hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

後日譚 (ごじつたん)

2014年04月12日 | 散文詩
目を開けると 塔の天辺(てっぺん)をぶち抜いて 漆黒の空へ吸い込まれていく
枝の間で 星が瞬(またた)いていた 星から星へ
視線で伝い降りていくと 地平の向うから 仄蒼(ほのあお)い黙(しじま)が
凍(こお)った水面に滲(にじ)む 蜘蛛(くも)の巣のように迫(せ)り上がって来て
星々は その中へ融(と)けていった 淡い大気の襞(ひだ)を はためかせながら
大地が ゆっくりと滑り 廻(めぐ)っていく

墜(お)ちる時 隠され捲(ま)き上げられていた 幾つもの次元が 蝉(せみ)のように潜(ひそ)み
待ち受けていた 祖先達の肢(あし)で 丹念に開(ひら)かれ そっと抱(かか)え上げられて
ゆっくりと ばらばらに解かれ あの時の海のように かき消え 煙のように疎(まば)らになり
遠く広くなった 波打つ石段を 羽毛と指先に包まれ ふわふわと滑り落ち
いまだ居ない 子孫の形なき指先で 毛皮や鎖帷子(くさりかたびら)や
鎧(よろい)や鬣(たてがみ)が すかすかの借り物の身体(からだ)から 僅かに離され
雷鳴のように喧(やかま)しく かき鳴らされていた その間(あいだ)に

かつて 目眩(めくる)めく巌(いわお)から 滾(たぎ)り立つ 白い波飛沫(しぶき)の点々と散る
海を目指して 颪(おろし)のように 駆け降りた 自分の物のようではない
強靭(きょうじん)な筋肉の 動きを感じていたが 鬣(たてがみ)に打たれ 何も見えなかった
殆(ほとん)ど真っ逆様に墜ちていたが 四肢は重力に勝(まさ)る 速度を出さんとしていた
速度が高まるにつれて 身体(からだ)が小さくなり 海面は穏やかに ばらばらに
煙ったようになり 遠く退(しりぞ) いて 辺(あた)りには何も無くなった 星々だけが
遙(はる)か彼方の過去から 蒼(あお)い大気の靄(もや)を透かして その疾走を見詰めていた

不意に耳を劈(つんざ)く風の音が止み 身体(からだ)が浮いて 遠ざかる火の玉のような
身体(からだ)から離れ 浮き上がった 手を延ばそうとしたが そんな物は無かった
在るのは伸び切った 脆(もろ)い二枚の翼を繋(つな)ぐ 鎖骨(さこつ)だけ この獣の背に
取り付いていた 飾り羽で 気の遠くなる昔に 獣となった頭から 押し出され そこへと
圧(お)し込まれ 鎖(とざ)された 脆(もろ)く弱い 人の心のような物 疾走する獣の背から
剥(は)がれた翼は 一瞬戸惑(とまど)うように 竪琴のような 輪になった弦の形になり
稲妻に追い縋(すが)る 雷鳴のように 光の粒となり 波となった 獣が突き抜けた後で
吸い込まれるように 鎖(とざ)された 空の前に 取り残され くるくると 舞い落ちる裡(うち)
人の姿に戻りかけて 果たせず 波打ち際に漂着した

誂(あつら)えたように漂い そこに蟠(わだかま)っていた 引き裂かれた四肢と
打ち捨てられた竪琴に載った 殆(ほとん)ど無傷の首を 蟹(かに)が這(は)うように 翼は集め
足りない処(ところ)は 翼のまま 首を纏(まと)って しがみ付くように 竪琴をかい込み
よろめき去った 枯れ枝を操(あやつ)り それらを岸に 寄せた乙女(おとめ)が
手押し車と共に戻ってみると 最前の ばらばら死体は 遠く丘の上の 古い石組に崩折れた塔に
引っ掛かっていた 一本の睫(まつげ)程の 幽(かす)かな月が 風に仄(ほの)光りつつ
在らぬ方(かた)へ飛んで行くのを追いながら 黄昏の間を よろよろと歩み去ってゆくところで
どんなに目を凝らしてみても その姿は春に 大気の狭間から 狭間へと飛び渡る
蜘蛛(くも)の子の糸で 新月の端に絡(から)まった 翼だけの操(あやつ)り人形のように
黄昏(たそがれ)に うねる道と 細い並木の下の 丈の高い草の間に 揺らめき融(と)けて
往(い)って仕舞い 葬ろうと 抱(かか)えて来て そこに置いたはずの
羽毛に塗(まみ)れ縮かんだ 猫のような骸(むくろ)も無くなっていた

かつて歌ったこともある 光に追い縋(すが)る 決して追いつけない聲(こえ)だから
光の失われた翼 聲(こえ)だから 光は それを失ったことで 次元を超え 次元を作り出す
速さで 疾駆することになったけれども 光は 失った聲(こえ)を探して 疾駆してもいる
光の聲(こえ)は すべての音色(ねいろ)に顕(あらわ)れる 砕けて眩(まばゆ)く
融(と)けて流れる 少しの重さがあり 影が あって 光から 失われたから

遠い昔より 遙(はる)か彼方(かなた)の 未来へと送り出された光 無事に 帰り着けただろうか
低く 笑うような聲や 呼ぶような聲が 聴こえる時もある 今は聴こえない
探して啼(な)く獣や 問い掛ける鳥のような聲も 絶え間なく揺らぎつつ
もう生きて居ない いまだ生まれて居ない 支え合う 手から手へ 肢(あし)から翼へと 渡され
そっと触れ 支えようと伸ばされた指先や羽毛の上を うねり流れて 翳(かげ)りを帯びながら
透き徹(とお)った 視線の縒(よ)り合わされた枝を伝い 星々と同じ位 遠くの背後から
目の水面まで 浮かび上がる 幾度となく これを最後と 最期と もう一度 もう一度

横たわって居た 石の床も 板根に持ち上げられ 石段も崩されて いつしか樹(き)の裡(うち)へ
取り込まれていく このような処(ところ)に 佇(たたず)んでいた こともあった ように思う
打ち上げられ 消えていこうとする 記憶の熾(お)き火を 誰かの息が吹く 深く穿(うが)たれた
穴の奥底を見詰めていた はずなのに 其処には唯 土の壁だけがあって 洞穴は終わっていた
揺らめく焚火(たきび) 風の音 灰の匂い 詰めていた息が洩(も)れ 震える 小刻みに 槍の先が
壁の獣の群れを そっと突く 湿った指の跡が 疾走し続ける 獣の背をなぞる なぜ と訊(き)く
幽(かす)かな木霊(こだま)のような余韻が 古い地層の向うで 朧(おぼ)ろに煙る 曲り角に
衣擦(きぬず)れのように 曳(ひ)かれ 消えていく 遠く眩(まばゆ)い 曙光の煌(きらめ)きを見て
帰り着いたと思い 安堵の余り 顧みた ずっと付き従ってきてくれた 寡黙な影 愛する亡き人は
いつも 顧みなければ其処(そこ)に宿り 光を浴びて佇(たたず)めば 後ろで 支え見守って居てくれる
光の聲(こえ)で唄って居る 光の聲(こえ)は後ろから 深奥の源であり すべてを取り巻く
彼方(かなた)から じかに 背に 底に 真中に 小さく温かく灯(とも)るように響いて来る
今もいつまでも 打ち寄せて引く 光の波の 輪の中で