに人も入ることを許されず 内部の模様も うかがうことを許されない
  そこで この行事を どう描くか と いろいろに 考えた
  とにかく 若狭井に いちばん近い 渡り廊の入口で 参観している と
  闇の中を 水桶を持った行列が來て 一人が 手探りで 井戸の建物の鍵を あける
  ガチン ガチン という音が 真夜中に いかにも神秘に響く
  そこで まず この場面で 御水取を表そう と 下図してみた が
  鍵をまわす人のまわりに 大勢の人が立ち過ぎて 静かな気分の図に ならない
  そこで 思い切って 内部で水を汲む場面を 自分の想像によって 描くことにした
  井戸の構造も 水を汲む方式なども 一切 秘密に されている
  そこで 闇の中で 神秘の水を汲む という 気持ち だけを 出したい と思い
  僧も 三人にしたが これは どこまでも わたくしの心に描かれた 御水取の姿である
  (難波 専太郎 「前田 青邨」)

  水取りや 氷の僧の 沓の音

文字を眺めていると 五七五の頭に 「水」 「氷」 「沓」 と
「水の二態 (水 = 液体 氷 = 個体)」 を 表す文字が 大きく あるいは 上に 三つ 並び
終息するに従い 「僧」 「沓」 「音」 と
「蒸気や 湿気 (水の もう一態: 気体) が 立ち昇る 中や 間に 音声や響きを伴う」 意の
「曰(いはく)」 ( 「日(ひ・にち)」 では ない) が 小さく 下に 三つ 並ぶ
さらに 「曰(いはく)」 の前の 間に 「の」 が 三つ

曰(いはく)」 は 象形文字で 「口から 呼気」 の形から
「(音声を出し) 言う」 意の 漢字となった

」 に 含まれる 「」 は 象形文字で 二種類の器具が重ねられている
下は 「蒸気を発する器具」 (沸騰した湯の入った鍋など)
上は 「その上に重ねられた 蒸籠(せいろ) 」 で 「そこからも 蒸気が出ている」 ことから
「重ね 繰り返される」 「(過去から) ずっと」 「ますます」 の意を持つ

」 は 会意文字で 「水」 + 「曰(いはく)」
「流れる水」の象形と「口と鼻や口から吐く息」の象形(「曰(いはく)」 「言う」の意)から
「とどまることなく 流れるように 言葉や音声が 繰り出され (繰り返され) る」 意で
もともと 「くつ」 の意は なかった
たとえば 「踏」 は 「足が (音を立て) 繰り返す」 意で 「ふむ」
そこから逆に 連想され 「沓」 は 「足が ふんでいる もの」 となったのか 定かでないが
「沓」 に 「くつ」 の意を 持たせたのは 日本で のみ 生れた用法という

」 は 指事文字で (「立」 と 「日」 では なく) 「取っ手のある刃物」 の象形 と
「口」の象形(「言う」の意)に 一点 加えた形(後に「曰(いはく)」と 同形となる)から
「楽器や金・石・草・木から発する おと」 という意に なった

「僧 (曾)」 「沓」 「音」 いずれも 湿りを帯びたものが 立ち昇る形で
ともに持つ意は 「重ねる 繰り返す 響く」

  水取りや 氷の僧の 沓の音

文字から 水が重ねられる中で 氷となるが
やがて下方より 音声を帯びた 蒸気や 呼気が漂い出し
軽く 渦巻いては 立ち昇り
読経の跫(あしおと)の籠り響く 春淺き 淡き靄より
深更に滴る 閼伽井の水へ 古(いにしえ)の時の波紋を 重ね拡げてゆく

真暗闇に 息が ほの白く煙る 御水取
其処彼処で 凍りかけた しぶきから 水が滴る音が
永年に亘り 繰り返されてきた 御水取の 古(いにしえ)の響きと重なり
水に宿り 氷に鎖され 永き眠りにつく僧が つぎつぎと薄闇に立ち現れ
時空の狭間より いま此処へ 諸共に歩み出す 沓音が 聴こえるかも知れぬ

御水取に 「青衣(しゃうえ)の女人」 という 伝説 が あるそうだ
鎌倉時代 承元年間の 1210年頃 修二会で 集慶という練行衆が 過去帳を読んでいると
目の前に 青き衣の女人が 忽然と現れ 「なにゆえ 我が名を 読み落としたるとや」
と恨めし気に 言ったので 咄嗟に 着衣の色を見て 「青衣の女人」 と 読上げると
破顔一笑 かき消えた という
爾来 実際に 源 頼朝から数えて 18人目に 「青衣 女人」 と 書かれ
過去帳の朗読では 必ず呼ばれている その女人が どこの だれなのか
いま以て 知られていない

「ローマに消えた男」 の原題は Viva la libertà
「自由よ 永遠なれ」 または 「自由を 生きよ」 だろうか

この言葉は モーツァルト の歌劇 「ドン・ジョヴァンニ」 の中で
不思議な因縁を持つ アリアであり 連呼される文言だそうだ
すぐれて わかりやすい解説に めぐり会ったので 以下に引用する

 モーツァルトが プラハで 束の間の 幸せな時を過ごしていた頃
 同地の歌劇団の支配人から オペラの依頼があった
 内容は スペインの蕩児の行状の末路を描く 滑稽劇

 ドラマは スペインの貴族 ドン・ジョヴァンニによる 騎士長 (ドンナ・アンナの父)の殺害
 から始まり その騎士長の亡霊の力により ドン・ジョヴァンニの地獄落ち を もって終る

 死で始まり 死で終る このオペラを 悲劇と呼ぶことは できない
 悲劇と喜劇 真面目と滑稽 戦慄と笑いが 混じり合い 明と暗の中で進行し
 一応 ハッピー・エンドで終るが 地獄に落ちた ドン・ジョヴァンニの方が なぜか輝き
 生き残り 新たな生活に入る 人たちの方が 光を失って 見える

 父親殺しと その懲罰を内容とする このオペラの作曲は 春から夏にかけて
 ちょうど 父レオポルトの死を挟んだ時期に 進められた
 モーツァルトは 実生活を そのまま作品に反映させるような 作家では なかったが
 彼にとって 絶対的な存在であった 父の死は やはり大きな影響を 作曲に与えている

 (中略) プラハ音楽院 図書館に残る 楽譜 (モーツァルト自身が 目を通した と言われる)
 には、後にウィーンで公演されたときには 削除された 問題の一節が 書かれてある

 それは 仮面をつけて訪れた アンナ、エルヴィラ、オッタヴィオ を歓待する
 ドン・ジョヴァンニ が 「自由 万歳 Viva la liberta」 と 歌うところ であり
 プラハでの初演の際 舞台の上の歌手たちが 12回も 合唱で繰り返した という

 おりしも フランスから届く 革命の報告が ウィーンの貴族たちの 神経を尖らせていた
 モーツァルトには 政治的な意図が なかったのかもしれないが
 このオペラは多くの問題を含み 多様な解釈と想像をかきたてる 傑作である
 (Mozart con grazia:A data book on Wolfgang Amadé Mozart /森下 未知世 編集
  K.527 オペラ・ブッファ 「ドン・ジョヴァンニ」 1787

映画で 弟の名は この ジョヴァンニ なのであり
ジョヴァンニ といえば 旧約聖書の 荒野で人々に悔い改めるよう説き
ヘロデ と 義理の娘 サロメ のために 首斬られる 洗礼者 聖ヨハネ の 名だ

フィレンツェの銀行家 バルディ家の 礼拝堂のために描かれた
ボッティチェッリ の 聖母子 は 二人の 聖ヨハネ を 伴う
向かって 左が 洗礼者 聖ヨハネ 右が 福音書記者 聖ヨハネ
伝えられる没年齢で 描かれている

ヤコブ とともに ガリラヤ湖イエス の最初の弟子の一人となった ヨハネ
使徒のうち 唯一 殉教することなく 聖母 と ともにあり
黙示録福音書 を著し 老年で亡くなった とされる
  

ヨハネ の 古称 は ヨカナーン Yohanan イオアン Ἰωάννης Ioánnes
「神の恵み (神は恵む) Y (A) H W (E) H (Yod Heh Vav Heh) is gracious 」 の意

「神」 の 前半 Yod は 「 ' 」 のような 発声する際の 「呼気」 を 表す 最小の文字で
「すべての文字や音声 言葉や絵図の中にあり」 「もっとも謙虚で」
「遍在する」 「耀きや 息吹や 搏動」 であり 「差し伸べられ 祈る手」であり
「十(指)」 を表す 文字で 後の 「y」 であり 「弥勒」 を表す 梵字 「ユ」 に 似る

「神」 の 後半は 「あるべき」 (to be) 「なる (來たる) べき」 (to become) 意の
古語で 回文の (どちらから読んでも同じ) הוה (hawah) から 來ている
という

また この語 (hawah) は 『旧約聖書』 「創世記」 に おいて
アダムのあばら骨から 作られた とされる イヴ の 呼び名である
アラム語の (Hawwah) や ヘブライ語の (Chavvah)に 似ている
それらは 「あばら骨から 出(來)た」 「生命を 育み 司る」 意を 持つ

メソポタミアの神 エンキ についての物語で
娘 ニンティ が生まれる 経緯の解説に 次のように ある

 (このメソポタミア)神話物語は総じて 土 (女神ニンフルサグ) に
 「水 (エンキ神)」 が 加わる ことによって 生命が 産み出される ということ
 また 生命が生み出され 育った後も 例えば 植物が果実を形成する 時など
 再び 「水」 が 必要とされる ということを 象徴的に示している

 ニンティ (シュメール語で 「あばら骨(Rib)から出た女神」) は ニンフルサグ
 称号のひとつである 「生命(Life)の女神」 と 語感上の関連性が みられ
 ニンティが 生命の女神としての 役割を ニンフルサグ から 引き継いだことが 考えられる
 ニンティは その後 すべての生命の母として 称えられるようになった
 それは 後世の フルリ人の女神ケバ (Kheba:ヘバート (Hebat)
 ケパート (Khepat) ともいう) も 同様である
 また 『旧約聖書』 の 「創世記」 に おいて アダムのあばら骨から 作られたとされる
 イヴ (ヘブライ人の神話では ハッワー (Chavvah)
 アラム人 の神話では ハウワー (Hawwah)) についても
 同じ呼び方であり 上記のシュメール人の神話が 転じた と考えられる
 (Wikipedia エンキ 「女神ニンフルサグとエンキの末裔たち」)

あばらの辺りには 心臓があり
それは 一つしかない ことは 太古より よく知られていよう
鼻腔や口腔を含め (左右) 対 (称) に なっているように 想われる 人体の中で
はっきりと (左に) 偏っている 一つだけの 心臓は
実は やはり もう一つ (右にも) あったのだ としたら
というより 精確には もう一つ 隠れた心臓があって
それらは つねに 同期して搏動していた としたら
交代で 眠りについていた としたら
Faran Ensemble - Rain          

人類創世の 暁の夢の中 いまは あばらの裡で 木霊を聴いている 空洞で
光と翳のように 対となっていた もう一つの 見えず 聴こえぬ 心臓が
大いなる力によって 取り出され あばらを貫け出るとき
外された一本の骨とともに 光に象られた翳のように
神に似せられた 男性と すべて同じで まったく異なる
女性という
自らの裡に 新たな もう一つの生命を育むことができる
人類が つくり出された としたら

左右対称に見える X が 性を司る 遺伝子の形に みられるが
これを הוה (hawah) (來るべき) 生命を育む もの と考えれば
これと対となり 男性が持つ もう一つの 切り詰められたような形の 遺伝子 Y は
X の あばら一つが 欠けた姿に 見えぬだろうか

ほんとうは 逆なのだろう
すべては 女性から 生み出されたのだろう
だが 心から求めるものを 失ったのは
男性のほうであることは 真実かも知れぬ

男性が 失われた もう一つの 心臓を追い求め
自らの生命の息吹きを 泉のごとく 川のごとく 水に託し 流し放つ
ことしかできぬ のに対し
それを受け入れ 自らの内に秘められた 透き通った心臓の木霊に
新たな 生命の搏動を 開始させ得る 女性は
X を 二つ 重ね持っているのも 不思議ではない のかも知れぬ

未來の 遙か彼方に 現在と 過去と ともにあり
無限に 生命を育みつづける 「神」 は 「弥勒」 のような存在で
その最初の発語 イタリア語で Io は 「神」 を内包し 「神」 を 導き出し
「神」 へと 到る 「人」 の 繰り返され 立ち昇る 呼気であり 生命の 息吹として
「いま そして これからも ある (べき) 」 「遍在する 謙虚な生命の 一つ」 としての
われ () という 一人称 でもある のかも知れぬ

神は遍在し 細部に宿る というより 個々の身体においても
男性 と 女性 意識無意識 交感神経副交感神経 網膜の 錐状体桿状体
幾重にも 二つに分裂し 互いに 計り知れぬ 不可侵の掟に縛られながらも
奇妙な交流をなしつつ 交代し 対となって バランスを取り合い
どちらかが もう一方を制し 支配下に置くこともなく
細胞神経ミトコンドリアRNA などの 一つ一つを
管理 制御し 君臨する わけでもなく
もとより 独裁 抑圧 搾取する つもりも なくとも
一つ一つの声に 耳を傾け 善処しようとも 一つ一つ すべてに遍く
慈愛に満ち 幸せで健やかであるよう 尽くせる わけでもない

われわれ と われわれを構成するもの とは 時空 = 次元 が異なる ように
われわれの宇宙が 構成する より高次の存在は たしかに あるはずだが
その時空は われわれの それと重なっていても 直接 ふれ合うこと や 対話は 不能で
想いを どんなに馳せても 届くことはないが 響くように 道が編み出され
連なり 紆余曲折し 重力レンズ のまわりを滑ったり 堂々巡りしつつ
突如 事象の地平面 を翳(かす)め抜けるように なにかが 意図とは別に 伝わっている
重力波の ごとく

愛するものの 眸の耀き 聲の調子 肌の馨りの すべての底に流れる
鼓動の音色が 自らのそれと同期し 調和し 至高の旋律を
無限の変転を遂げながら 舞い奏で つづけるのを
あらゆる響きと囁きの裡に 聴き取る ごとく
ニコライ・リョーリフ Nicholas Roerich (1874 – 1947) Nikolai Rerikh   
(Никола́й Ре́рих) And We are Trying, from the "Sancta" Series   

おそらく 無意識は それを あらゆるものの裡に 聴き取り 聴き分けられるのだろうが
それを つづければ 心は千々に裂け 砕け 狂ってしまう
だから眠らねばならぬ 不安な夢に ゆさぶられつつ
日中 起きて番をする 意識には それは ほとんど聴こえぬ

意識が眠るとき 無意識は目覚め すっきりとして
それまで意識の居た 荒涼とした部屋部屋を歩き回り

溜り 散らかった 些細な悩みを つま先で蹴飛ばし
片づけてしまいながら 仕舞われたまま 忘れられ
埃に塗(まみ)れた 大切なものを引っ張り出し
眺めるかも知れぬ

見つけたところへ
その虚しき塵埃の堆積した 天辺へ 置き去ったまま
また 何処かの角を ぶらぶら曲がって 出てゆく

嗅ぎつけ 忍び寄る 数多の
尽きることなく 懼れ 求め 争い 迷妄し 追い縋る 手を
自らへ惹きつけ もはや双方逃れられぬ程 深く食い込ませると
テロメア を切り 奈落へ下る

それらは墜ち 灼け頽れ 凍り砕け 戻って來れぬが
暗黒と眩さと 灼熱と極寒を透り抜け
灰に塗(まみ)れた 一すじの翳が ゆらりと立ち上がる

軋む肺の奥から
心安らぎ 喜びと力漲る 懐かしき曲が
口をついて まろび出

昏い胎内の 水の中で響(とよ)む
旨(うま)し眠りへと 帰ってゆく
へ つづく)