背後で
不在が ゆっくりと 翼を ひらく
なにかが 滴る 音
絶え間なく
柔らかく 遠く
遙かに 浮かび上がろうとする ものから
間近を そっと かすめ
伝い降り
温かく馨る 大地へ
しみ込む
已むことなく 潮のように
惜しみなく
それが 涙なのか 血なのか
まだ 闇は 決めていない
雨であれ と
翼は 祈る
メラブ・アブラミシュヴィリ Merab Abramishvili は
1957 年 3 月 16 日 旧ソビエト連邦 グルジア共和国 の
首都 トビリシ に生まれた
幼い頃から絵を描き始め コーカサス地方 で最も古い
大学の一つ トビリシ国立美術アカデミー に学び
彫刻家の Jacob Nikoladze や
画家の Alexander (Shura) Bandzeladz に師事した
考古学者で哲学博士の父が調査し紹介した
12世紀の教会 壁画 を 模写し
その技法と物語表現を身につけ
やがて ペルシャの細密写本装飾 に見られる
繊細な描写と色調を研究
黒海の縁で幾重にも交叉する コーカサス から
ロシア・クルガン・バルカン・メソポタミア・アナトリア・
イリュリア・ペルシャ・フェニキア・エトルリア・
ギリシャ・ローマ・エジプト・インダス までの
遊牧と流浪と望郷の 物語を覆う 草木のそよぐ
夢へ流れ込む 憧れと歓びと哀しみの 渦巻く
響きへと編み込み 生き生きと開花させた
紀元前 9 世紀 の アッシリア 王妃 Shammurāmat
サンムラーマート (セミラーミース) は 伝説に彩られた生涯に
夫 が征服した バビロニア に 空中庭園 を造らせた とも
ニネヴェ建国の王 の妃となったが 王を毒殺
幼い息子の摂政として女王になり
アルメニア の 美麗王アラ を夫にせんと 攻め入り
戦死させたのちも 生き返らせんと 魔術を用いた とも云われる
が ここでは クジャクの散らばる庭園内を
歴史と伝説の織り込まれた マントを捧げ持つ人々と
無限の距離を隔て 誇り高き女王として 独り歩む
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
落ちて跳ね はなれる 満ちて溢れず 引く
ハラッパー に刻まれた
始まりも終わりもない 文字は
グルジア女王タマル の署名にも
入り込んでいる だろうか
リラ のような ウード のような
内へ窪む円い胴にひらく 内なる無限への 通り道
草原をわたり 山々を吹きぬく
風に運ばれる 時の滴
無限は跳ね あちこちに
形と影 音と響きを穿ち
影と響きが 消えゆく間 通り抜け
來たりて去り 留まりて往く
永遠への入口 無限からの出口
光と同じ とじた輪のような波
光の往ったあと 耀く闇に沈む 時の道
無限の滴に映り 束の間 かすかに宿る
どれも同じで すべて ちがう時
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
Merab Abramishvili Flowers 花 板に テンペラ tempera on wood
草木染や泥染 織物にしみ込む 植物の色と影
花と実と 枝と葉と 根と幹と
根は どこまでも 土を編み廻り 地下の川を渉り
枝は どこまでも 大気を編み伸び 光を浴び
実は どこまでも 空に馨り響き 歌い舞い 伝え運ぶ
木洩れ日舞う森 風わたる草原
漣きらめく川の畔 日没を追い
洞窟の奥 松明ゆらめく中
太古の壁画 に 集い 躍動する 獣の姿
若き日 遙か昔 遠い祖先
獣と走り 寒さをしのぎ 命の糧を探した
氷河に覆われた四季を 物語る聲
耳を傾け 目を輝かせる 人々の息遣い
闇に遠く近く 風が吹き荒び 雪が舞う間
かすかに
脈打つ血の どこかで
洞穴を吹き抜ける風にゆらめく 灯明かりの影
雨の滴る中 獣は じっと蹲る
まもなく止む 陽は俟たず 沈んでゆく
山の端から 雲が渦巻いては 千切れ
あちこちの茂みや梢で さまざまな獣が佇み
雨の音を聴いている 葉から落ちる
音だけに 変わりゆくのを 耳を澄ませ
鼠が 巣穴に溜めた 花粉の中で蠢き
栗鼠が どこかに埋めた 団栗に想いを馳せる
兔や鹿が 小刻みに体を震わせながら 佇み
山羊の黄色い目は 雨を透かし なにも見ていない
蛇の目は そこにない なにかを見て 動く気配はない
鳥どもは 陽が沈むので 気が気ではない
獣は うつらうつらする
草原に 森に 山に 洞穴に 散らばる生き物が
きらめき 湯気を立て 震え 夢見 蠢いて 輪を描き
戻ってゆく きらめき始めた星々に 応えるように
地上の星々が瞬く すると 間に 見えない川が流れる
川がめぐると 瞬きが強まり 明るく透きとおって
温かい 川がめぐらぬところは 暗く冷たい
獣は うっすらと 目をひらく
昨日ここに 傷ついた人が 倒れていなかったか
冷たい 毛のない肌に 雨と血が滴り 流れ落ちていた
その目から 光が消えゆくとき どこかにいる幼子へ
流れが走り通じ 幼子へ 光り輝く毛皮が被せられた
それは歓喜し感謝し 雨水を伝い昇り どこかへ帰っていった
それが歌った歌は いまも 耳の底で渦巻いている
獣は 前肢の裏を舐める
自分も傷つき去るとき そうするのだろうか
兔も鹿も皆 そうしている
光の毛皮を まとっているものは 傷つけられぬ
いつの日か それが擦り切れ 消える時まで
息をひきとる時 それは よみがえり 受け渡される
もしも 光の毛皮を まとっているものを 傷つけたなら
息をひきとる時 自らがかつてまとっていた それは
よみがえらぬ そのとき傷つけたものに 渡るからだ
だから なにも受け渡せず 帰るところもない
かれらは どこへゆくのか
無限の涙に 時の滴になって
渡せなかったものを 運び続けるのかもしれぬ
雨上がり
背後で ゆっくりと 翼が ひらく
だれも いない
広やかで がらんどうの 隙間から
響く 雨だれの 音
微笑んでいる
息と 耀く瞳が
辺りを 静まり返らせ
澄み亘らせている
まだ
夜明け前 深い 霧の中
壁は 静かに 遙かに 遠ざかる
景色と 響きを とどめる ために ある
窓の ように 瞼の ように 虹彩の ように
戸口のように 唇の ように 声帯の ように
数多の小さき滴の 行き交い かたちづくる
壁を廻らせた 塔の中で
天辺に穿たれた 窓の傍らに
心は 生まれる
ともに生まれた 光の中で
その窓から 外を眺め 聴き
ともに生まれた 闇の中で
壁に それを記し 遺す
いつか 窓から心が 旅立つと
その塔は 崩れ去るかに見え
壁に残されたものから 漂う風にのり
内側だけの塔になって 霧の中で待っている
いつかまた そこに 心が宿り
霧が晴れ 景色が広がってゆく
闇の中で ふり返り
新たな心が 記してゆく壁には
ふれると ふれ返し 動き出す
景色の歌が 流れている
澄みわたり 透きとおり 生き生きと
微笑み 耀いている
光が生まれ 闇が生まれる Merab Abramishvili Baia Gallery Tbilisi 2012
不在が ゆっくりと 翼を ひらく
なにかが 滴る 音
絶え間なく
柔らかく 遠く
遙かに 浮かび上がろうとする ものから
間近を そっと かすめ
伝い降り
温かく馨る 大地へ
しみ込む
已むことなく 潮のように
惜しみなく
それが 涙なのか 血なのか
まだ 闇は 決めていない
雨であれ と
翼は 祈る
Merab Abramishvili (Georgia 16 March 1957 – 22 June 2006) Black Panther 黒豹
白亜 半油性 地の板に チーズ・テンペラ casein tempera on wood 98 × 151 cm 2005 年
白亜 半油性 地の板に チーズ・テンペラ casein tempera on wood 98 × 151 cm 2005 年
メラブ・アブラミシュヴィリ Merab Abramishvili は
1957 年 3 月 16 日 旧ソビエト連邦 グルジア共和国 の
首都 トビリシ に生まれた
幼い頃から絵を描き始め コーカサス地方 で最も古い
大学の一つ トビリシ国立美術アカデミー に学び
彫刻家の Jacob Nikoladze や
画家の Alexander (Shura) Bandzeladz に師事した
考古学者で哲学博士の父が調査し紹介した
12世紀の教会 壁画 を 模写し
その技法と物語表現を身につけ
やがて ペルシャの細密写本装飾 に見られる
繊細な描写と色調を研究
黒海の縁で幾重にも交叉する コーカサス から
ロシア・クルガン・バルカン・メソポタミア・アナトリア・
イリュリア・ペルシャ・フェニキア・エトルリア・
ギリシャ・ローマ・エジプト・インダス までの
遊牧と流浪と望郷の 物語を覆う 草木のそよぐ
夢へ流れ込む 憧れと歓びと哀しみの 渦巻く
響きへと編み込み 生き生きと開花させた
紀元前 9 世紀 の アッシリア 王妃 Shammurāmat
サンムラーマート (セミラーミース) は 伝説に彩られた生涯に
夫 が征服した バビロニア に 空中庭園 を造らせた とも
ニネヴェ建国の王 の妃となったが 王を毒殺
幼い息子の摂政として女王になり
アルメニア の 美麗王アラ を夫にせんと 攻め入り
戦死させたのちも 生き返らせんと 魔術を用いた とも云われる
が ここでは クジャクの散らばる庭園内を
歴史と伝説の織り込まれた マントを捧げ持つ人々と
無限の距離を隔て 誇り高き女王として 独り歩む
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
ハラッパーの一筆文字 Harappan endless knot symbol
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
無限に滴る 終わらない時の足跡∞ ∞ ∞ ∞ ∞
落ちて跳ね はなれる 満ちて溢れず 引く
ハラッパー に刻まれた
始まりも終わりもない 文字は
グルジア女王タマル の署名にも
入り込んでいる だろうか
リラ のような ウード のような
内へ窪む円い胴にひらく 内なる無限への 通り道
草原をわたり 山々を吹きぬく
風に運ばれる 時の滴
無限は跳ね あちこちに
形と影 音と響きを穿ち
影と響きが 消えゆく間 通り抜け
來たりて去り 留まりて往く
永遠への入口 無限からの出口
光と同じ とじた輪のような波
光の往ったあと 耀く闇に沈む 時の道
無限の滴に映り 束の間 かすかに宿る
どれも同じで すべて ちがう時
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
Merab Abramishvili Flowers 花 板に テンペラ tempera on wood
草木染や泥染 織物にしみ込む 植物の色と影
花と実と 枝と葉と 根と幹と
根は どこまでも 土を編み廻り 地下の川を渉り
枝は どこまでも 大気を編み伸び 光を浴び
実は どこまでも 空に馨り響き 歌い舞い 伝え運ぶ
木洩れ日舞う森 風わたる草原
漣きらめく川の畔 日没を追い
洞窟の奥 松明ゆらめく中
太古の壁画 に 集い 躍動する 獣の姿
若き日 遙か昔 遠い祖先
獣と走り 寒さをしのぎ 命の糧を探した
氷河に覆われた四季を 物語る聲
耳を傾け 目を輝かせる 人々の息遣い
闇に遠く近く 風が吹き荒び 雪が舞う間
かすかに
脈打つ血の どこかで
洞穴を吹き抜ける風にゆらめく 灯明かりの影
Merab Abramishvili Paradise 楽園
板に テンペラ tempera on wood 76 × 76 cm 2006 年
板に テンペラ tempera on wood 76 × 76 cm 2006 年
Merab Abramishvili Paradise (detail) 楽園 (部分)
板に テンペラ tempera on wood 44 × 150 cm 2006 年
板に テンペラ tempera on wood 44 × 150 cm 2006 年
Merab Abramishvili Seeds of Paradise 楽園の種子
板に テンペラ tempera on wood 75 × 75 cm 2005 年
板に テンペラ tempera on wood 75 × 75 cm 2005 年
雨の滴る中 獣は じっと蹲る
まもなく止む 陽は俟たず 沈んでゆく
山の端から 雲が渦巻いては 千切れ
あちこちの茂みや梢で さまざまな獣が佇み
雨の音を聴いている 葉から落ちる
音だけに 変わりゆくのを 耳を澄ませ
鼠が 巣穴に溜めた 花粉の中で蠢き
栗鼠が どこかに埋めた 団栗に想いを馳せる
兔や鹿が 小刻みに体を震わせながら 佇み
山羊の黄色い目は 雨を透かし なにも見ていない
蛇の目は そこにない なにかを見て 動く気配はない
鳥どもは 陽が沈むので 気が気ではない
獣は うつらうつらする
草原に 森に 山に 洞穴に 散らばる生き物が
きらめき 湯気を立て 震え 夢見 蠢いて 輪を描き
戻ってゆく きらめき始めた星々に 応えるように
地上の星々が瞬く すると 間に 見えない川が流れる
川がめぐると 瞬きが強まり 明るく透きとおって
温かい 川がめぐらぬところは 暗く冷たい
獣は うっすらと 目をひらく
昨日ここに 傷ついた人が 倒れていなかったか
冷たい 毛のない肌に 雨と血が滴り 流れ落ちていた
その目から 光が消えゆくとき どこかにいる幼子へ
流れが走り通じ 幼子へ 光り輝く毛皮が被せられた
それは歓喜し感謝し 雨水を伝い昇り どこかへ帰っていった
それが歌った歌は いまも 耳の底で渦巻いている
獣は 前肢の裏を舐める
自分も傷つき去るとき そうするのだろうか
兔も鹿も皆 そうしている
光の毛皮を まとっているものは 傷つけられぬ
いつの日か それが擦り切れ 消える時まで
息をひきとる時 それは よみがえり 受け渡される
もしも 光の毛皮を まとっているものを 傷つけたなら
息をひきとる時 自らがかつてまとっていた それは
よみがえらぬ そのとき傷つけたものに 渡るからだ
だから なにも受け渡せず 帰るところもない
かれらは どこへゆくのか
無限の涙に 時の滴になって
渡せなかったものを 運び続けるのかもしれぬ
Merab Abramishvili Pianoforte ピアノ
板に テンペラ tempera on wood 150 × 150 cm 1990 年
板に テンペラ tempera on wood 150 × 150 cm 1990 年
雨上がり
背後で ゆっくりと 翼が ひらく
だれも いない
広やかで がらんどうの 隙間から
響く 雨だれの 音
微笑んでいる
息と 耀く瞳が
辺りを 静まり返らせ
澄み亘らせている
まだ
夜明け前 深い 霧の中
壁は 静かに 遙かに 遠ざかる
景色と 響きを とどめる ために ある
窓の ように 瞼の ように 虹彩の ように
戸口のように 唇の ように 声帯の ように
数多の小さき滴の 行き交い かたちづくる
壁を廻らせた 塔の中で
天辺に穿たれた 窓の傍らに
心は 生まれる
ともに生まれた 光の中で
その窓から 外を眺め 聴き
ともに生まれた 闇の中で
壁に それを記し 遺す
いつか 窓から心が 旅立つと
その塔は 崩れ去るかに見え
壁に残されたものから 漂う風にのり
内側だけの塔になって 霧の中で待っている
いつかまた そこに 心が宿り
霧が晴れ 景色が広がってゆく
闇の中で ふり返り
新たな心が 記してゆく壁には
ふれると ふれ返し 動き出す
景色の歌が 流れている
澄みわたり 透きとおり 生き生きと
微笑み 耀いている
光が生まれ 闇が生まれる Merab Abramishvili Baia Gallery Tbilisi 2012