誰か が 犬を 連れて 夕日の 濱(はま)を 歩いて居(ゐ)る
寄せては 返す 波の 音が 遠く 近く 響く
青 から 緑 へ
翠(みどり) (色名の項) から 群青(ぐんじょう) へ
重なり 翳(かげ)り 広がり
縹(はなだ) から 鴨の 羽(かものは)色 へ
移ろい 岐(わか)れ 滑(すべ)ってゆく
水面(みなも)に 映る 天空の 金沙の 澹(あはひ)
透き通り 鎖(とざ)されゆく 大気の瞼(まぶた)の 縁(ふち)を
過ぎ越してゆく 風の 軌跡の 網目を 潜(くぐ)り
仄(ほの)紅(あか)き 息を 棚曳(たなび)かせ
落ちゆく 涙の珠(たま)を 受け止(と)めん と
指を 広げ 草草が 揺れ靡(なび)く
瞬(またた)くことなく 逸(そ)れていった 緑閃光 の
谺(こだま)が 子午線 を 廻(めぐ)り
草草を 螺旋(らせん)に 伝い昇ってゆく と
遠く 近く 星星が 煌(きらめ)く
暗闇の 寄せ退(ひ)き 鏡なす 疎(まば)らの淵(ふち) へ
頭(こうべ)を垂れ 草草は
天空に 映り 暁(あかつき)に 辷(すべ)る 雲雲の舟が
星星の 煌(きらめ)き 降(ふ)り 織る 漣(さざなみ)の 音に
繋(つな)がれた まま 揺蕩(たゆた)い 眠る の を
露(つゆ)の 珠(たま)へ 紡(つむ)ぐ
誰も 居(ゐ)なくなった 濱(はま)で 視線が 影たちと 踊る
火事が あった の か
内へも 外へも 目を 向けず ただ 動く 足の 帰る 途上
視野の縁(ふち)が 不意に 拡(ひろ)がり
拓(ひら)けた処(ところ)から 大きな月が 昇った
想わぬ処(ところ)に 月を 見る と 想い出す
待って居(ゐ)た 背の 真っ直ぐな 椅子で ふと 身を 起こす と
深い 黙(しじま)に 明り が 皓皓(こうこう)と 差し
狭(せま)い 窓の 隅(すみ)に 満月が
滲(にじ)んだ 長い 角(つの)を 生やして
モップを動かす 手を止め 腰を伸ばすと 突き当たりの水槽で
アリアドネー が 立ち泳ぎを したまま 漂(ただよ)って居(ゐ)る の が 見えた
ステラー カイギュウ と 云(い)う 痛痛しい 目と 膚(はだ)を した
巨大な 灰白色の 生き物で スノウ ホワイト と 云(い)う 名が ついて居(ゐ)る
が シンデレラ は 何処(どこ)ですか と 訊(き)かれる こと も 多い
昼間 小さくて黒っぽい 七匹 に 取り上げられ ぼろぼろ に なった
玉を 独(ひと)りに なった 夜更(よふ)け 底の方で 転がして居(ゐ)る ので
話を うろ憶(おぼ)えて居(ゐ)た 夜の 職員が アリアドネー と 云(い)う 名を つけた
潰(つぶ)れた 冬瓜(とうがん) で 雑巾 掛(ぞうきん が)け する 灰被(かぶ)り
か 機織(はたお)り 歌い 攫(さら)われて 戻らぬ 瓜子 姫(うりこ ひめ) か
獣(けもの)の皮を 被(かぶ)り 鉄(かね)の沓(くつ)が 磨(す)り減るまで
彷徨(さまよ)う 娘も 居(ゐ)た あの娘 は 何と 云(い)ったか
真っ赤に 灼(や)けた 沓(くつ)で 踊り続けた のは
雪白娘の 継母(ままはは)の最期だったか 話が うろうろ と
彷徨(さまよ)う 間 アリアドネー は 何を 探して居(ゐ)る の か 今 も
外に出ると ビルの峪(たに)間から 月が 見える こと も ある
冷たい風の中で 煙草(たばこ)に点(とも)る 灯(あか)りに
オタリア の仔(こ)が 濡(ぬ)れた鼻面(はなづら)を 寄せて來(く)る こと も
落ちて反響する 指輪から 霰(あられ)が降る の を 想い出す よう に
黄昏(たそがれ)に 煌(きらめ)き 揺らめく 海面 や
夜更(よふ)けの 遠い 火柱(ひばしら) を
眸(ひとみ)の裡(うち)で 見て居(ゐ)るかも知れぬ
其処(そこ)から だ と 高く昇って から しか 月は 見えぬ
中では 高く昇って 何処(どこ)から か 何かに 反射しなければ
見える こと は ない が 記憶の汐(しお)の 満ち干で 皆 知って居(ゐ)る
夢の底へ 降り注ぐ 月明りは 捕食者の徘徊する 海の底の 岩蔭でも
ビルの屋上の 水槽の奥でも 同じかも知れぬ
何処(どこ)も 彼処(かしこ)も いつか そう なるだろう
想いがけなく 月の顔を 見た ものは 一体 何か とも 想わぬだろう
鏡を 覗(のぞ)いて 其処(そこ)に 自分の顔 で なく
解けゆく月が 映って居(ゐ)た と して も
七億年前 全球凍結 が 起こる時
月は 鏡に映る 白い顔を 見たかも知れぬ
超流動 に も 似た 満ち干に 伝わって來(く)る 氷に 鎖(とざ)された
夢の 胎動が 大量絶滅 を 経て それを 融かし 罅(ひび)割れさせ
息を吸い 吐く 細かな群れに 岐(わか)れ 拡(ひろ)がり 満ちて
卯酉線 を 廻(めぐ)る 風 と なる の を 聴いたかも知れぬ
一 尋(ひろ) を 二千年 近く かけ 廻(めぐ)る 深層流 (海流の項) は
記憶が 重力へ 満ちる 遅さを 耀(かがや)きが 響き と なって
闇に 留(とど)まる 冷たさを 憶えて居(ゐ)るかも知れぬ
ステラー カイギュウ は 氷の海で その歌を 聴いたかも知れぬ
最後の波が 凍る 廻(めぐ)り 流れる 深い 記憶の歌が
風の中へ 解き放たれる まで の 永(なが)く 短い
眩(まばゆ)く 昏(くら)い 夢に 鎖(とざ)された 時を
月が 灰白色の 自(みずか)らに 瓜二(うりふた)つの 雪白の
面差(おもざ)しに 魅(み)せられ その夢を 手繰(たぐ)り寄せる の を
オタリアの 目に 誰か 映って居る(ゐ)気が した
遠くから 還(かえ)って來(き)たのに 全(すべ)てが 逸(そ)れゆく
視野の縁(ふち)で 時空の 澹(あはひ)に 耀(かがや)き 消えゆく
佇(たたず)んだ ままの 姿
振り返った が 虚空に 遠ざかる 月の 映像の 反射と
氷柱(つらら)の 育ってゆく 水槽の よう な 昏(くら)い ビル群が ある だけだった
空を 月 渡る 時 日の 亘(わた)る 海 渉(わた)る 夢 朧(おぼ)ろ
凍(こほ)れる 海に 月 溺(おぼ)る 夢 日は 遙(はる)か
幻日(げんじつ) 舞い 幻月(げんげつ) 翔(と)ぶ
披(ひら)かれゆく 双曲面 スプライト (超高層雷放電) の 途(みち)
溯(さかのぼ)り 手繰(たぐ)り 捲(ま)き 消え 共に 還(かへ)らむ
山深き 洞穴(ほらあな)の 池に 棲(す)む と 云(い)う 神蛇が
人の姿で 夜毎(よごと) 通(かよ)った と 云(い)う 娘は 子を 宿し
母の教え に 苧環(おだまき)の 糸を 針に 通し 帰る人の 襟(えり)に
刺し 僅(わず)か に 巻き残った 糸を 手繰(たぐ)って 後を 追う
苧環(おだまき) は 糸車に 巻き取った 糸の 輪束の こと だが
糸車に似た 角(つの)の生えた ような 草花の こと も 云(い)い
また 中空(ちゅうくう)の 朽(く)ち木 や
枯れ木立(こだち) の こと も 云(い)った
糸の 入りゆく 深き 岩屋の 奥より 喉笛(のどぶえ)を
針に 刺し貫かれた 蛇が 男児 が 生れる と 云(い)って 息 絶える
谷深く 立つ 苧環(おだまき)は 我(われ)なれや 思ふ心の 朽(く)ちて 已(や)みぬる
朽(く)ちね ただ 思ひくらぶの 山 高み 立つ 苧環(おだまき)は 知る人も なし
うたたねの 夢も あらしの 山さとに 槇(まき)の葉 伝ひ 霰(あられ) 降るなり (夫木和歌抄 廿九)
さ夜ふかき 軒(のき)ばの草に 露(つゆ)おちて 秋を かけたる うたたねの 夢 (道家 百首)
後に その 神蛇の玄孫(やしゃご) が 敵の 逃げ込んだ 寺に 火を 放った 折(おり)
炎に 包まれた 堂内より 千手 観音(せんじゅ かんのん) 像 が
相良 飛蔓(あいら とびかずら) へ 飛び移り
又(また) その 武将 が 馬を 飛ばし 坂を 駈(か)け下(くだ)り 落人(おちうど)に 迫る を
飛蔓(とびかずら)と なりて 絡(から)みつき 落馬させた と も 云(い)う
相良 飛蔓(あいら とびかずら) は 太き 蔓(かずら)に 大いなる 暗紅の花房
数多(あまた) 咲く 角(つの) 生え 爪(つめ) 尖(とが)りし 千手(せんじゅ)の 花
薄明(はくめい) に 連なり咲ける 蔓(かずら)花 災(わざわ)い 転じ 万花 廻(めぐ)らす
杜鵑(ほととぎす) 嘿(もだ)し 花 馨(かを)る 薄闇(うすやみ) 哥(うた)ひ 風 さざめきて 已(や)む
わたの原 雲居(くもゐ)の涯(はて)を 亘(わた)る 虹 潜(くぐ)りて 消ゆる 影 探す 月
足が 凍る よう に 冷たくなり 不意に 何処(どこ)か
昏(くら)い 海溝の よう な 処(ところ)へ 沈んでいった
地下鉄の 吊(つり)広告が ベーリング海 と 云(い)う 表示に 重なる
海溝では なく 水族館に 居(ゐ)るのだった
水が 冷た過ぎる そう 想ったが あの時は 子を 探し
氷の海を 泳ぎ廻(まわ)っていて 捕えられた から だ と 判(わか)って居(ゐ)た
小さな目をした アザラシたちが 頻(しき)りに 身体(からだ)を 突つく
椅子の 隅(すみ)で 背を 折り曲げる
アリアドネー は 迷宮の 長い壁に沿って 糸玉を 転がす
勇者 は 來(こ)なかった
難破し 打ち上げられた 男は 魘(うな)されていた
アリアドネー は 男が 隠し持って居(ゐ)た 剣に 触れた
両刃(もろは)の 斧(おの) の ような
聖なる 牛を 屠(ほふ)る 男は 持てぬ 斧(おの) の ような
だから 昏倒した 持っては ならぬ 物を 持った ので
水面(みなも)に 映る 曇(くも)った 空の よう に
冷たく 蒼(あお)く 幽(かす)かに 紅(あか)く
耀(かがや)き 息づく そのような 斧(おの)で
おまえに 一討(ひとう)ちに されたい もの だ と 兄は
途切(とぎ)れ 途切(とぎ)れに 岩壁 越しに 深い 割れ目に
光の 失せた目を 圧(お)し当て 血の 混じる息で 呟(つぶや)かなかったか
どうしたの また 口の中を 噛(か)んだの
俺(おれ)の口に 中なんて もう 無い の さ
牙(きば)が 脈(みゃく)打つ ものを 深深と 噛(か)み締(し)めん と
何処(どこ)までも 延(の)びてゆく
喉元まで 七つに 裂(さ)けた 胃 が 先を 争い 押し退(の)け合い
牙(きば)が 喰(く)らいついた もの を 咀嚼(そしゃく)せん と
反転され 裏返された 偕老 同穴(かいろう どうけつ) と
洞穴 海老(どうけつ えび) の よう に 脆脆(もろもろ) と
罅(ひび)割れた 柔らかい 孔(あな)を 拡(ひろ)げ 震(ふる)わせる
俺(おれ)は 毀(こぼ)れ 零(こぼ)れゆく 海 かも知れぬ
が 今は 未(ま)だ 外が 腑(はらわた)で
目や 耳は 内に 向かって居(ゐ)る
生きた 迷宮 裏返された 死
松果体 と 云(い)う 処(ところ)へ 立て籠(こ)もって居(ゐ)るんだ
エジプト人たち も 最期は 其処(そこ)へ 往(い)った
が もう 後が 無い
寄せては 返す 波の 音が 遠く 近く 響く
青 から 緑 へ
翠(みどり) (色名の項) から 群青(ぐんじょう) へ
重なり 翳(かげ)り 広がり
縹(はなだ) から 鴨の 羽(かものは)色 へ
移ろい 岐(わか)れ 滑(すべ)ってゆく
水面(みなも)に 映る 天空の 金沙の 澹(あはひ)
透き通り 鎖(とざ)されゆく 大気の瞼(まぶた)の 縁(ふち)を
過ぎ越してゆく 風の 軌跡の 網目を 潜(くぐ)り
仄(ほの)紅(あか)き 息を 棚曳(たなび)かせ
落ちゆく 涙の珠(たま)を 受け止(と)めん と
指を 広げ 草草が 揺れ靡(なび)く
瞬(またた)くことなく 逸(そ)れていった 緑閃光 の
谺(こだま)が 子午線 を 廻(めぐ)り
草草を 螺旋(らせん)に 伝い昇ってゆく と
遠く 近く 星星が 煌(きらめ)く
暗闇の 寄せ退(ひ)き 鏡なす 疎(まば)らの淵(ふち) へ
頭(こうべ)を垂れ 草草は
天空に 映り 暁(あかつき)に 辷(すべ)る 雲雲の舟が
星星の 煌(きらめ)き 降(ふ)り 織る 漣(さざなみ)の 音に
繋(つな)がれた まま 揺蕩(たゆた)い 眠る の を
露(つゆ)の 珠(たま)へ 紡(つむ)ぐ
誰も 居(ゐ)なくなった 濱(はま)で 視線が 影たちと 踊る
火事が あった の か
内へも 外へも 目を 向けず ただ 動く 足の 帰る 途上
視野の縁(ふち)が 不意に 拡(ひろ)がり
拓(ひら)けた処(ところ)から 大きな月が 昇った
想わぬ処(ところ)に 月を 見る と 想い出す
待って居(ゐ)た 背の 真っ直ぐな 椅子で ふと 身を 起こす と
深い 黙(しじま)に 明り が 皓皓(こうこう)と 差し
狭(せま)い 窓の 隅(すみ)に 満月が
滲(にじ)んだ 長い 角(つの)を 生やして
モップを動かす 手を止め 腰を伸ばすと 突き当たりの水槽で
アリアドネー が 立ち泳ぎを したまま 漂(ただよ)って居(ゐ)る の が 見えた
ステラー カイギュウ と 云(い)う 痛痛しい 目と 膚(はだ)を した
巨大な 灰白色の 生き物で スノウ ホワイト と 云(い)う 名が ついて居(ゐ)る
が シンデレラ は 何処(どこ)ですか と 訊(き)かれる こと も 多い
昼間 小さくて黒っぽい 七匹 に 取り上げられ ぼろぼろ に なった
玉を 独(ひと)りに なった 夜更(よふ)け 底の方で 転がして居(ゐ)る ので
話を うろ憶(おぼ)えて居(ゐ)た 夜の 職員が アリアドネー と 云(い)う 名を つけた
潰(つぶ)れた 冬瓜(とうがん) で 雑巾 掛(ぞうきん が)け する 灰被(かぶ)り
か 機織(はたお)り 歌い 攫(さら)われて 戻らぬ 瓜子 姫(うりこ ひめ) か
獣(けもの)の皮を 被(かぶ)り 鉄(かね)の沓(くつ)が 磨(す)り減るまで
彷徨(さまよ)う 娘も 居(ゐ)た あの娘 は 何と 云(い)ったか
真っ赤に 灼(や)けた 沓(くつ)で 踊り続けた のは
雪白娘の 継母(ままはは)の最期だったか 話が うろうろ と
彷徨(さまよ)う 間 アリアドネー は 何を 探して居(ゐ)る の か 今 も
外に出ると ビルの峪(たに)間から 月が 見える こと も ある
冷たい風の中で 煙草(たばこ)に点(とも)る 灯(あか)りに
オタリア の仔(こ)が 濡(ぬ)れた鼻面(はなづら)を 寄せて來(く)る こと も
落ちて反響する 指輪から 霰(あられ)が降る の を 想い出す よう に
黄昏(たそがれ)に 煌(きらめ)き 揺らめく 海面 や
夜更(よふ)けの 遠い 火柱(ひばしら) を
眸(ひとみ)の裡(うち)で 見て居(ゐ)るかも知れぬ
其処(そこ)から だ と 高く昇って から しか 月は 見えぬ
中では 高く昇って 何処(どこ)から か 何かに 反射しなければ
見える こと は ない が 記憶の汐(しお)の 満ち干で 皆 知って居(ゐ)る
夢の底へ 降り注ぐ 月明りは 捕食者の徘徊する 海の底の 岩蔭でも
ビルの屋上の 水槽の奥でも 同じかも知れぬ
何処(どこ)も 彼処(かしこ)も いつか そう なるだろう
想いがけなく 月の顔を 見た ものは 一体 何か とも 想わぬだろう
鏡を 覗(のぞ)いて 其処(そこ)に 自分の顔 で なく
解けゆく月が 映って居(ゐ)た と して も
七億年前 全球凍結 が 起こる時
月は 鏡に映る 白い顔を 見たかも知れぬ
超流動 に も 似た 満ち干に 伝わって來(く)る 氷に 鎖(とざ)された
夢の 胎動が 大量絶滅 を 経て それを 融かし 罅(ひび)割れさせ
息を吸い 吐く 細かな群れに 岐(わか)れ 拡(ひろ)がり 満ちて
卯酉線 を 廻(めぐ)る 風 と なる の を 聴いたかも知れぬ
一 尋(ひろ) を 二千年 近く かけ 廻(めぐ)る 深層流 (海流の項) は
記憶が 重力へ 満ちる 遅さを 耀(かがや)きが 響き と なって
闇に 留(とど)まる 冷たさを 憶えて居(ゐ)るかも知れぬ
ステラー カイギュウ は 氷の海で その歌を 聴いたかも知れぬ
最後の波が 凍る 廻(めぐ)り 流れる 深い 記憶の歌が
風の中へ 解き放たれる まで の 永(なが)く 短い
眩(まばゆ)く 昏(くら)い 夢に 鎖(とざ)された 時を
月が 灰白色の 自(みずか)らに 瓜二(うりふた)つの 雪白の
面差(おもざ)しに 魅(み)せられ その夢を 手繰(たぐ)り寄せる の を
オタリアの 目に 誰か 映って居る(ゐ)気が した
遠くから 還(かえ)って來(き)たのに 全(すべ)てが 逸(そ)れゆく
視野の縁(ふち)で 時空の 澹(あはひ)に 耀(かがや)き 消えゆく
佇(たたず)んだ ままの 姿
振り返った が 虚空に 遠ざかる 月の 映像の 反射と
氷柱(つらら)の 育ってゆく 水槽の よう な 昏(くら)い ビル群が ある だけだった
空を 月 渡る 時 日の 亘(わた)る 海 渉(わた)る 夢 朧(おぼ)ろ
凍(こほ)れる 海に 月 溺(おぼ)る 夢 日は 遙(はる)か
幻日(げんじつ) 舞い 幻月(げんげつ) 翔(と)ぶ
披(ひら)かれゆく 双曲面 スプライト (超高層雷放電) の 途(みち)
溯(さかのぼ)り 手繰(たぐ)り 捲(ま)き 消え 共に 還(かへ)らむ
山深き 洞穴(ほらあな)の 池に 棲(す)む と 云(い)う 神蛇が
人の姿で 夜毎(よごと) 通(かよ)った と 云(い)う 娘は 子を 宿し
母の教え に 苧環(おだまき)の 糸を 針に 通し 帰る人の 襟(えり)に
刺し 僅(わず)か に 巻き残った 糸を 手繰(たぐ)って 後を 追う
苧環(おだまき) は 糸車に 巻き取った 糸の 輪束の こと だが
糸車に似た 角(つの)の生えた ような 草花の こと も 云(い)い
また 中空(ちゅうくう)の 朽(く)ち木 や
枯れ木立(こだち) の こと も 云(い)った
糸の 入りゆく 深き 岩屋の 奥より 喉笛(のどぶえ)を
針に 刺し貫かれた 蛇が 男児 が 生れる と 云(い)って 息 絶える
谷深く 立つ 苧環(おだまき)は 我(われ)なれや 思ふ心の 朽(く)ちて 已(や)みぬる
朽(く)ちね ただ 思ひくらぶの 山 高み 立つ 苧環(おだまき)は 知る人も なし
うたたねの 夢も あらしの 山さとに 槇(まき)の葉 伝ひ 霰(あられ) 降るなり (夫木和歌抄 廿九)
さ夜ふかき 軒(のき)ばの草に 露(つゆ)おちて 秋を かけたる うたたねの 夢 (道家 百首)
後に その 神蛇の玄孫(やしゃご) が 敵の 逃げ込んだ 寺に 火を 放った 折(おり)
炎に 包まれた 堂内より 千手 観音(せんじゅ かんのん) 像 が
相良 飛蔓(あいら とびかずら) へ 飛び移り
又(また) その 武将 が 馬を 飛ばし 坂を 駈(か)け下(くだ)り 落人(おちうど)に 迫る を
飛蔓(とびかずら)と なりて 絡(から)みつき 落馬させた と も 云(い)う
相良 飛蔓(あいら とびかずら) は 太き 蔓(かずら)に 大いなる 暗紅の花房
数多(あまた) 咲く 角(つの) 生え 爪(つめ) 尖(とが)りし 千手(せんじゅ)の 花
薄明(はくめい) に 連なり咲ける 蔓(かずら)花 災(わざわ)い 転じ 万花 廻(めぐ)らす
杜鵑(ほととぎす) 嘿(もだ)し 花 馨(かを)る 薄闇(うすやみ) 哥(うた)ひ 風 さざめきて 已(や)む
わたの原 雲居(くもゐ)の涯(はて)を 亘(わた)る 虹 潜(くぐ)りて 消ゆる 影 探す 月
足が 凍る よう に 冷たくなり 不意に 何処(どこ)か
昏(くら)い 海溝の よう な 処(ところ)へ 沈んでいった
地下鉄の 吊(つり)広告が ベーリング海 と 云(い)う 表示に 重なる
海溝では なく 水族館に 居(ゐ)るのだった
水が 冷た過ぎる そう 想ったが あの時は 子を 探し
氷の海を 泳ぎ廻(まわ)っていて 捕えられた から だ と 判(わか)って居(ゐ)た
小さな目をした アザラシたちが 頻(しき)りに 身体(からだ)を 突つく
椅子の 隅(すみ)で 背を 折り曲げる
アリアドネー は 迷宮の 長い壁に沿って 糸玉を 転がす
勇者 は 來(こ)なかった
難破し 打ち上げられた 男は 魘(うな)されていた
アリアドネー は 男が 隠し持って居(ゐ)た 剣に 触れた
両刃(もろは)の 斧(おの) の ような
聖なる 牛を 屠(ほふ)る 男は 持てぬ 斧(おの) の ような
だから 昏倒した 持っては ならぬ 物を 持った ので
水面(みなも)に 映る 曇(くも)った 空の よう に
冷たく 蒼(あお)く 幽(かす)かに 紅(あか)く
耀(かがや)き 息づく そのような 斧(おの)で
おまえに 一討(ひとう)ちに されたい もの だ と 兄は
途切(とぎ)れ 途切(とぎ)れに 岩壁 越しに 深い 割れ目に
光の 失せた目を 圧(お)し当て 血の 混じる息で 呟(つぶや)かなかったか
どうしたの また 口の中を 噛(か)んだの
俺(おれ)の口に 中なんて もう 無い の さ
牙(きば)が 脈(みゃく)打つ ものを 深深と 噛(か)み締(し)めん と
何処(どこ)までも 延(の)びてゆく
喉元まで 七つに 裂(さ)けた 胃 が 先を 争い 押し退(の)け合い
牙(きば)が 喰(く)らいついた もの を 咀嚼(そしゃく)せん と
反転され 裏返された 偕老 同穴(かいろう どうけつ) と
洞穴 海老(どうけつ えび) の よう に 脆脆(もろもろ) と
罅(ひび)割れた 柔らかい 孔(あな)を 拡(ひろ)げ 震(ふる)わせる
俺(おれ)は 毀(こぼ)れ 零(こぼ)れゆく 海 かも知れぬ
が 今は 未(ま)だ 外が 腑(はらわた)で
目や 耳は 内に 向かって居(ゐ)る
生きた 迷宮 裏返された 死
松果体 と 云(い)う 処(ところ)へ 立て籠(こ)もって居(ゐ)るんだ
エジプト人たち も 最期は 其処(そこ)へ 往(い)った
が もう 後が 無い
(次回へ 続く : 次回の 更新は 6 月 15 日 の 予定です)